小話@

□追想 ―夢主side―
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私が、征十郎さんと初めて会ったのは、私立の女子中学校に、入学したばかりの春の頃だった。


「香澄、お父さんと食事に行こうか」


思いがけない父の誘いに、喜んで頷いた。


親子とはいえ、私は普段、父とあまり接する機会が無い。

祖母と父と母、そして14歳年の離れた姉と暮らしているが、祖母や父は、先妻の子である姉に、大きな期待をかけていた。


後妻である母はそれが不満であり、せめて私が女ではなく、男として生まれていたなら、姉ではなく、跡取りとして私が祖母や父から、もっと目をかけて貰えた筈だと、良く愚痴っていた。


しかし、私が男として生を受けても、姉に張り合えるとはとても思えない。

現在、政治家である父の第一秘書を務める姉は、全てにおいて完璧な人だった。


そんな人になり代わろうとするなんて、思いもしないが、只、紺野家において、私の存在が無きに等しかった事は、この頃にはもう自覚していた。



父に言われるまま着物を着せられ、車で向かった先は、老舗の料亭。


「お前に引き合わせたい人がいる。年はお前と同じだが、くれぐれも、粗相のない様にな」


車中、父から言われた事により、父が私を誘った理由を察する事が出来た。

また同時に、用件なしに、父が自分に目を向ける事など無いと経験上理解していた筈なのに、単純に父の誘いに喜んだ自分が恥ずかしかった。


しかし、父の思惑通りに、お見合いを受けるくらいの価値は、私にもあったのかと思うのは、卑屈になり過ぎただろうか。



案内された部屋に通されると、先方はまだ来ておらず、父の隣で正座をし、待ち時間の間、私と父との会話は無かった。


沈黙に伴い、緊張感が込み上げてくる中、和室の庭の鹿威しが、二度鳴った時。



「こんにちは。遅くなって申し訳ありません」


御両親だろうか?

挨拶の言葉を口にしながら、30代の後半位の御夫婦が、先だって入室する。


「征十郎?早く入りなさい」

母親らしき人が彼を促した。



「失礼します」


この頃の征十郎さんは、まだ声変わりを終えてなく、今よりも少し高い声だったと記憶している。


洗練された動きで現れたのは、赤い髪の綺麗な少年。


まるで絶対的な全ての理を、見通したかの様な、赤と橙のオッドアイの双眸が私を見つめる。



―――それから一年二ヶ月後、私の両親が交通事故で亡くなった。



§



両親の命を奪った事故が起きたのは、六月半ばの事だった。


迎えの車を待っていた父と母がいた歩道に、ワゴン車が突っ込んだ為である。この時SPは傍にはいなかったらしい。


その後、相手の飲酒運転による過失が認められた。



現与党の政調会長であった父の事故死は、マスコミでも大きく取り上げられた。



詰め掛けた報道陣に取り囲まれながら、お通夜と告別式が執り行われ、祖母は息子の死を悼み、激しい涙を流しながら悲しみに暮れ、喪主である姉は、涙を滲ませながらも、気丈にその場を取り仕切っている。


お通夜と告別式には、征十郎さんと、御両親も弔問に訪れてくれていた。


私自身は、祖母と同じで、ただただ泣いていて。


この時征十郎さんは、泣いている私の傍にいてくれて、優しい言葉を掛けてくれた気がするけれど、正直あまり憶えていない。


紺野家に私の居場所は無いと感じながらも、それでも父と母の二人は、私の家族だったのだと、この時に痛感したのだった。



§



季節は夏に入り、四十九日法要を終え、納骨式を済ませると、姉に父の書斎に来る様に呼ばれた。


書斎で姉と向かい合う形でソファに座ると、姉が用件を切り出した。



「きちんと法に則り、遺産の分配を行います。但し、私はこの家の跡取りとして、この家を相続します。勿論、祖母の事は私に任せてちょうだい」


「はい」



「そして重要なのは、貴女の今後の事よ」


厳しい目をした姉に見つめられ、思わず視線を逸らし俯いた。



この家を出て行けとでも、言われるのだろうか?


私は完璧な姉に、コンプレックスを感じ、少し苦手に感じている。


対する姉は、義母である私の母とは、全く反りが合わず、妹とはいえ、その娘である私とは、距離を置いていた。


そんな関係である私達姉妹なのだから、まさか今更『これからも、一緒に仲良く暮らしましょうね』などといった和やかな言葉など、掛けて貰える筈もない。



しかし、姉が続けた言葉は、私の予想を遥かに超えていた。


「香澄、貴女去年お見合いをしたでしょう?その赤司さんが、貴女を引き取りたいと申し出てくれたの。花嫁修業だと思えばいいわ」




「………え?」


一瞬何を言われたのかが、分からなかった。


「正式な婚姻は、貴方達が成人してからだけど、それに万が一、彼と成婚しなくても、そのまま香澄を赤司家の養女として迎えたいそうよ」


許婚とはいえ、私と彼はまだ中学生であり、『結婚』の二文字は、まだ何処か遠くに感じていたせいか、いきなり突き付けられた現実に、言葉が出なかった。


要約すれば、どんな形であれ、私が赤司家の戸籍に入るのは、もう決定事項だという事だった。


「香澄?お父様が亡くなったとはいえ、約束が反故になった訳ではないの。今度の総選挙、私が出馬する事が決まったわ。党の公認も得ているし、父の地盤も私が受け継いでね…それでも赤司家とは、繋がりが欲しいのよ」



今度は、父の為ではなく、姉の為に動かなければならないらしい。


尚も言い募る姉の言葉が、どんどん遠くで聞こえる。


「貴女も、紺野性を名乗る以上、義務は果たしなさい。くれぐれもあちらの、機嫌を損ねる真似はしないで。まぁ、あちらは、貴女の事気にいって下さっている様だし、本人も随分貴女にご執心みたいだから、その辺は、心配してないわ。見合いの後も、何度かデートしてるみたいだし、香澄もまんざらじゃないんでしょ?」




あのお見合いの後、姉の言う通り、征十郎さんに誘われて、何度か二人で出掛ける事があった。


征十郎さんは何時も優しく私に接してくれるけど、小学校から女学校に通っていた私は、それまで、同じ年頃の男子と接する機会があまり無く、彼と会う時は、緊張感が伴い、あまり上手く会話が運べないでいた。


また私には、征十郎さん自身は知らない事だけど、彼に関して苦い記憶が一つあって、その事に後ろめたさがあった。


姉が、どんな意味を持って、『ご執心』という言葉を使っているのか知らないが、きっと彼には、つまらない女だと、呆れられているに違いない。



赤司家に入った後も、きっと、今と同じく自分の居場所などない。



それでも、私に拒否権はなく、覚悟を決めなければいけなかった。



「分かりました。いつ頃、引っ越せばいいんですか?」


「遠慮せず、身一つで来て欲しいと、おっしゃってたけど、此方としては、そうは行かないし、赤司さんともう少し話し合いましょう」


「はい。宜しくお願いします」



「ここが、貴女の実家である事に変わりはないわ。正式な婚姻までは、香澄の部屋もそのままにしておくし、年始とお盆には、必ず挨拶にいらっしゃい。お祖母様も香澄が来るのを、待ってるわ」


「ありがとうございます」


もう話も終わりだろう。

お礼を言いながら、ぺこりと頭を下げ、書斎を後にした。




一見優しげな、姉の最後の言葉だったが、もう私には、帰る家がないのだと自覚する。



涙は出なかった。


(了)

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