おやすみ

□報われることは無いでしょう
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カキーン


透明な金属音を轟かせながら
白いボールは綺麗な弧を描いて飛んでいく
真っ青な空の下をまるで切り裂くようにぐんぐん飛距離を伸ばしていくそれは
幼い頃に映画で見た、スペースシャトルの打ち上げシーンによく似ていた


「おー。飛ぶなあ」

「おい宮地!!ちょっとは加減しろよ!」

「野球なんだからホームラン出すのは当たり前ぇだろーが」


文句を垂れながらも、木村サンは急いで白球を取りに行き
大坪サンはキャッチャーマウンドで苦笑いを零している
一方、超ド級ホームランを弾きだした張本人の宮地サンは
悪戯が成功したときの子供のようなひどくあどけない笑顔を貼り付けて意気揚々と一塁へ走り出していた

ああいう顔を見ていると、いつもは怖い先輩というイメージの強かった三人が
一気に男子高校生らしさというか、子供っぽさというか、
あの人たちも俺らと二つしか違わねえんだなという気持ちを思い出させてくれる
いつもあんな風ににこにこしてりゃいいのになー
いや、にこにこはしてるか。喜怒哀楽で言えば間違い無く怒の感情でだけど


「あれ?」

「あ。」

「やっぱり。高尾くんだー」

「ちわーっす」


そんなことをグラウンドの隅で座りながら考えていると
目の端で揺れたのは長くも短くもないプリーツスカートで
顔を上げれば、○○先輩ははにかむような笑顔をくれた


「なにしてるの?」

「野球観戦っす」

「選手、三人しか居ないみたいだけど」

「そ。だからピッチャーがボール拾いに行くんすよ。面白いでしょ」

「なあにそれ」


めちゃくちゃね。って
けたけたと楽しそうに笑う先輩の声が鼓膜を優しく揺さぶった
制服が汚れないように土を払い座る仕草や、風に絡まった髪を直す指は自分のそれとは似ても似つかなくて
座った途端ふわりと香る甘い匂いに
やっぱり、先輩は女の子なんだなあなんて馬鹿なことを改めて痛感した
いやいや、別に今まで女だと思ってなかったとかそんなんじゃなくて、
なんていうかその、そういう認識って普段あんまりしないから
こういうふとした瞬間にそれに気づくとさ、なんつーの?ほら、俺だって年頃の男の子だし?
ドキッとしちゃったりするわけよ

って、なんで弁解してんの。俺


「緑間くんは?」

「なんか職員室に呼ばれて行っちゃいました」

「待っててあげるんだ」

「帰っちまうとリアカーが無いって真ちゃんが怒るんすよー」

「ふふ。緑間くんらしい」

「センパーイ、俺はー?」

「はいはい。優しい優しい」


そんな会話の果てに先輩は
ちっちゃくて柔らかな掌で、まるで子供をあやすように俺の頭をくしゃくしゃと乱した
あーあ。これ、無意識でやってんのかねこの人は


「で、」

「え」

「何で野球?」

「ああ」


明日バレーの練習試合があって、そのせいで今日はずっとバレー部に体育館をとられてしまっていること
そして、今日は授業後先輩たちと一緒にもんじゃを食べに行くつもりでいたこと
なのに真ちゃんがこうして遅れてしまっているため、それが終わるのを待ちつつ
ふと目に止まった仕舞い忘れの野球道具一式(正確には体育の授業で使うソフトボール用のものだが)で遊んでしまっていることを
大まかに、それでも、できるだけわかりやすく説明すると
面白そうにけたけたと、跳ね回り転がる鈴の音のような笑い声をあげて
なあにそれ。と
さっきと同じ言葉を繰り返した

うん。やっぱ、違ぇなあ。

高くて澄んだ声も、柔らかな掌も、
扇のような長い睫毛も、力を入れたら折れてしまいそうな手足も、
男の俺とは全く違う
きっと、ちょっとしたことでなんてことなく傷ついてしまうんだろう
硝子や砂糖菓子なんかより、ずっとずっと脆くて
誰かの傍に寄り添いながら、誰かと一緒に笑っているのがとびきり似合う、そんな人


「でも、ずるい」


だからと言って、


「私、清志からそんな話聞いてないよ?」




その『誰か』が『俺』になることは

絶対にありえないのだけれど





話していたときとはまた違う
不満気な声の中に混ざる、愛おしさの欠片
細めた目が見つめる先は確実に俺ではなく
学ランのままにも関わらず満塁走り終え、本当に人が変わってしまったようにいい笑顔ではしゃぐ彼に注がれている
紡がれた清志という三文字は
あんなにも優しい音で、聞こえるものだっただろうか


「私ももんじゃ焼き食べたい」

「宮地サンに聞いてみたらいいじゃないっすか」

「だめよ。絶対『また今度な』って言われるもの」


ずるいずるいと繰り返す先輩を
きっと、あの人はしょうがないと呆れながらも手慣れた様子で諌めて
機嫌を直してしまうんだろう
ぶっきらぼうで、怒りっぽくて、
それなのにとても優しい、不器用なあの人に守られながら
先輩は満面の笑みを俺にくれる
俺のためじゃない、宮地サンのために作った
残酷なほど幸せに満ちた笑みを


なんでかなあ


「先輩」




あんたの隣に居るのは、なんで、俺じゃねぇんだろ




「俺が誘ったっつったら、宮地サンも許してくれるかもっすよ?」

「えっ?」

「聞いてみるだけ、聞いてみたらどうっすか」

「で、でも、」

「だーいじょうぶっすよ!俺、怒られんの慣れてっから」


それに、記念日すっぽかされたら、誰だって嫌っしょ
苦笑いしながら呟いた記念日という言葉がちくりと心臓を刺すようで
先輩の赤く染まった頬が、痛みに拍車をかける
それを悟られないよう貼りつけた笑顔はあんまりに滑稽で
先輩が見せるものとは、あんまりに違いすぎて
塩を塗られた傷口のように、じくり、じくり、化膿が進む


「ありがとう。高尾くん」


若干強引に送り出された先輩は
振り返ってそう一言、そして、やっぱり笑顔を添えてから
足早に彼の元へ駆けていく
急に開けた隣側と、憎らしいくらい絵になるふたりを見つめながら
俺は服の上からまるで心臓を握り潰すように押さえ
やっと、煩わしいこの痛みに耐えることができた



ああ畜生。泣きたくなるくらい、空が青い








 

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