小話@

□追想 ―赤司side―
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初めて香澄に逢ったのは、初等科四年生の冬の事だった。


両親に連れられて参加した政治家主催のパーティ−。


こういった場に顔を出すのは、今までにも何度かあり、両親が、主催者やゲスト達と歓談している中、気が付くと何時も自然に僕の周りには、同じ年頃の子供達が集まって来た。


「征十郎様!この間の、全国小学生将棋大会で優勝おめでとうございます」

「ミニバスの大会でも優勝したって、本当?」


全く面白味のない会話に、適当に相槌を打っていると、ふと着物を着た老婦人が、気分を悪そうにしているのが、目に入った。


周りの輪を抜け、そちらに足を向けようとすれば、ピンクのドレスに身を包んだ少女から、ぐいっと腕を引っ張られる。


「征十郎様〜!マリコもうすぐ誕生日なの!誕生パーティー開く予定だけど、征十郎様も来てくれる?」

「ごめん。その話は後で…」


舌打ちしたくなるのを抑えて、返事をした刹那。


「気分悪いんですか?大人の人呼んできましょうか?」


カチューシャを付けた紺色の長い髪に、水色のドレスを着た、僕よりも少し年上に見えた少女が、老婦人を見上げながら、声を掛けた。


「ありがとう。お嬢ちゃん!…年甲斐も無く飲み過ぎただけだから、ちょっと休めば大丈夫よ」

少女に目線を合わせる様に少し屈んで、その老婦人は笑顔を作り、返事を返す。

「あっちの隅にソファが置いてましたよ。案内しましょうか?」

「まぁ。優しい子ね!じゃぁ、お願いしようかしら」


この間にも、周囲から口々に話かけられていたが、全く僕の耳には入らなかった。


彼女と老婦人との一連のやり取りを、ただ僕は見つめていた。


二人が手を繋いで、歩き出そうとすると、僕の視線に気付いたのか、彼女が振り返り、
この方は大丈夫だよ。というばかりに、僕に向かって、にっこりと笑ってぺこりと会釈する。


彼女の笑顔に、僕の心臓が大きく高鳴った。


会釈を返すべきなのだろうが、惚けたように身体が上手く動かない。


「ねぇ、あの娘の事知ってる?」

視線は遠ざかっていく彼女に向けたまま、自然と口から洩れた言葉で、周囲の子達に問うと、皆分からないとばかりに首を振り「初めて見るよね」と、口々に声が上がった。

いつも一番に、僕に付き纏ってくる少女に視線を向ける。

しかし僕が他の女の子に、興味を示したのが気に入らないのか、明らかにむっとした顔で、ぷいっと視線を逸らす。

「マリコ、あんな娘知らない!」

「……そう」


どうやら、言葉と裏腹に彼女を知っている様子だったが、しかしそれ以上、僕は何も聞かなかった。

正直煩わしいこの娘とは、あまり関わりたくないのが本音である。



彼女にまた視線を移すと、老婦人と一緒にソファに座り、お互いにこやかに会話をしている様だった。



タイミングを計って、後で声を掛けてみよう。



そう思って、また適当に周囲と会話しながら、遠目ながら時折彼女を盗み見ていた。



彼女は、今度は知り合いらしき、20代後半の女性に笑顔で挨拶している。



まだ僕は見つめる事しか出来ない。



彼女がまた、僕に振り返って、笑顔を向けてくれる事を勝手に期待しながら。




そしてもう何度目か彼女の姿を視線で追った時。





不覚にも、会場内に彼女の姿は無かった。


視野の広さには自信がった筈なのに、見過ごした自分が信じられない。


彼女の名前を知っているかもしれない老婦人も、20代の女性も、その時には、会場から姿を消していた。


酷く落胆した自身の心情を隠すには、こういったパーティーに顔を出す子なら、また何処かで逢える筈だと、思考を切り替えるしか術がなかった。



そしてこの時の僕は、彼女との再会を難しい事だとは思わなかった。

現に、いつも僕に纏わり付いてくる少女達や、今日は見なかったが、後に悪童の二つ名を持つ花宮真とは、何度かこの様な場所では顔を合わせていたのだから。



しかし、この考えは結果的に甘かった。


あの日以来、パーティーと名の付くものに参加するたび、彼女を探してみたが、その姿を瞳に捕らえる事は叶わなかった。


あの時の僕は、一体何を愚図愚図していたのか。


『迅速果断』を座右の銘とする僕だけど、あの時は今よりも子供で、気分が高揚しすぎていたからだと思うのは、言い訳に過ぎず、後悔しか残らない。



不本意だが、あのマリコという少女の機嫌を取って問い質し、それが無理なら、両親の名を使ってでも、主催者やその関係者に、確認すれば良かった。




もう一度逢いたい。



今度は話がしてみたい



この気持ちの正体には、もう気付いている。




名前も分からないたった一度の邂逅の彼女に、僕は恋焦がれていた。




§




あの日から二年の月日が過ぎた。



卒業式を終え、帝光中への入学式を控えた春の日。


僕の想いとは裏腹に、彼女との再会のチャンスは、図らずも両親の手によって、あっさりとやって来た。



自宅のリビングで、一般的にお嬢様学校と言われている私立の女子中学の制服に、身を包んだ彼女の見合い写真を、母から見せられた。



この写真を見た驚きは、恐らく生涯忘れる事はないだろう。



「名前と年は?」

「紺野 香澄ちゃんよ。年は征十郎と同じで、この春から中一」


楽しそうな母の声によって、ずっと知りたかった彼女の情報が、紐解かれて行く。


年齢はどうやら少し読み違えたらしい。


「紺野?」

苗字に引っ掛かりを覚えた。


「そっ。今の与党の政調会長のお嬢さんよ」


なるほど。あの時参加したパーティの主催者と、彼女の父は懇意にしていた筈だ。


「再来週の土曜日のお昼に、食事に行く予定なんだけど大丈夫?」


「ああ。分かった」


淡々と返事を返しながら、その実、心臓の音が騒がしい。



――やっと、君に逢える。



「そう!良かったわ!!てっきり征十郎の事だから、興味ないの一言で一蹴されるかと思ってたのに…ふふっ、まさかこの写真で一目惚れしちゃった?」


「別に…そんなんじゃない」



実の親に自分の気持ちを知られるのは、何となく気恥ずかしかった。



それに一目惚れしたのは、写真が相手ではない。



あの日、僕の心を奪った少女が、将来の伴侶になる。



運命という言葉を初めて信じてみたくなった。




§




約束の日。


老舗の料亭に着くと、女将に先導され、両親が先に和室に入った。


設置された靴箱には、女性用の草履が目に入り、どうやら今日の彼女は和装らしい。


「征十郎?早く入りなさい」


僕を促す母の声。


「失礼します」


想像通り彼女は着物姿で、とても良く似合っていた。


緊張した面持ちの彼女と視線が重なり合う。


この二年間、僕の心の中に居て、忘れる事が出来なかった少女。



またあの時の様に、笑顔を向けてくれる?





―――それから一年二ヶ月後、彼女の両親が交通事故で亡くなった。




§




余談だが、彼女は僕の事は全く憶えていなかった。


僕が、勝手に懸想していた事実は自覚していたが、少なからず落胆した事は否めない。


そして香澄がこの日から、僕に少しずつ気持ちを傾けてくれるのは、また別の話だ。



(了)

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