落ちて堕ちて

□3話
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彼が忍だと言った時、私は自分が思ったほど驚かなかった。
強いて言うなら、忍者だとしたらだいたい500年前の人かなあとぼんやり考えたくらい。
それはこの人の服装から何となく分かっていたからかもしれないし、疲れ切って仕事から帰ってきたところにこんなことが起こって、まだ整理がついていないからかもしれない。

ただ一つ言えるのは、彼が嘘を吐いているようには見えないということ。
それならば、現実的には考えられないことが私達に起こっているということになるけど、私は私のできることをしよう。
まだ自分の頭の中はぐちゃぐちゃで余計なことを考える暇はないけれど、せめて彼の手助けになれたらと思った。

「そ、っか。
急にこんなことになって、辛いよね……。
こういう時どうすればいいのか分かんないんだけど…とりあえず傷の手当て、しようか」

私、変なこと言ってない……よね。
思いながら苦笑いを含ませてそう言うと、彼も少しぎこちなさそうに笑って素直に頷いた。
さっきまで敵意を(敵ではないことは分かってくれたようだけど)剥き出しにしていた顔とは違って、それはとても穏やかで。
どうして彼みたいないい人がこんな大変な目に遭わないといけないのだろう。

消毒液を染み込ませたティッシュを傷口に当てる。

「ちょっと染みるかも」

「っつ…大丈夫、です」

「ほんとに?」

「…痛いです」

思わず小さく笑い声を漏らしながら、可愛いところあるんだなあなんて思ってしまった。
私が笑っているのに気付いて、彼も照れくさそうにする。

私が大きめの絆創膏を取り出してその傷に貼ろうとすると、彼は少し身を乗り出して不思議そうにそれを見た。
もしかして、絆創膏を初めて見たとかそんなところだろうか。
あの時代にこんなものはなかっただろうしなあ。

「これって……治療道具なんですか?」

「ん?これね、絆創膏って言うんだ。
ほら、ここの布を傷に当てるの」

「ばん、そうこう…」

きらきらと好奇心に満ちた瞳。
初めて見るものだから面白いのは分かるけど、治療道具にここまで興味津津になるなんて…と感心してしまった。
忍者は傷をたくさんつくるからだろうか。
今回だってこんなに怪我をしているし、きっと手当は欠かせないんだろう。

「あ、じゃあこれは?」

「テープ、って言えばいいのかな。
これで包帯を留めるんだ」

「へえ……」

呟くように言いながら、まじまじと救急箱を見つめる姿。
こちらの言葉も届かないくらいに夢中になっているようだ。
まあ、物を散らかすような人じゃなさそうだし、見せてあげるのは構わないんだけど……

「とりあえず…怪我の手当、しない?
あとでいろいろ教えるからさ」

小さいものではあるけれど、まだ傷の残っているその姿を見ているのはやはり痛々しい。

ね、と言ってその背中をぽんと叩けば、彼はびっくりしたようにこちらを振り向いて照れくさそうに笑った。
本当に子供みたいに思えてしまう。

「あはは…ごめんなさい、夢中になっちゃって…」

「ううん、そんなのは全然構わないんだけど。
ただ……こういうの、興味あるのかなって」

周りのものが目につかないくらい一生懸命なこと、それ自体は確かに子供のようだ。
でもその対象が明らかに専門的なものだから、ギャップというか、そういうものを感じてしまった。

「はい、楽しいです!」

あまりに純粋な笑顔で言うものだから、微笑ましくなってしまった。
いろいろ話を聞いてみるのも悪くないかも、なんて状況に似合わないことを考えながら、私は新しい絆創膏を取り出した。

「そっか。
じゃ、手当が一区切りついたらね」







―――










どうやら私は違う世界……というか、未来にやってきてしまったようだ。
そのことを教えてくれた目の前にいる女性は、◇◇さんと名乗っていた。
ひょんなことから出会った彼女は、見ず知らずの私の手当をしてくれた。
その上、しばらくの間私をここに留めておいてくれると言う。
これを不幸中の幸い、と呼ぶんだろう。
偶然と言うには、不運委員長と呼ばれる私が恵まれ過ぎてやしないだろうか。
かと言って彼女を疑うことは頭の片隅にもなくて、私はいつの間にかその優しさに頼りきってしまっていた。
でも今まで不運だったんだから……まあ今ぐらい、いいんじゃないかな。

半分教えつつではあるが、手当をしてもらいながら私たちはお互いが知っている限りのことを伝えあった。
◇◇さんのそれを聞く限り、この世界は私がいた時代の約500年後らしい。


彼女は私の話に興味を持ってくれたらしく、ついこちらも学園の色々な話をしてしまった。
自分が忍術学園というところの生徒で、その実習をしている時に穴に落ちて気付いたらここにいた、という話をすると、彼女は「だから土だらけだったんだ」と困った様に笑っていた。
……どうやら私はだいぶ迷惑をかけてしまったらしい。
そういえば、忍術学園があることを伝えたときも、◇◇さんは何か難しい顔をしていたような気がするが、気のせいだろうか。
まあ、気のせいだろう。




「保健委員長?」

「はい、だから手当とか治療とか、そういうことの勉強が好きで」

「ああ、なるほどねー。
どうりで一生懸命だったんだ」

「最上級生ですから!」

「あはは、嬉しそうで何より」


どうやら彼女は私が治療道具に興味を持っていたのが気になっていたらしい。
訳を話せば、◇◇さんは私の腕に包帯を巻きながら見えない顔をほころばせていたようだった。
楽しそうな声に少し嬉しくなりながら耳を傾けていると、彼女は感心したように言った。

「最上級生かあ……
だから生徒って言っても大人なんだ」

「大人、っていうか、まだ15ですけど」

「………うっそだあ、もっと大人っぽいもん」

「本当ですって!」

昔の15歳って、大人っぽかったんだなあ……と、しみじみ言う◇◇さんに、この時代の15歳って一体どんな感じなんだろうと考えてしまった。
そう考えていると、私の思っていることが通じたのか彼女は「あ」と、思いついたように顔を上げて言葉をもらした。

「15かあ……
うちの弟が18だから話合うかなって思ったけど……あいつ子供っぽいから逆に伊作くんの方がつまんなくなっちゃうかも」

苦笑混じりに言って、◇◇さんは包帯を巻き終えた腕をぽんと軽く叩いた。
お粗末でごめんね、とは言われたけれど、それはやり方を聞いたばかりだというのにとても綺麗だった。
教えた方としても嬉しくなってしまう。

「そんなことないですよ!
わざわざありがとうございます」

「あはは、そう言ってくれると助かるな」

「弟さんにも、会ってみたいです。
……私が言えたことじゃないかもしれないけど」

◇◇さんだから言えたけど、500年前からやってきたなんてどうやって信じてもらえばいいだろうか。
無理を言っているのを感じて申し訳なく思っていると、◇◇さんはそれを吹き飛ばすように笑った。

「もしかして、違う世界の人間だから、とか思ってるの?
大丈夫、あいつはそんなことで偏見持つような奴じゃないからさ。

伊作くんみたいな子と話せたら、きっと向こうも楽しいと思う」

「ね」と笑うと、彼女は閉じた救急箱を持って部屋の奥へ行ってしまった。
短い時間で、この笑顔にどれだけ救われただろうか。

「ありがとう、ございます」

なんだか照れくさくなって、私は俯いてしまった。
自分の身体を見直してみれば、数えきれないほどの傷が彼女によって手当されたことに改めて気付く。
部屋の奥へ耳をすますと、こぽこぽという水の音が聞こえた。
何故だろう、その音で私は心が穏やかになっていくのを感じた。

もう少しだけ、頼ってもいいだろうか。

◇◇さんの気配を感じて、ことり、とすぐ傍で何かを置く音がした。
見ると、そこには湯気のたつ緑茶が入った湯呑みが置かれている。

「これ……」

「ちょっと落ちつけたら、って思って。
どうぞ」

ここは、私がいた世界と繋がっている。
それを伝えたくて彼女がこのようなことをしてくれたのでは、と何ともなしに思った。
さっきまで見慣れないものばかりで不安を生み出していた何かが、ふっと消えていくような感じがした。
ああ、こんな小さな湯呑ひとつで、安心できるなんて。


「じゃあ……いただきます」


温かいそれは、500年前の世界を思い出させた。
この世界に一人取り残されていたような感じが、温もりになって消えていく。

難しいことは、考えなくてもいいのかもしれない。









不運中の幸運







―――――――――――
勝手に弟設定作ってしまいました…!
ちょっとだけ楽しみにしていてくれると嬉しいです。

平木

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