おやすみ

□かみさまになりたかった
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彼女が泣くことになるんだろうなとは、前々から薄々わかっていた

今思えばあの頃から彼女は彼の前ではそれはもう、なんというか、あからさますぎるくらい純真で
頬を薄紅に色付けしては赤子のように彼の側に寄っていっていて
他愛ない会話の筈なのにその顔は幸福しか知らないように緩み、彼の一言に一喜一憂し、彼女の瞳は、確実に彼と彼以外の世界として遮断されていた
勿論俺はその彼以外の世界の一部で
他愛ない会話をしたところで彼女は幸せそうにはしないし、一喜一憂もしないし
ましてや、彼以外の世界に溶け込んだ俺を彼女はその大きな目に映してもくれない
交わる目線は、交わったように見えるだけ
彼女のそれは、いつだって彼の姿を実像として反射するためのものだから

それでも俺には、そんな彼女との会話ひとつひとつが金銀財宝かのように煌めいていて
どれひとつ取ったって、まるで昨日のことのように思い出すことができた
彼女が彼の姿を追いかけていたように、俺だって彼女だけをただ真っ直ぐ見つめて追いかけていて
彼女のためなら何だって出来たし、何だってしてやれる気がした
例えそれが報われない思いだったとしても
彼女の側で、彼女の笑う顔が見られるなら
心臓に巣食い育ちはじめていた感情をぐずぐずと腐らせることに、躊躇いなんかどこにもなかった

ただひとつ気がかりだったのは、そうまでして彼女の幸せを願ったところで、結果として彼女は泣くことになってしまうということだった
彼も彼女も、仮にも忍を志す人間
学び舎を卒業するまでは今のままで居られる、が、しかし
その先は自分たちで決めた道を自分たちで歩むしかない
ましてや忍という命が軽んじられる世界で、今のままでのようにいられる保証は皆無
どうあがいたって、彼らは離れなければならなかった
刻々と迫る決別はじわじわと彼女の楽園を蝕んでいたし、どこにも行けない憤りは、俺の中に降り積もる一方で
多分そのときが、俺にとって一番辛かったときなんじゃないかと思う

そんな矢先、彼が戦で命を落とした
別れが嘲笑うように目下まで迫っていた、卒業試験の最中だった

きっと彼女はあの大きな眼からぼろぼろ涙を零して泣いたことだろう
見かけによらず感傷的な彼女のことだ。痛々しいくらいに悲痛な嗚咽をあげる小さな背中が容易に想像できる
想像、とは、実は俺もその戦で命を落としたひとりだからだ
敵に囲まれ殺されそうになっている農民を庇い死んだなど、我ながら情けない
胸を一突きにされ薄れていく意識の中、最期に聞いたのは彼の声だった

まだいきているかと、掠れた声には薄ら笑いが混じっていて
悔しいがそろそろ駄目みたいだと負けじと返した言葉が、しっかり発音できていたかは定かではない
それからぽつりぽつり言葉を交わし、惜しかっただの先生に怒られるだの、馬鹿なことを言い合ってはただ笑った
不思議と恐怖はなかった。こう言っては癪だが、彼のいつもと変わらぬ笑顔がそこにあったからかもしれないと、
今となってはそんな風にも思える

途中、漸く降りてきた気怠い眠気に
落ちそうになる瞼が世界を区切る、その刹那

「あいつのこと、頼んだぞ」

なんて、彼の声が脳内に響いて、

言い返してやりたい気持ちは山々だった
この状況でお前はまだ俺をコケにするのかと、殴ってやれたらどれだけよかっただろうと今でも思う
俺がどれだけお前になりたかったかも知らない癖に
俺がどれだけ、お前に向かうあの視線を望んでいたかも知らない癖に
俺がどんな気持ちで、心中で腐った想いをいつまでたっても消化できず
苦しんで苦しんで苦しんで、息がつまりそうな
お前以外の世界で、蹲っていたかも知らない癖に

しかし、潰れた喉からはそんな苦言ではなく不恰好に息が漏れる音だけが響いて
とうとう、ぷつりと途絶えた視界の端で
彼が嬉しそうに笑っているように見えた




***




それから、どのくらいの時間が経ったのだろう
わからないが、今じゃ俺はそんなお伽噺のような記憶を抱えたまま
戦も忍者も無い、少し淀んだ空気を纏う現代で悠々と生きている
苦無の代わりにシャーペンを握り、忍たまの友の代わりに今人気のバンドマンのアルバムに目を通す
コンクリートで固められた冷たい道を歩きながら
あの頃に比べ随分と小さくなった空を見上げれば
千切れ雲はのんびりと歌うように、
はたまた、柵ばかりで窮屈な俺たちを嘲笑うみたいに
絵の具を零した水溜りのようなそこを泳いでいく、そんな世界を


というわけで、やはり彼女は泣いている。


どういう訳かと言われればそういうわけでと言うしかないし、残念ながら俺にはそれ以上の感情を抱くことはできない
ただ、死の直前に彼と(半ば強引にだが)交わした約束を俺は守ることなく呆気なく死んだし
転生したのはどういうわけか俺だけじゃないみたいだし
そんな彼は、今も変わらず彼を想い続ける彼女を裏切り、別の誰かを愛している。たったそれだけのこと

別にそれを咎めるつもりも貶す理由も俺には無くて、
寧ろ彼女が前世の感情をそっくりそのまま持って来ていることを異端視すべきなのだ
記憶が無いのが当たり前。何も知らないのが当たり前
生まれる前のことなど、リセットして真っさらな状態で生きていくことが通常なのだから

俺は記憶を、彼女は感情を、
異端な腫物を孕んだまま、運悪く生きてしまった
たった、それっぽっちのことなのだ



「かみさまは、いじわるだね」


俺が彼女を想い、彼女の幸せを願ったって
彼女が未だに彼を想い、彼との幸せを夢見たって
それは全て過去の遺物。過ぎ去りし頃の、俺たちでない俺たちのもの
今の俺たちが共有していいものではない
だから、彼女の涙を止める術が見つからない
だから、そんな彼女の言葉に見合う程の、上等な嘘さえ言ってやれない
彼と最期の会話をした、あの時のように

「運命ってね、あると思ってた」

「…」

「馬鹿かもしれないけど、本当に思ってたんだよ」

「××、」

「大好きだった」


ほんとに、ほんとに、いちばん、だいすきだったの。


そう言って、またさめざめと涙を流す彼女の小指には、
神様ってのが作ってくれるはずの、赤い糸とやらは
どうしたって、見つけることが出来なくて

なあ、もしもそこに居るんだったら教えてくれよ。















(俺が神様だったなら、)
(今度こそお前を泣かさずにすんだのか)

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