パラレル番外地
□GIGOLO!!3
1ページ/6ページ
* *
「持ってきたわよ。はい」
玄関を開けて出迎えたギンに、乱菊は持参した櫛を渡した。綺麗に並んだ靴を一瞥して、もう一人の不在に眉をしかめる。
「ここで会わせてくれるんじゃなかったの?」
ギンが先日お膳立てしたのはレストランを予約しての会食で、それは物々しかった。人前でなら棘のある物言いもしないだろうと言われてしまえば、前科のある乱菊には言い返すことができなかった。ワインは美味しかった記憶があるのに、何を話したのか覚えていない。
「楽しみにして来たのに、つまんない。どこ行ったの?」
「あぁ、ついさっき下の階のオバチャンに生協入らんか、て誘われて連行されてった」
「……。」
奥様同士の近所付き合いにイヅルを取られたから妹を呼んだという訳か、とツッコミを入れようとした乱菊は、上機嫌なギンの前に嫌がらせを飲み込んだ。なにより理由が変だったからである。
『プラスチック製の櫛、あるだけ持ってきて』
「それにしても、なんでプラスチック限定なのよ」
液晶が映し出す一文にツッコミを入れ、それでも乱菊は持っている櫛をかき集めて出掛ける用意を始めた。道すがら、改めて唐突かつ意味不明な兄を見捨てられない自分の懐の広さを褒め称えてきたのだ。
「黄楊の櫛がアウトな理由は? ブラシじゃ駄目なの?」
「プラスチックの櫛のしか、汚れ取る方法知らんから」
「……はぁ?」
ますます以て意味が分からない。困惑する乱菊を残して、ギンはリビングのローテーブルの前に座り込んだ。もちろん鼻唄混じりで、である。
「ご近所さんで集めてまわる訳にもいかんやんか、やっぱ」
何の話だろう。生協のメンバーだろうか。乱菊は首を傾げる。ギンの手元を見て、櫛の話だと見当をつけて適当な相槌を打った。
「まぁ、そうね。っていうか、あんた新聞なんて取ってたっけ? 会社でも流し読みしかしてないじゃない」
テーブル一面に広げられた新聞紙に目を留め、ギンの斜め前に陣取る。湯の張られた洗面器が二つ、シャンプーのボトル、縦に立ったキッチンペーパーのロール。そして何故か爪楊枝(ケース入り)。
本当に何が何だか分からない。
「卸売価格の変動で、ほんまに安い店かどうか分かるて言うとった」
新聞を取りはじめた理由は、この家の主婦らしい。
「へぇ……」
甲斐甲斐しく尽くす妻の不在に小姑が上がり込んだような居心地の悪さに苦笑を零した乱菊へ、ギンはちょっと来てくれと声を掛けた。
「昼、まだやろ?」
「なに、ギンが作ってくれるの? 作れたっけ? 『男子、厨房に入らず』が身上のあんたが?」
「こないだから教えてもらっとる。面白いもんやな、料理て」
火を入れれば卵が固まるのは知っていたが、甘い卵液ならプリン、出汁なら茶碗蒸しになると初めて知った、とそれは嬉しそうである。
「あんたのことだから、それっくらい知ってたんじゃないの?」
「まぁな。でも科学実験みたいやで?」
まだ簡単なものしか作れないが、とギンが冷蔵庫を覗き込んでいる。その背中が楽しそうに見えるのは、乱菊の気の所為ではなかった。同じDNAが乱菊にそう教えている。
「前言撤回。奥さんじゃなくてお母さんね」
「誰が? っちゅうか前言撤回て何も言うてへんやん」
「あぁ、気にしないで。あの子のことよ。年下なのにお母さんみたいだな、って思ったの。子供みたいにはしゃいで叱られながら、手取り足とり教えられてるあんたが目に見えるようだわ」
それは果たして可愛らしいのだろうか……。首を傾げながらも、乱菊はギンが毎日を楽しく過ごしているなら良しとしようと割り切った。
「焦げ付いた鍋とか、綺麗んなるまで洗わされとる」
「そりゃそうでしょ。焦がした張本人なら文句言わないの」
ギンは一人でも生きていける男として育った。誰かの手を借りなくても生活していけるように努力してきた。知識をスキルへ変換するのに時間が掛からない。器用に要領よく生きていた。その悲しい生き方は、誰よりも乱菊が知っている。
だからこそ今の生活を楽しんでいるギンを見ると、乱菊の方が嬉しくなる。
「自分の部屋も良う片付けん癖して……どの口が言うとるんか」
「この口ですが、それが何か? それより良いの、フライパン炎上してるけど?」
またイヅルに叱られる、と急いで火を消している。
「ね、叱られても実は嬉しかったりしてるんじゃない?」
「はぁ? んな訳……」
「いーや。絶対に嬉しいに違いない! 素直に吐いちゃえば?」
叱られて嬉しいマゾな筈がないだろう、とフライパンを洗いながらぼやく。
「でも、市丸さんたちにも叱られたことないって言ってたし。ってことは、あの子には完璧に見せようってしてないんでしょ?」
駄目になった材料を放棄して次の食材を取り出したギンの手元を覗き込みながら、乱菊は悪戯っぽく笑った。
「あ、高菜! 良いなぁ、高菜。あたし高菜のチャーハン食べたいなー。じゃなかったら高菜のおにぎり。ねぇ、お兄ちゃん」
「気持ち悪い呼び方せんでも作ったる、て」
ギンが手際良く具を刻む傍らで、乱菊は綺麗に片付いたキッチンを見回した。
「ギンが誰かと一緒に暮らすとは思わなかったわ。ね、自分のこと大好きな子と暮らすってどんな気分?」
ギンの手から滑り落ちた包丁が床に突き刺さる。
「あっぶないわねぇ…。あたし何か変なこと訊いた?」
「変も何も……」
「あたしがギンのこと好きなのと同じようなもんでしょ? 違うの?」
違うから困っているのだが、それを打ち明けたら今度こそイヅルはアンフェアトレードで海外に出されるか、ゴージャスな特製ドラム缶詰めで海に沈められるかもしれない。
「違わんよ? ただ、二人でおっても静かやから、どない言うたもんか迷っとっただけや」
今から一気に炒めるから皿を出しておいてくれ、とギンは話を打ちきって乱菊に背を向けた。
* *