その他

□「2」
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 この世に生を受けたその日から、「生きる意味」は決まっていた。

決して定められた道から外れぬよう、がんじがらめに足枷をかけられた。

私の生は、この忌まわしい「意味」を与えた世界にひたすらに噛みつくためにあったのかもしれない、なんて思うほどに。



「嫌です!」
「今さら何を言うのだ、待ちなさいトゥイ!」
「待ちません!」
「もう時間なのだぞ!どこへ行くのだ、トゥイ!」

威圧的な父の視線が私の眼を射抜き、低い声が荒々しく空気を打った。
けれど私はそれに怯むわけにはいかない。
怯むつもりは毛頭無いし、この意地だけは貫かなくてはいけないのだ。

着慣れない礼服の煩わしさに顰めたままの目で、私は負けじと父を睨み返す。
今までで一番頑なな私の抵抗に、父の瞳が一瞬揺らぐのは見逃さない。

「嫌と言ったら嫌です、私はっ…」

待て、と父が止めるのを無視し、私は重い扉を目いっぱい押した。

「父上が決めた許婚との結婚など、絶対にしません!!」


そう。絶対に嫌だ。

これ以上、父の決めた道を歩き続けるなんて。





 暗いアジア支部の廊下を私は闇雲に走った。
誰か、父の側近に見つかったらきっとすぐ捕まって連れ戻されてしまう。

そうしたらこのまま、礼服を纏い髪を女らしい形に結いあげた仮初の私は、生まれる前に父が決めた許婚とやらと顔を合わせねばならない。

「そんなことになってたまるかっ…」

息を切らせながら、私はひたすらに暗い廊下を駆け抜ける。
伊達に物心ついた時からこの支部で過ごしていないのだ。
他の誰も知らない隠れ場所ならいくらでもある。

主役の娘がいなくなって、憎たらしい父の面目なんてすっかり潰れて、ついでに父が振りかざす権威も全部吹っ飛んでしまえばいい。


子供じみていると分かっていても、私は心底そう願った。


「…もう、平気か…?」


 流石に息が続かなくなり、私はゆっくり立ち止まって後ろを振り返った。
誰かが追ってくる気配は無い。
上手く逃げられたのだろうか、と安心したら急に身体が重くなり、私はずるっと埃まみれの壁に寄り掛かって座り込んだ。

だがその途端、頭上から呆れた声が降ってきて私の肩がびくりと跳ねる。

「鬼ごっこは終わりだぞ?トゥイ」

アジア支部の守護神、フォーがやれやれと言った顔で見下ろしていた。

「…フォー…」
「お前らしくねぇな、トゥイ。あたしに見つからないと思ったのか?」

尤もなことを言われ、私は恥ずかしさと悔しさで唇を噛んだ。
私の隠れ場所はあくまで人間から隠れているだけで、守り神であるフォーには通用しないことをすっかり失念していたなんて。

フォーはふぅ、と息をついて私の隣に座り込む。

「そんなに嫌なのか?」
「嫌だ。これ以上私は、父上に縛られたくないんだ」
「相手の男が気の毒だとは思わないのか?」
「それはっ…」

思わない、と言ったら嘘になる。
顔も知らない―――正確には父が渡した写真は一瞥もせずにその場で放り捨てた―――私の「許婚」もまた、己の意思など関係なしにこの結婚を命じられている。
私はチャン家の跡継ぎで、「許婚」の家はその分家だから、立場としては向こうが弱い。
だから私の「許婚」は、何も悪くない。

「なぁトゥイ、お前いくつになったんだよ」
「……十四」
「その歳で、ついでにお前の頭なら分かるよな?ひたすら逃げることは何の解決にもならないんだよ」
「………」
「そんなにそいつが嫌なら、今から堂々行って、気に入らないから結婚なんかしないって言ってこい」
「………」
「自分で出来ないなら、あたしがやってやろうか?」
「そ、それは嫌だ!!」

私が慌てて拒否すると、フォーがにやりと笑う。
それを見て、私はしてやられたと気付いた。

最初から、それを言わせるつもりで来ていたのか。
いつまで経っても私は、この少女の姿をした神様に敵わない。

「……いつかみたいに、私の姿で変なことをされたら困るからだ!」
「ほほー。ついでにトゥイ、お前のその服と髪、ひでぇぞ」

はっとして私は立ち上がるなり服を見直し、崩れた髪に触れた。
だが、かえってこれは好都合だ。

「構わん。今から断りに行くんだから、関係無い」
「ほほーう。頑張れよ?」

そう言うフォーの微笑みは、きっと聖母のそれと似ていた。


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