アレ神・短編2

□勝負の行方はまた今度
1ページ/4ページ


 あの時、屋上から地面を見下ろしたら君が見えた。
特徴のある髪だからすぐに君だってことは分かった。
そして、こちらの視線に気付いたように君が顔を上げたのも。
けれど光が上手に隠すせいでその表情まではうかがい知れない。

 何となく恥ずかしくなって、君から目を逸らして引っ込んだ。
あの時君の顔を確かめられなかったのは光のせいだけじゃない。
君がこちらを、どんな風に見上げてくるのか。
それを確かめるのが怖かった。
怖がる自分があまりに格好悪くて、そんな自分に気付きたくなかった。

 今思えば、あの時ちゃんと見ておけばよかった。
こんなに、遠くなってしまう前に。




「うわ、何ですかこれ!」

 登校した途端に大きな声を上げて驚いた僕に、ちょっと手前で偶然会ったリナリーはくすくすと笑った。

「アレンくんのそういう顔見るの久しぶり」
「これ、竹?」
「ちょっと似てるけど違うわ、笹よ」
「ササ?」
「パンダが食べるやつよ」
「ああ!」

 あれか、と僕が頷くとまたリナリーが可笑しそうに笑う。
そんな笑わなくて良いじゃないかと思うけど、僕の驚き方はいちいち大袈裟だからどうにも可笑しくなってしまうらしい。
尤も、可笑しくなってくれる彼女は良い方で、怒りだす人だっているわけだけど。

「朝から間抜け面晒してんじゃねーよ」

 噂をすればじゃないけれど、低い声がぼそりと僕の頭の上から落ちてくる。
む、とそちらを見れば、神田が馬鹿にしたようにこちらをちらりと見て通り過ぎていくところだった。

「間抜けって何ですか間抜けって!」
「てめぇの事だばーか」
「馬鹿じゃないですよ!学校に来ていきなりこんなでっかい竹…じゃなくてええと…何だっけ?」
「笹だろ、ノロモヤシ」
「モヤシじゃないって言ってるじゃないですかっ!!」

 ぎゃあぎゃあと大声で騒ぐ僕らの後ろで、はぁ、とリナリーが呆れと怒りでいっぱいの溜息をつくのが聞こえた。
それを合図に僕らはぐっと口を噤み、ぎろりと睨み合って顔を逸らした。
そのまま神田は足早に靴を履き替えて校舎の中へと消えていく。
どうせ同じ教室で、それも隣同士の席だからすぐに会うんだけど、ちょっとでも顔を合わすものかと言われているみたいだ。
それに清々するんじゃなく、実は寂しいと思っている事なんて、多分僕以外は神田本人ですら知らないだろうけど。

「二人とも飽きないわね…」
「いや、あれはその…えと………で、何で笹があるんでしたっけ?」
「え?」

 無理に話題を変えたせいで、リナリーは少し吃驚したみたいだった。
でもあまり彼女に、神田との関係についてあれこれ言われなくない。
彼女はかなり仲が良い方だけれど、それでも僕の本音は知らない筈だから。

「ああ、もうすぐ七夕だから。うちの学校、そういうの多いんだよね」
「タナバタ…何でしたっけそれ」
「七夕はね、願い事を書いた短冊を笹に吊るすの」
「…どうして?」
「どうして?それは、七夕が織姫と彦星が一年に一度会える日だからよ。アレンくん知らない?織姫と彦星の話」
「はぁ」

 意外だなあ、なんて呟きながらリナリーは七夕の由来を話してくれた。
いかにも若い女の子が好みそうな行事ですねと純粋な感想を言ったら、別に若い女の子じゃなくたって大体皆知ってるわよ、とリナリーは少しむくれた。

「だからね、皆願い事を書いて吊るすのよ。試合に勝てますように、とか、彼氏が出来ますように、とか」
「そうなんですか…でも、いつなんです、その七夕って」
「七月よ。七月の、七日」
「え」

 僕が思わず立ち止まると、教室に向かう階段に足をかけていたリナリーもつられて立ち止まった。
不自然に動きを止めた僕を心配そうに覗き込む。

「アレンくん?」
「あっ…いや、何でもない、です」

 胸の内の動揺を隠すように僕はへらりと笑った。
七月七日、か。
まだ誰にも伝えていないその日付を、僕は胸の内でそっと反芻した。


 いつもと同じホームルームに、いつもと同じ時間割。
教室の一番後ろの一番窓際の僕の席から見える景色も毎日同じだ。
日々色濃くなる校庭の木々の葉の色と、つい最近衣替えした生徒の制服の袖の長さを除けば、だけど。
勿論その反対側―――隣に座る神田の不機嫌な横顔も、四月に隣の席になってからずっと同じ。
思えば、たった二ヶ月か。

 そう思ったら心がちくりと痛む。
そんな風に授業中にぼんやりしていたら、突然先生に当てられた。
え、とうろたえたらあからさまに隣の神田が小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべる。
それにむっとして、立ち上がって堂々と古典の文法の意味を答えてやった。

 先生は正解、とだけ言って次の問題に移ってしまったが、隣の神田は明らかに吃驚したみたいに僕を見ていた。
だから、席に座ったついでに小声で呟く。

「一年もいたら出来るようになります」
「へぇ、モヤシの頭でも意外と知識が入るんだな」
「ええ、神田と違って」

 あ、しまった。また悪態ついた。
はっとした時には神田は舌打ちをし、けれど授業中に大声で喧嘩も出来ないからそのまま顔を背けてしまっていた。
ああ、やってしまった。
ずしんと重い後悔で俯きながら教科書に視線を落とすが、何も頭に入らない。
あと少ししか無いのに、何でこうなっちゃうんだろう。
どうして僕は、好きな人相手に喧嘩しか出来ないんだ。

 帰り道、夕陽が差す中で校舎を出ようとした時、朝の笹の前に数人の女の子が群れを作っていた。
早速願い事を書いた短冊を吊るしているらしい。
ご丁寧に短冊は学校で用意しているのだとリナリーが言っていた。
クリスマスやハロウィンの時にも思った事だけれど、日本の人って本当にこういうお祭りごとが好きだ。
僕も楽しい事は嫌いじゃないから構わないんだけど、ちょっと吃驚した。

 願い事、か。
思う事が無いわけじゃない。いや、むしろ明確にある。
けれど僕はそれをここに書いて吊るす気には、どうしてもならなかった。
 何となく立ち止まって顔を上げると、傾いたオレンジ色の夕陽が眩しくて思わず目を細める。
湿っぽくて蒸す夏の日差しになりつつあるが、それも夕方になれば随分和らぐ。
尤もこの日差しが本物の夏になる頃、僕はここにはいないんだけど。


次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ