アレ神・短編2

□君の悩みと僕の物思い
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 石造りの教団本部は冷え込みが厳しい。僕は身を打つ寒さを何とか我慢しながら服を着替え、いつも通り廊下の寒さに震えながら洗面所に向かった。人数が人数だから仕方ないのだろうけど、教団の各部屋に洗面台が無いっていうのは不便な話だ。
しかし顔を洗わないわけにはいかないから、寝起きの腫れぼったい顔をぐにぐに両手で揉みながら僕は洗面所の入り口に立つ。

 あれ、と思った。先に誰かいる。昼から任務に出るので相当早く起きたつもりだったのに、僕より先に起きてしゃっきり髪まで結んだ後ろ姿。

 ………ああ、君か。

 そう思ったら寒さに加えて憂鬱まで加わって、震えるより肩を落としたくなる。何で朝から君なんかに会わなきゃいけないのかなあ。

 そう口に出しそうになるのを堪えて、一応挨拶だけしようと思って鏡の中の彼を見た。

「おはようございます、神………………田?」

 目が、点になった。
何してんですかあんた。

 背が高いポニーテールと目つきの悪さはいつもの神田だ。多分めちゃくちゃ朝が早いからさっさと朝食も済ませて歯を磨いているんだと思う。

 だが、明らかにおかしいのだ。歯ブラシをこれでもかと言わんばかりに奥の方に突っ込もうと躍起になっていて、いつも腹が立つくらい澄ました形に収まっている筈の顔が福笑いみたいに歪んでいる。
僕の視線に気付かないのか、がつんがつんと歯ブラシを思いきり歯茎にぶつけながら必死になっていた。

「………あの。そんなやったら血が出ますよ…」

 普段なら有り得ないけれど、いくら何でも哀れな気がして僕はそっと声をかけた。そんな奥にどんな汚れが挟まったんだか知らないけれど、そんなめちゃくちゃにしたら痛いだけだ。

 けれど神田はぎりっと音が聞こえそうな目つきで僕を睨みながら振り返る。

「うるへぇんだよモヤシ!」
「はいはい間抜けですよその怒鳴り方。せめて歯ブラシ外さないと全然怖くないんで」
「……んだと!」

 僕のあしらいが癪だったらしく、神田はガン!と音を立てて歯ブラシを洗面台に叩きつけた。
ああもう、面倒な人。

「………解へねぇ……くそ…」

 相当苦労していたのに肝心の汚れが取れなかったせいか、神田はご立腹のようだった。勿論僕には関係ないし、口の端に泡をつけたままの顔は間抜けも甚だしくて笑いそうになる。

「あの…何がそんなに挟まってるんです?」

 神田に自分から絡みに行くなんてまず無いことだけれど、あれだけ必死になる汚れの正体はちょっと興味があった。
だが、ぶくぶくと音を立てて口を濯いでから振り返った神田は小さく首を振った。

「何も食ってねぇ」
「え、じゃあ何で歯なんか磨くんです」
「………妙だからだ」
「妙?」

 まぁ、確かに妙でしたよさっきの君は。
けれど神田はすごく深刻な顔で、びくつくみたいに手を右の頬に持っていく。

「おいモヤシ、一つ訊くが」
「はい?」
「………歯の中に何か住む生き物なんかいねぇよな」
「…はい?」

 頭が悪い人だとは思っていたけど、こんなに馬鹿な人だとは思っていなかった。
何だ、歯に住んでる生き物って。
理解できないものを見る目つきをしてみせたが、神田は相変わらず真面目な顔をしている。

「右の上の奥歯の後ろに何かいるんだよ」
「いるわけないでしょう」
「いるっつってんだろ!」
「知りませんよ君の歯のことなんて!」

 どうでもいいよ!と叫びそうになりながら蛇口を捻って顔に冷たい水をかける。いつもならこの温度でぶるっと目を覚ますのに、今日は神田なんかがいたおかげで目覚めはすでにばっちりだ。

「いるものはいるんだよ!何か硬いのが蠢いてるような感じがするっつってんだよ!」
「硬いのが蠢くってそんなわけないでしょう。大体奥歯の奥なんて寄生虫もいないだろうし、そんなの…」

 あれ、とそこで気が付いた。顔を拭きながら改めて神田の顔を見つめてみる。
僕のことを分からずや呼ばわりしたいらしい神田は不機嫌な顔で睨みつけてくるが、相変わらず頬の辺りを気にしていた。

「君、今何歳でしたっけ」
「ああ?十八」
「それ、親知らずじゃないんですか」

 親知らず?と神田は首を傾げた。
ああ、やっぱり知らないんだ…と妙に納得してしまう僕がいた。馬鹿だというのはよく分かっていたけど、そういう常識もないんだ。

「永久歯が全部生え終わった後、奥歯のもっと奥から生えてくる歯ですよ。僕もまだ生えてませんけど」

 尤もな知識を与えてやったのに、神田の返事はひどかった。

「なんだ、ただの歯か。なら最初からそう言えよ」
「はぁ!?君が変なことしてるからややこしいんでしょう!?」
「てめぇが考えねぇからだろバーカ!」
「何が馬鹿ですか大体親知らずも知らない君どんだけ非常識なんですかバ神田!」
「ああ!?ふざけんじゃねぇよこのクソモヤシ!」
「ハッ、勝手に言ってればいいですよ!そのうち親知らず伸びてきてその顔が腫れるのが楽しみですこの非常識単細胞!」
「何だとテメェ!」

 ぎゃあぎゃあと始まった早朝の言い合いは騒ぎを聞きつけた数人によって止められ、ついでに神田の親知らずのことはコムイさんに早急に伝えられて医療班へと収容されていった。

「俺は病気じゃねぇ!」
「はいはい神田くん怖くないからねー。虫歯の原因になるからさっさと抜くよー」
「虫歯じゃねぇから抜くんじゃねええええ!!!」

 馬鹿みたいな叫びを上げながら連行される神田を、僕はどっと疲れた気持ちで見送った。

「…ったく、何なんだよあの人…」

 たかが親知らずくらいで何騒いでるんだか、とふと洗面所を振り返ると、神田が乱暴に叩きつけていた歯ブラシが忘れられたように転がっていた。
何となくそれを拾い上げて見つめてみると、一生懸命にこれを口の中に突っ込んで本気で困っていた神田を思い出す。

「………本当に、変な人」

 今頃さっさと収容されて思いきり口の中にペンチ突っ込まれて歯抜かれてるんだろうか。

 そんなことを珍しくぼんやり考えて、抵抗している神田の顔をぼおっと想像したりした。
変なの、と思う間もなく、周りに声をかけられるまでずっと。

「………変、なの。」

 どうでもいいじゃないか、神田なんて。まして、神田の歯なんて、どうだって。

 そう思うのに僕はまだ神田の歯ブラシを握っていて、見たことが無いくらい本気で逃亡を試みていた神田のちょっと哀れでやっぱり馬鹿な姿を思い出さずには、いられなかったのだ。

Fin.
 

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