歌舞伎能

□二人きりの観楓会
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 夏の終わりから秋にかけて、この時期になると、ギンは慌ただしく職務を済ませると、必ず何かを探すように執務室を抜け出す。





 そんなある日の副隊長会議にて。乱菊は、あまり表情が優れない吉良を呼び止めた。


 「あ、松本さん…」

 「元気してる、吉良?…って、そんな顔じゃないわねぇ?また、市丸隊長サボりなの?」

 「『また』って…市丸隊長はそんな何時もフラフラしてる方じゃないのは、松本さんも良くご存知ですよね?」

 「まぁね〜…」


 否定も肯定もしないし、何とも言えない微妙な表情で吉良が誤魔化す。乱菊は、この時期にギンが不在がちになる理由を知っているので、会話も微妙になる。


 「サボりって訳でもないんです…。何時見ても机上の書類は隊首署名と押印済みで仕上がってますし…」

 「…ふぅん?」

 「ただ、何処に居られるか分からないので、急な隊首決裁が必要な書類の時に困るんですよね…」


 予定に組まれた虚退治や、三番隊挙げての訓練等の時に居ない訳でもない。ふと気付いた時に居ないこと以外は問題ないのだから、副官の吉良も咎め立て出来ないでいる。余程遠い場所を移動しているのか、感知出来る霊圧は微々たるものだが、消されている訳ではない。いざという時に吉良が探しに行ける手立てまで残されていては、声高に非難も出来ない。

 そのうち周囲から、檜佐木、阿散井の何時もの面子以外に、珍しく虎徹と草鹿も加わり、自分のところの隊長はこんなふうだ、今の隊はこんな雰囲気だという話題になり、ほんの少し遅れて加わってきた伊勢の愚痴と、雛森の自慢話が始まると同時に、雑談も自動的に強制終了になった。


 自隊舎に戻ろうとした乱菊が見上げた空は、高く澄んでいた。「もうそんな時期なのねぇ…」という、小さな呟きさえ、飲み込まれてしまいそうだった。

 そんな、少し切ない気分にさせる、夏の終わりから、秋の気配が吹きはじめた尸魂界、瀞霊廷





 「最近珍しく残業にならねぇし、机に書類も溜まってねぇな…もうそんな時期か…。毎年恒例のアレ、えーっと、時期外れの『松本の霍乱』って奴か?」


 鬼の霍乱といえば、暑気中りを指すが、そういえば毎年そんな言い訳をしていたのか、と日番谷に言われた乱菊は、ぼんやりと思い出した。


 「夏の間に頑張るから、この時期にしわ寄せが…」

 「何処をどう頑張ったのか、詳しく聞かせて欲しいもんだなぁ、なぁ?むぁつもとぉ〜?」


 暑くて集中出来ないから涼んでくると氷屋に抜け出したり、気持ち良さそうな日陰を見付けたら、書類配りに託つけて昼寝してきたり、旨い冷酒を飲ませる店があると誰かが誘いに来れば、日番谷を言いくるめて、早めに切り上げたり…。確かに日番谷が言う通り、あまり頑張っていなかったかもしれない。


 「まぁまぁ、この時期だけでもちゃんと仕事してるんですから、いいじゃないですかぁ?」

 「俺には『この時期だけでも』って部分が非ッ常ーーに引っ掛かるんだが?」


 檜佐木ならコロッと引っ掛かりそうな笑顔を浮かべて、言い訳混じりに雑ぜっ返した。


 「あたしのノルマだけでも残業なしで毎日終わらせれば助かるって、隊長、言ってくれてるじゃないですか?そういえば、空、凄く高くて澄んでて綺麗でしたよ?もう夏も終わりなんですねぇ…」


 上半期決裁と決済がある九月に仕事が捗るのは、隊長の日番谷としては何の不満もない。出来ればこのまま提出期限の九月下旬まで、欲を出せば三月の年度末もこの調子だと良いのにと秘かに願いながら、極めて十割に近いぐらい諦めて何年になるだろう…と、筆を置いて背後を振り返り、窓から空を見上げた。「もう秋か…」入道雲が沸き立つ真夏とは違う、高く澄んだ空の蒼さが目に沁みた。





 三番隊隊舎に戻った吉良は、予測通り空席の隊首机上にある『既決箱』に、文鎮が乗せられた隊首決裁完了の書類の山を見付けて、大きな溜め息を吐いた。


 「不備があれば朱墨入りで置いといてくれるから、ちゃんと隅々まで目を通してくれてるのが分かる分、文句のつけようがないんだよね。だから余計に質が悪いんだけど…」


 『未決箱』は空だ。『再提出』の箱にある一番上の束を手に取り、パラパラめくる。平隊員が仕上げた決済書類の経費毎の分類ミスの指摘が、細かく書き込まれていた。本人に訂正の指示を出し、再提出されたものを吉良がチェックして『未決箱』に入れておけば、翌日には隊首署名と押印済みで『既決箱』に入っているだろう。それだけでこの決済書類は完成するのだから、既に出来上がっているも同然だ。


 「出来ない方じゃないし、仕事が早いのも知ってたけど…ここまで何時も以上に仕事が早いのは、…不気味だな」


 今日はどんな風に誘われたのやら…空の隊首席の後ろの窓枠に切り取られた空を見上げたら、まだ色付いてもいない、緑が繁る木々が右目に眩しかった。





 その頃、話題のひとは尸魂界でも一際高い山まで来ていた。少しでも色付いた木々を探しているのだが、まだ夏も終わりかけのこの時期、紅葉している木など見付かるはずもない。そこで数年前、鬼道で無理矢理日中との温度差を作って山ひとつ紅葉させてみたら酷く怒られたので、それ以来自然の摂理をねじ曲げるのは止めた。地道に探す方が手間が掛かるが、乱菊の喜ぶ顔見たさに探し回るのも悪くないと、こうして毎年一本でも色付いている木を探す。


 「やっぱ無いモンやな…」


 山に細工して怒らせた翌年、わざわざ荒野に種を蒔いて秋桜畑を作った時も、咲かせる時期を合わせる為に鬼道で温度調節をしたので、喜ばれた後でタンマリ怒られた。切ない男心以上に、女心は秋の空より複雑らしい。どれだけ計算し直しても収支が合わない年度末決算書より扱いが難しい。…というより、乱菊が優しいのだと『市丸的ご都合主義』で解釈している。その時、乱菊に言われた台詞を思い出す。


 『だいたい無理に紅や黄色にしたり、寝てるの起こして咲かせたりしたら、木や花が可哀想よ。それに春の花見みたいな訳じゃないんだから、色付いてなくていいのよ?鑑楓会ってのは、まぁ時期が時期だから、寒くなる前に何となく集まって飲みましょうよ的なノリなんだから、風情さえありゃ構わないのよ、分かった、ギン?』


 九月の何処か一日…10日から29日までの限定20日間…に、普段飲めないような大吟醸を飲もうと、どちらが言い出したのか、恒例行事になって何年経ったのかも忘れた。ただ、単に顔を突き合わせて盃を傾けるのも風情がないから、と趣向を凝らすようになったのは、この十年ぐらいだというのは覚えている。

 『えェ場所が見付かったら連絡するわ』

 見付からなければ飲み会はお流れになる。何処か適当な飲み屋でも予約しようものなら、何となく白けるような気がするのは自分だけかもしれないと自嘲してみる。


 それくらい、見渡す限り一面、まだ夏の名残の強い草いきれと、深い緑に覆われていた。一応、済ませなければならない仕事は済ませてあるし、何か異常があれば、勘の良い副官が探しに来るだろう。霊圧は抑えていない。見付けられても疚しい訳ではないが、ただ単に理由を詮索されたくないだけだ。


 「日ィ暮れるまで、もうちょい探しましょか…」


 29日に近ければ近いほど良い。慌てる必要もないが、目処ぐらいつけておきたかった。余りに高い山の上だと「寒い」と文句を言われるが、低い山では確率がグッと低くなる。夜でも寒くない、適度な高さで紅葉を探そうという方が間違いなのかもしれないが、妥協したくない。彼女に出逢えた日を祝う為なのだ。


 こうしてギンが紅葉している木を探す間、普段捗らない書類が捌けると十番隊長が喜んでいるようだ、と何かの折りに小耳に挟んだ。飲み会当日に、乱菊が気分良く隊舎を出て来られるなら幸いという感想ぐらいしかなかった。蹴った木の枝から、紅くも黄色くもなりそうにない葉が、ハラリと数枚落ちた。






 部屋を一瞥して、窓を開け、何か目印でもないかと辺りを見回してみたが、何も変わりなかった。乱菊は今日一日、働き損をしたような気分になったが、ギンは通常業務を手早く済ませてから紅葉探しに出ているのだ。文句を言っては、乱菊は自分を許せなくなる。何時だったか、休日に一緒に探そうと提案してみたが、「日頃から隊長サンに迷惑かけとるんやろ?気持ち良ぅ飲みたいなら、こン時期ぐらい我慢して、ちゃあんと仕事しィや?」と却下された。反論出来ない自分が悔しかったが、ギンの言うことなら尤もだと納得出来てしまう乱菊がいる。


 「子供の頃の記憶とか体験って、カルガモの雛みたいに刷り込まれてるのよね〜…」


 まだ蒸し暑い空気が流れ込んでくる。昼間も相当暑かった。たった一晩、二人きりで飲む為だけに、今日も紅葉を探し回ってくれていた、愛しい彼に、穏やかな眠りが訪れますように…


 見上げた空には、まだ夏の名残の星達が輝いている。春夏秋冬、巡る季節ごとに姿を変える夜空を、並んで寝転がってはギンの説明に耳を傾けた。

 『何で詳しいの?』

 『知っとったら、夜道でも迷わんやろ?』


 まさか季節を実感するためだけに夜空を見上げる日が来るとは、お互いに想像もしなかった日々の、今では綺麗な思い出。


 「まだ何処かで探し回ってくれてるなら、迷わずに帰るのよ、ギン?」


 呟きに応えて星が流れたような気がした。明日には一本ぐらい、見付かるかもしれない。

 「じゃ、一口飲んだら唸るしかないぐらい上等な酒を用意しなきゃね」






 その頃、三番隊の大広間では、数時間に渡って不気味で気まずい空気が流れていた。本日9月9日。隊長を慕う面々…ほぼ三番隊全員が、明け方までの宴会の用意をして、祝われるべき主賓の帰りを首を長くして待ちわびているのだ。

 「隊長、今日が何日か覚えてない、とか…」

 「再提出の書類には、ちゃんと今日の日付、市丸隊長の字で書いてありましたよ?」

 「日付は覚えてても、何の日か忘れてるってのは、十分あり得るな…」


 会場全体が『だって、あの市丸隊長だから』と納得の溜め息がハーモニーを奏でる。からかわれても、悪戯されても構わないですから…、せめて自分の誕生日ぐらい覚えておいて下さいよ…という伴奏付きだ。



 会場の出入口付近の柱に凭れ、中と外を交互に見やりながら、吉良はたった一つだけ感想を抱いていた。

 『祝う方も祝われる方も、両方とも、何年経っても学習しないな…』

 上座の頭上、一際派手に飾り付けられた『市丸隊長のお誕生日を祝う会』の垂れ幕が、虚しさを倍増させていた。


 本来祝うべき当日の10日、明日一日中、隊長不在の愚痴を零しに現れるだろう三番隊死神達と、頼んでいないと言い張る張本人の間に立たされ、苦労するのが火を見るより明らかな明日の自分に、こっそりとエールを送ったその時、見慣れ過ぎる程に見慣れた、袖のない隊首羽織が、羽裏色も鮮やかに夜空を翻った。


 「市丸隊長がお戻りになられたぞ!」

 「捕まえろ!」


 これから始まる宴という名の拷問の結末を想像した吉良がそっと吐いた溜め息が、夜空にスウッと溶けていった。




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