パラレル番外地
□NEほりんPAほりん
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「しっかし、珍しいこともあるもんだな。お前から誘ってくるなんて」
皮肉っぽく傾けられた徳利に猪口を差し出しながら、小料理屋なんて本当に久し振りだなと卓上のお品書きを手に取った。メニューには馴染みがある。家でもよく見かける。懐かしいのは文字として並んでいるからだ。
「今夜は帰れないかもしれないって連絡があったんですよ」
「そこは一応『たまにはサシで飲むのも悪くないと思って』って言っとこうぜ。社交辞令でも。ま、俺もお前ん家でお前と二人っきりでお前の辛気臭いツラ見ながらメシ食っても旨くねぇから外の方がいいけど」
「そもそも僕の部屋に来る前提ってのが腑に落ちないんですけど」
イヅルは通りかかった店員を呼び止めた。家では健康によくないとあまり出してもらえない、少々脂っこい肴をいくつか注文した。横から責めるような視線が突き刺さるが、気にしない。
「ジリ貧なんでしょ?」
奢りなのだから何を頼もうが文句を言われる筋はないし、今日のイヅルは自棄になっている自分を潔く認めていた。珍しく乱暴に椅子に背を預ける。
「やっぱお見通しだった? うん、まぁその、なんだ。交際費がかさんじゃって?」
腐れ縁の先輩が年末貧乏にならなかった年があっただろうか。イヅルは記憶をひっくり返してみる。当然だが、見当たらなかった。それにしても、と横目で隣を窺いながらお通しの小鉢を空にした。どうやって見つけてくるのか、それとも毎年同じ相手なのか。打ち明けられたことはないが、ナイスバディ美女が相手なのは間違いない。
「別にいいですけどね、それこそ交際費だし」
「俺を経費で落とすな」
「じゃ、交遊費で。で、何をプレゼントしたんです?」
ダメ元で何を贈ったのか訊いてみたら、意外にあっさり返事が返ってきた。
「香水。並んだんだぜ? モノで釣れるオンナじゃねぇけど、釣れりゃラッキーって感じで、寒いの我慢した」
「釣れたらどうするんです?」
プロポーズするのかと問えば「しねぇな」とあっさり否定され、イヅルは椅子からずり落ちそうになった。
「結婚はまた別の話。三日で飽きちゃ相手に失礼だからな、やっぱ」
自分の方が先に飽きられるとは考えないのだろうか。思ったのは一瞬。どうしていつも偽悪的な言い方しかできないのかと向けられた冷たく碧い半眼を受け流して、横に滑らせた目に映ったのは頬杖をついたイヅルの左手。黒髪から覗く三白眼が、柔らかい弧を描く。
「問題は見た目じゃねぇ。自分も、相手も。俺も、お前も。だろ?」
「そう……ですね」
終業間際にギンから連絡をもらったイヅルは、迷わずリングを嵌めた。その指輪にそっと唇を寄せてみる。呆れられているだろうな、とちらりと横を窺えば、思ったより優しい眼差しとかち合った。悪戯っぽい笑顔で「お前のソレ」と顎で指された。
「今夜さ、なんで帰れねぇの?」
「例の教授に捕まったから、って言ってました」
「あー。なるほどね」
ゼミや、ゼミの教授の話になると普段から軽くない若君の口はさらに重くなる。詳しい人柄や事情を聞いていなくても、察しのいい彼だから理解したようだ。が、それでも説明されなくてはわからないこともある。今回の件が、まさにそれ。
「何日前だったかな、ガラクタ部屋……もとい資料室で着ぐるみの頭を見付けたって言ってて」
「着ぐるみって、客引きとかやってるアレ? この時期ならサンタとかか?」
「違います。モグラとブタです」
「……すまん、吉良。全っ然わかんねぇわ」
「むしろ安心しました」
最後まで読めていたらグルかと疑わざるをえない。理解できてしまったら同類認定は不可避だった。さすがのイヅルも、こんな身近に、同じ方向に突き抜けた変人が大勢いたら堪らない。
「某局の『ね○りんぱ○りん』ってご存知ですか?」
「いや、知らねぇな」
モグラに扮したインタビュアー2名が、顔出しNGのゲストをタイトル通り『根掘り葉掘り』問い詰めるトーク番組なのだとイヅルが説明したところで、すべてを察したらしい。背凭れに全身を預けて天井を仰いだ。
「今日は最悪だな、あの『二人』」
「ええ、本当に。廃人になってないといいんですが」
始まる前から燃え尽きて灰になっているだろう、モグラ御曹司。ゲストとは名ばかりの憐れな生贄のブタは、はんなりした京訛りどころか自分の母国語さえ忘れているかもしれない。
「……一晩で帰ってくっかな?」
「さぁ、どうでしょう」
「明日は焼き肉にでも行くか?」
明日は明日の風が吹くとか、明日のことは明日にならなければわからないというが、決まっていることもある。というか、今、決めた。
「明日はいつも通り、おうちご飯です」
手早く一言、『帰りたい?』とメッセージを送る。
「……なぁ、吉良。根掘り葉掘りって、どこら辺まで掘るんだろうな」
「隅々まで掘り返されるでしょうね。文字通り。何も残りませんよ、きっと」
実は思慮深いらしい教授のことだから、トーク番組は単なる口実で、何か別の意図があるかもしれないという考えがイヅルの脳裏を掠めたが、現実だった場合には立ち直れない。彼も、自分も。
大切な存在には、常に寄り添っていたい。疲れたなら、肩を貸したい。傷付いたなら、そっと抱きしめたい。
「……いいんですよ、無事ていてくれるなら。ちゃんと帰ってきてくれるなら」
イヅルの声が届いたようなタイミングで、かすかに内ポケットが震えた。
『迎えに来てくれたら解放してくれそう』
「先輩。終電シンデレラを迎えに行って、帰ったらゆっくり夜食にしましょう。明日は休みですから」
フォローするのは慣れている。ずっと割にあわない性分だと諦観していたが、なかなかに悪くないと思えてきた今日この頃。自然に伝票を手元に引き寄せたイヅルは、時計で今の時間を確認。まだ飲み足りないと駄々を捏ねる同僚の背を押して店を出た。
2018.12.07
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