歌舞伎能

□銀狐の恋
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「なぁにしてるんですか、市丸三席?」
 正面に釘付けな視線はそのまま、真後ろからの声にも振り向かず、ギンは薄い唇に人差し指を当てて小声で咎めた。
「見たら分かるやろ、覗きや。邪魔せんとって」
「覗き?お上品じゃないのは知ってたけど、ギンも悪趣味になったのねぇ…」
 繁みの向こうで繰り広げられている展開に夢中になっていたギンは、背後から誰かが近付いていることには気付いていたが、悪意のない霊圧に安心していた。話し声で誰か気付くと、覗きを止めて久し振りに会う幼馴染みを振り返った。
「なんや、乱菊か。こないな時間にどないしたん、ガッコは?」
 霊術院生が護廷に来ることは珍しくない。珍しくないが授業や課題が忙しくて見掛けないだけである。
「あー、うん。見学にね。で、何を覗いてるの?」
 まさか女性の着替えじゃないでしょうね?と詰め寄る乱菊は、ギンを押し退けて繁みの窪みへ小振りな顔を突っ込んだ。
「あれって…」
「うん、ウチの隊長さん。と十二番隊のボン・クラハラ隊長や」
「『クラハラ』じゃなくて浦原隊長、でしょ?」
 ギンは決して物覚えの悪い方ではない。隊長格の顔と名前くらい記憶のメモリにしっかり保存・保護されている。言い間違えたのではない、とギンは幼さの残る顔を僅かにしかめた。
「なんや最近ウチの隊長さん元気ないなぁ思とったら、狸副隊長が教えてくれてん、喧嘩しとるんやって」
 数ヵ月振りに逢った幼馴染みの口から出た人の名前で、まともな呼び方が自分と五番隊隊長だけだった事実に、乱菊は皮肉に磨きがかかった、傍目には間違った方向へのギンの成長に少し落ち込んだ。凹んだ気分は楽しいことで紛らすに限る。ギンに負けず劣らずな乱菊の好奇心に火が点く。
「なら仲直りして貰えば良いじゃない」
 簡単なことでしょう?とウインクしてみせた。ギンは陽気で朗らかな隊長の平子が好きなのであって、落ち込んでいたり深い溜め息を吐き散らしている姿は見たくない。乗らない手はないアイデアだが、この場に居続けては二人にバレる。ギンは乱菊の袖を引っ張ると、言い争いが繰り広げられている物陰から建物の屋根に河岸を変えた。
 ギンは先刻の乱菊の単純な発想を肯定してから疑問点を問うた。
「仲直りっちゅうんは良ぇ考えや。せやけどどっちもたいがい意地っ張りなんやで?どないせぇ言うの?」
 二人の隊長の性格や嗜好など全く知らない乱菊は、ギンに問い返されて答えに窮した。
「そんなの、死神にもなってないあたしに分かる訳ないじゃない。二人を知ってるあんたが考えて、あたしがそれを手伝うって言ってんのよ」
 ギンは肩を落とした。屋根瓦から滑り落ちかけるくらい気落ちした。
「しゃあないな、誰かに訊くしかしか…」
 ターゲットに比べれば魂生経験の浅い二人では名案が浮かぶ筈もなく、再び仲良く並んで瓦に腹這いになると覗きに戻る。
「せやけど良ぅこないな長い時間言い争うネタがあるもんや…」
「え?そんな長い間ケンカしてるの?」
 今は真上に来ている頭上の太陽の位置を確認したギンは、斜め上を指差した。
「お天道さんが彼処にあった時からやっとる」
「へ、へぇ…」
 呆れから自然に視線を下ろした二人は、慌てて瓦にしがみつきながら僅かに縁まで前進した。
「ちょっ!?取っ組み合い始めたわよ!止めなくて良いの!?」
 護廷の隊長格が互いの胸ぐらを掴み合い、唾がかかる距離で罵り始めたのだ。
「止めた方が良ぇんかもしれんけど…無理やな」
「何でよ!?」
 両者共に丸腰とはいえ、斬魄刀なしでも戦う手段に優れているから隊長が務まるのだ。逆にいえば巻き込まれたら一巻の終わりである。
「それに本気やないし。二人の霊圧探ってみ」
 乱菊は眼を閉じて原っぱの周辺を漂う霊圧を探る。
「ホントだ、本気で殺り合う霊圧じゃない」
 掴み合いのケンカを眺めていたギンは、隣の少女へゆっくり視線を移した。
「『殺り合い』て…」
「え?だから殺気は感じないって意味だけど?」
 蝶よ花よと遇して暮らしていた訳ではないにせよ、仄かに思いを寄せてきた少女の口から『殺り合い』等という不穏な言葉を聞く日が来ようとは…。複雑な想いで胸がいっぱいになったギンは、力なく瓦をずり上がった。
「アカン…当分ボク立ち直れへ…ん?」
 ギンを追うように体の向きを変えた乱菊は、ギンの背後を指して口をパクパクさせている。
「覗きとは随分と高尚な真似しとんのぉ、市丸?」
「ホントですよ〜」
 つい先刻まで取っ組み合っていた二人が、仁王立ちで見下ろしていた。
「じゃアタシは帰り道にこのお嬢さんを学院まで責任もって送り届けますね」
「おう、頼むわ」


 繁みから覗き始めたギンの存在を、平子も浦原もはじめから気付いていた。平子に用があって探しに来たものの好奇心に負けたのだろう、と見当をつけて、ギャラリーが増えたことに気を良くした浦原が悪乗りしただけで、最初から本気で喧嘩などしていなかった。覗かれても構わなかったとはいえ、自隊員への注意は平子の管轄である。
 今度こそ本気で唾を飛ばして怒る平子に首根っこを掴まれてぶら下げられているギンは、平子の叱責どころではない。必死に首を捻ると、涙に滲む細い眼で平子を見上げた。
「なぁ、隊長さん。惚れた娘がだんだんワイルドんなってくん、どないしたら止めれる思わはります?」
 全く堪えていないのは悩みが深いからか、自由な隊風に染まっているからか…
「はぁ?知らんわ、ボケ」

 宙に放り投げられたギンが描く放物線を意識で追いながら、平子は浦原が去っていった方角を見やった。
「可愛い子ちゃんやからぁ云うて手ぇ出しとったら…ぶっ殺す」



 * * *

隊長格二人の喧嘩の原因はご想像にお任せします

ギンは逢う度に逞しく変わっていく乱菊を、涙ながらに許容していってたら良いな、というお話。それをゆるく見守ってくれる大人が居てくれたら尚更良いな、という妄想で失礼しました
稲荷

2012.3.28


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