おやすみ

□だって誰も救えない
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真夜中の闇が怖いのだと言えば、
呆れたようなため息の後に待っていたのは少しの苦言
それから、しょうがないとでも言いたげな渋い顔と、朝まで側に居てくれる優しさがあった
ひとりが怖いのだと言えばお前が今まで一度だってひとりだったことがあるかという問いとぎゅっと繋がれた手の温もりがあり、
死が怖いのだと言えばだったら強くなれと叱咤され抱きすくめられたその胸の中で聴く鼓動があった

幼い頃からあたしの周りには恐怖と不安ばかりが溢れていて、年を重ねるごとにそれは大きくはっきりと目の前に姿を表すようになったが
それでも、彼に助けを求めればそれらは呆気なく小さくなって、水面のあぶくのようにパチンと弾け居なくなった
そんなの本当はただの思い過ごしでその場限りのなんてことない目眩ましだということは前からわかっていたのだけれど
それでも彼の側にいるときだけは、
眩しいくらいに迷いのなくただひたすらに前を見つめる、彼の隣にいるときだけは
そんな彼の目も眩む程の光に、飲み込まれ消えていくような気がしたのだ


「文次郎」


その気持ちは彼と出会い6年経った今もずっと変わることは無く
一種の信仰にも似た気持ちとなって、あたしの心臓に巣食っている


「××」


また今夜も予算の決算で徹夜したのだろうか
それとも、小平太や長次とまた馬鹿みたいに鍛練に励んでいたのだろうか
彼の目の下には、くっきりと痛々しいくらいの隈がひかれている


「お願いがあるの」

「………またかよ」


お前のその癖、なんとかならんのかと愚痴る彼の眉根に刻まれた皺に
あたしは堪らず苦笑いを零す
こうしてあたしが『お願い』をするときは大抵何かを怖がり消したがっているときだと、彼も経験の中からわかっているのだろう
結局あたしは、一年の頃からずっと彼に甘えてばかりだ

そう、


「あたしは」


反吐が出る程にあたしは甘く、





「あたしが、怖いんだ。文次郎」





そして、あんまりにも、弱い。



ぴたりと彼の動きが止まる
その目は先程の柔く緩んだものとは違う
観察し現状を把握する、獲物を狩るときの獣にも似た目
いくら暗闇とはいえやっと彼も気づいたのだろう
あたしの忍装束が桃色ではなく烏の羽のような黒色をしていること
そこから火薬と皮膚を炙ったような生臭さが薫ること

そして、あたしの声が、少なからず震えていることを


行儀見習いだけを習得できる程、くノ一教室は甘くない
忍たま同様、必死になって教科書片手に人殺しの術を勉強し
人の急所を突く訓練をして、人を騙し、誘い、絆し、時には体さえ重ねながら、平気で嘘を吐く
そんな人間になるためだけにある学校、有能な人殺しだけを育成するための、ただそれだけの学び舎
予想してなかったと言えば嘘になる。覚悟していなかったかと聞かれれば勿論否だ
しかし想像するよりも身をもって感じる現状は
時として何よりも、この身を抉る刃となる


「人をころした」

「…」

「泣き叫んで助けを求める人を、ころしたの」


今でも目を瞑れば瞼に張り付くあの光景
燃え盛る業火、飲み込まれる民家や家畜、母を呼ぶ幼子の声
泣いて恐怖を振り払おうとする姿は彼に縋るあたしそっくりで
苦無を突き刺し、まるで堰の崩れた水脈のように噴出す血が顔面を濡らしたとき、やっと気づいたのだ
ああ。あたしは、あたしがいつもいつも怯えている恐怖や不安に、自分自身がなってしまったのだと
彼のように縋ってきた相手を救い出すようなこともせず
助けるどころか突き放すように刃を振り上げ、冷たい永遠の恐怖の底に相手を突き落としてしまったのだと

そして、そのことに最早あたしは心を痛めることもせず
教科書の模範通りの己の殺人術に、何の疑問も感じなくなってしまっているのだ。と


「文次郎」

「…なんだ」

「あたしは、何か間違っていたかな」


小さな問いかけに真摯な言葉がすぐ飛んできた。寧ろ満点だろうな、と
彼らしい受け答えにまた苦笑いして、そして、それから、少しだけ泣きそうになった


「人をころしたのに」

「いつかはそれを生業とすんだろうが」

「何の抵抗も無かった」

「心を殺すのは忍者の鉄則だ」

「文次郎」

「間違っちゃいねぇよ」

「もんじ、」

「お前は何も、間違っちゃいねぇ」


彼の口から零れる言葉ひとつひとつが
池に投下された石のように重く積もり、沈んでいく
ああ、迷いのない真っ直ぐなその目が好きだ。彼のーーー文次郎の、揺らぐことのない芯の通った清い意思が好きだ
側に居たら恐怖や不安を全て飲み込み消してくれる、目が潰れる位に眩しいお前が好きだ

だからね、




「それでもあたしは、あたしが怖い」




お前のその眩しさで
あたしのことも、殺しておくれ


















 

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