おやすみ
□もがいた先にあった未来
1ページ/1ページ
∵ヒロインが幽霊になっちゃってます。
「…ちゃん。××ちゃん」
ずるずる
鼻をすする音と
「××ちゃん。××ちゃん」
えぐえぐ
嗚咽を漏らす音
「ひぐ……××ぢゃあん…」
それからそれから
情けなく私の名前を絞りだす、小さな声
真っ暗な部屋に響くのはたったそれだけの音で
他には虫の声すら聞き取れなかった
幾ら冬の終わりと言えど、きっと虫達もまだ寒くて地上になんて出られないのだろう
そんなわけだから私の周りでは、斎藤くんが発するその3つの音以外には本当に何も、
それこそ、外に広がる恐ろしい程に真っ暗な夜に吸い込まれてしまったかのように、何も聞こえない
実戦学習のときに誰かが命を落とすことはこれまでだってよくあった
それは高学年になるにつれて頻繁なものになり、その度に私は気をつけなくてはと、言い聞かせていたつもりだった
しかし物事とは考えるより遥かに上手くいかないもので
あれだけ注意していた筈なのに、火縄銃の流れ弾は私を嘲笑うみたいに心臓を貫いて
気づいたら倒れてて、気づいたら面白いくらいに血が吹き出して、
そして、気づいたら、呆気なく死んでしまっていたりする
でも、それが今の世では普遍的なことであるから
というか、ただ単に私の不注意によって引き起こされたことなのだから嘆いたって仕方が無い
きっと度量も器量もそこそこだった私にはここらが潮時だったのだ
不思議と悲しみもなかったし、痛みや苦しみも噂で聞くより少なかったんじゃないかとさえ思う
そこそこの私が死ぬには申し分ないほど良い状態で死ねたのだから不満は無い
ただ、ひとつ誤算があるとするなら
今もこうして私がこの世に留まり続けてしまっていること、それだけだ
どうして肉体から離れているのに、私はまだここに居て、自分の死体を悠々と眺めているのか
信じてなかったけど、本当に幽霊って居るんだなあ
と、妙な感動に浸ったときもあったが、徐々にそれは薄れていって
残ったのはそれこそ読んで字の如く、なんとも言えない後味の悪さだけだった
だって自分の結構アレな体とか、みんなが棺桶の前ですすり泣く姿とか、見ていていい気分にならないのは当たり前でしょう
どうにかして極楽浄土(であって欲しい)に逝く方法が無いかと思案してみるものの
如何せん死ぬこと自体が初めてだから解決策は全く思いつかない
みんな普通こうなのか。その、死んだら
一回こうして幽霊になって、御伽噺でよく見るような
お釈迦様とか、仏様みたいな人に助けてもらうのだろうか
それとも、死んで意識を取り戻したときにはもうその場所に居るのだろうか
そういえば幽霊はこの世に未練がある人がなると言うけれど、本当なのだろうか
頭の中には解決策どころか、そんな疑問ばかり溢れていく
「…っふ」
「…」
「ゔぇ…ぐすっ…」
「…」
「うぅ……××ちゃん…」
「…泣きたいのはこっちよ」
聞こえないと知りながら、溜息混じりにそう呟く
全く、いい年した男の子がそんなに泣くものじゃありません
あーあ。目、擦っちゃだめだよ。腫れちゃうよ?
膝を折り(というのは感覚だけに過ぎないが)斎藤くんの傍に腰を下ろす
横から覗く彼の顔はこんな真っ暗な闇の中でもわかるくらい涙でびしょびしょに濡れていて
擦ったせいだろうか、目元や鼻先は既に真っ赤になってしまっている
口から零れる吐息は熱っぽく湿っていて、
ハの字にひしゃげた眉が、綺麗な顔を悲痛に歪めるのだった
「私だってね、死にたくて死んだわけじゃないよ?」
「ひっぐ……ゔっ…」
「でもしょうがないじゃない。死んじゃったんだから」
「××…ちゃん……」
「そうやって悲しんでくれるのは嬉しいけどさ?生き返らないものは生き返らないの」
「やだよお……ぐすっ…」
「やだって言われてもなあ…」
ふたりでいるのにさっきの音たちに混ざるのはひとりごとばかりで
噛み合っているように聞こえる会話は、当然私にしかわからない
ああそうか。これが、死ぬってことか
周りが言っていることは全部聞こえる、見える、感じられる
いつもとなにも変わらない。生まれてからずっと、幾度と無く繰り返してきたこと
でも周りにそれは伝わらない。声も、姿も、何もかも
届かないんだ。すぐ隣に居るのに、まるでずうっと遠くに居るみたいに、全部、空を切ってしまう
ここに居るよ。
私はここに、居るんだよ。
たった一言そう伝えることすら、不可能なの
「××ちゃん…」
「…」
「、っ…やだよう…」
「…」
「や、だ……やだあ…」
「…うん」
「××ちゃん…っ」
「………私も、やだなあ」
本当はね、
あの授業が終わったら、伝えたいことがあったんだ
くノ一っていう職業に就こうとしてる私には絶対無縁でなきゃいけないことなんだろうけど、
この学校に通っている以上、それは犯しちゃいけない暗黙の了解なんだろうけど、
私は、きみに恋をしていたんだよ。斎藤くん
もしもあの授業を無事に帰ることができたなら、
一生懸命言葉を選んで、
熱くなる頬を押さえて、
煩い心臓をばくばくいわせて、
きみのところへ行っただろう。
きみの返事が善かろうと悪かろうと、
最後は胸張って、ありがとうと言えただろう。
もしも今日、流れ弾に当たるとわかってたなら、
もっともっと周りに気をつけて、
絶対油断なんかしないと決めて、
必ず生きて帰ろうと覚悟して、
必死に生にしがみついただろう。
私はその位
ほんとにほんとに、きみのことが大好きだったんだよ。斎藤くん。
未だわんわんと子供のように泣きじゃくる彼に届けたかった
稚拙で、それでいてこの上なく大事な告白は夜の帳に溶け消えて
真っ暗な部屋に響いたのは
ずるずる
えぐえぐ
それからそれから
情けなく私の名前を絞りだす、小さな声
たった、それだけの音だった。
−−−−−−−−−−−−−−
title:孤独童話さま