小話@
□プレリュード
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夏休みが続く中、八月のお盆が過ぎ、私は編入試験を受ける為、帝光を訪れていた。
赤司家との話し合いの末、私は現在通っている学校と、赤司のお家から遠い事を理由に、帝光への編入を勧められたからだ。
今の学校での、仲の良い友達と離れたくない気持ちがあり、最初は転校する気にはなれず、一度は断ろうかと思った。
そしてもう一つ躊躇ってしまう理由が私にはあり、むしろこちらの方が、比重としては大きいものであったかもしれない。
しかし、逃げてばかりではいられず、贖罪の想いが、私を帝光への編入を決心させた。
帝光には、同学年に、私の幼馴染の少女が通っている。
そして今現在、私と彼女は、大きな溝があり、距離が出来ていた。
他でもない。私の浅はかな言葉で、彼女を傷つけてしまったからだ。
去年の春。
征十郎さんとお見合いをした十日後、その幼馴染から電話で、大事な話があるから、会って話したいと連絡を貰った。
「香澄ちゃん、お見合いしたって本当?」
学校帰りのまま、帝光の制服を着た幼馴染と落ち合って、開口一番投げかけられた質問に、私は思わず面食らってしまう。
『大事な話』という言葉を聞いた時、彼女自身に何か困った事があって、その相談事なのかもしれないと、勝手な想像をしてしまっていた為、まさか私自身の事だとは思わなかったのだ。
「はい。この間、親を交えて一緒に食事に行きましたけど…」
「その人の名前教えて貰ってもいい?」
「……赤司征十郎さんです」
彼の名前を答えながら、そういえば征十郎さんは、今目の前にいる幼馴染と同じ学校に通っているらしい事に、今更ながらに思い出した。
「赤司君の事好き?」
同級生の彼の事を知っている様で、とても直球的な彼女からの問いかけ。
普段の私は、場の空気を読むのは、苦手ではなかった筈なのに、この時点で、何故彼女が私の許婚にこだわるのか、彼女の本意を察する事が出来なかった事に、後にこんなに後悔する事になるとは、思わなかった。
だから、正直に答えた。
「いえ、そんな感情は抱いていません」
私は携帯を持っておらず、自室にあるパソコンで彼とのメールのやり取りが始まったが、一度会っただけの彼に、恋愛感情などある筈もない。
「好きじゃないのに、将来結婚するつもりなの?」
私の答えに、顔色を失くしていく彼女を見て、頭の中で警鐘が鳴った気がしたけど、思考が父の存在に占められていく。
「父が決めた以上、仕方ありません。それに私達まだ中一ですよ。むしろこの先、破談になる可能性の方が、大きいと思います。私だけじゃなく、彼もそう望んでいると思います」
結局の所現実的に、私の父や彼の御両親からすれば、本人同士の気持ちなんて関係ない様に思う。
お家同士の問題なのだ。
双方メリットの大きい方へ簡単に傾くに違いない。
「何それ?それじゃただの人形でしょ!!しかも、自分の口から断らないくせに、人任せで破談になればいいって、そんなの征十郎様に対して失礼よ!!」
彼女の突然の怒声に、瞠目した。
……征十郎様?
彼女の口から、その名前を聞くのは恐らく二度目だ。
……最低だ。
私は、何でこの事を失念していたんだろう。
今私の目の前で、激昂する中学生の彼女と、初恋の人を嬉しそうに語り、まだ自分自身の事を名前で呼んでいた小学生の彼女が重なる。
―――征十郎様は、マリコの王子様よ!
「あ……マリちゃん、もしかして…」
「やっと気付いたの?香澄ちゃん普段は、人の気持ちには敏感なのに、自分の家の事になると、余裕なくて超ネガティブ思考になるもんね!そうよ!昔一度だけ、言った事あったでしょ!私赤司君の事が好きなの!!香澄ちゃんがそのつもりなら、赤司君の事、私絶対認めないから!!」
捲し立てられたマリちゃんの言葉に、返す言葉がなく、私はその場でただ立ち尽くすしかなかった。
§
「ありがとうございました。失礼します」
三教科行われた筆記試験が終わった。
試験監督の先生に一礼して、教室を出ると、廊下の壁にもたれながら腕を組む征十郎さんの姿があった。
「そろそろ終わる頃だと思って、練習抜けてきた。お疲れ。どうだった?」
「有難うございます。征十郎さんに教えて頂いたおかげで、スムーズに解答出来ました」
今私が通っている学校よりも、帝光の方が授業内容が進んでいるらしく、編入試験の日程が決まってから、パソコンのスカイプを使って、征十郎さんに、勉強を教えてもらったのだ
全国大会を控えているのに、今もこうやって貴重な時間を割いてくれている。
婚約者としての義務感とはいえ、本当に優しい人だと思う。
「あっ!やっぱり赤司君、ここに居たんだ」
帝光生らしいピンクの色彩を持った美少女が、突然此方に向かって声を掛けてきた。
「監督が探してるの。体育館戻って貰っていい?」
「桃井か…分かった。今から戻る」
「うん!所で赤司君、この方が噂の赤司君の婚約者さん?」
桃井と呼ばれた美少女が、瞳をキラキラ輝かせて私を見つめる。
「ああ。そうだよ」
「やっぱり!!確か同い年だよね?私、バスケ部のマネージャーをしている桃井さつきです!よろしくね!!ちょっと、ここでお話させて貰ってもいい?」
桃井さんは、私の手を取り、両手を使って勢いよくぶんぶんと、握手してきた。
「はい。紺野 香澄です。宜しくお願いします」
自己紹介しながらも、彼女の、気持ちの良い元気良さに、圧倒された。
「桃井…香澄は、今試験が終わったばかりで、疲れているだろうから、お前の好奇心に、あまり香澄をまきこむなよ…」
私達を見て征十郎さんは、やれやれと嘆息した。
「分かってるよ!大丈夫!!」
「じゃ、僕は戻るから…香澄、夜また連絡するから。帰りは気を付けて…」
「はい。ここまで来てくれて、有難うございました。練習頑張って下さい」
「有難う…頑張るよ」
征十郎さんは、柔らかく微笑んだ後、体育館へと向かって行った。
「うわ〜!赤司君今の笑顔、凄い甘かったよ〜!貴重なもの見た感じ!!今のは彼女の特権だよね!!」
「え?」
彼は何時も優しい笑顔を浮かべる人だ。
それは皆平等である筈だし、それに『彼女』という言葉に、恋愛的な響きを感じたが、私と彼の関係には、当て嵌まらない様な気がした。
「桃井さんは、私と征十郎さんの事、御存じなんですか?」
「うん。私だけじゃなく、校内の皆知ってるよ!赤司君有名人だからね〜それに、他校に彼女がいるって事、隠してないから、皆興味津々だったんだよ!実は私もその一人なんだけどね」
そう言って、ぺろりと舌を出す仕草の桃井さんは、とても愛らしかった。
「その制服フェリシア女学院でしょ?今度ウチに転校してくるんだよね?」
「はい。来月の新学期から、お世話になります」
今着用しているこのセーラー服は、あと何回着れるだろうかと思うと、少し切なくなった。
「そっかー同じクラスになりたいけど、それだと赤司君とクラス別れちゃうし。ね?香澄ちゃんって、呼んでもいい?私の事も名前でいいから!」
「はい。是非お願いします。さつきちゃん…」
不安の気持ちが大きく心を占めていたけど、さつきちゃんが、もたらしてくれた暖かい感情が嬉しくて、頬がじんわり熱くなる。
しかし、第三者によって、その空気が一変した。