アレ神・短編2

□プラマイゼロ
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「偽善者」
「人でなし」

 たった一言を互いにどすの効いた低い声でぶつけあい、ぎりぎりと音が鳴りそうなくらいに睨みあった。
誰もいない、冷たい夜の教団の廊下。
その窓側の壁と廊下にずらりと並ぶドアの一つの前にそれぞれ立って、二人は無言で相手を睨む。
その間にはぐしゃりと潰れた紙の箱が落ちている。

 時間の流れを忘れるような睨みあいから先に視線を外したのは、アレンの方だった。
無残な姿になった箱にちらりと視線を移し、ぐしゃりと顔を歪ませる。
悲しいのか、悔しいのか。歪んだ顔からは不思議と、その感情の中身が伝わらない。
神田はその顔を睨み、ふいっと背を向けてドアを開ける。
アレンが何か言おうと口を開けた気配は背中で感じたけれど、振り返ってやる義理は無いと思った。だからそのままドアを閉め、真っ暗な部屋の中で立ち尽くした。
 互いに気配に敏いエクソシスト同士、薄いドア一枚隔てた程度の距離ではいるかいないかくらい知れてしまう。
アレンはしばらく廊下に突っ立っていた。
じっと睨む視線と、堪えるような苦しい息の気配。
けれどそれも神田がまるで動く気配を見せないのを悟って、小さな溜息を置いてゆっくり立ち去っていった。
多分、あの潰れた箱も一緒に持って。
 神田は完全に気配が遠のいたのを感じてから、はあっと息をついた。
今夜は月が見えないから、明かりをつけたら窓には自分のしかめっ面が映るのだろう。
だけど自分は悪くない、と神田は胸の中で吐き捨てる。
あいつの偽善に付き合うなんてまっぴらごめんだ。

 6月6日、という日について神田が持っている感情と言えば、365日あるうちのたった1日に対して持つもの以上でも以下でもない。
無為に過ごすのは好きではない。残された時間はきっと少ないから、そのうちに望みを叶えなくてはいけない。そのためにすべきことをしなくてはならない。
だからと言って特別なことをするわけでもない、いつもと変わらない1日に過ぎない。
むしろこの日にあるかもしれない特別な意味なんて、疎ましくはあっても喜びたいものなんかじゃない。
だからこそ神田はいつも通り過ごしたいと望んでいたし、長年一緒にいるリナリー達もそれを知っているから敢えて何もしてはこなかった。それ以外の連中は端から神田に近寄りたがらないので関係無い。
なのに、あいつときたら。

 任務でいないものだと思っていたアレンが部屋のドアを叩いた時は驚いた。
ちらりと耳に挟んだ話によれば手こずっていてあと数日はかかるのではないかなんて聞いていたからだ。
けれどドアの隙間から頬に小さな絆創膏を貼り付けてにこにこ笑う顔を見た時、驚きと同時に嫌な予感がした。
ものすごく自分を苛立たせる何かをこいつが持ってきたような、それこそ疫病神でもやってきたような気がしたのだ。

 結論から言うと、神田の予感は当たっていた。
怪訝そうにドアを開けた神田の前に立つアレンは妙に機嫌の良さそうな、しかしそわそわした空気を纏っていた。
そしてこれははっきり言って気味悪かったが、両手を後ろで組んで少女みたいに胸を張って立っている。

「……………何の用だよ」
「あー…そのですね」

 浮ついた、そわそわとした声と照れたように赤くなった頬に確信を持つ。
今からこいつが告げる言葉は、自分にとって最悪のものであると。
だから神田はゆっくり六幻の柄に手をかけ、アレンに冷たい視線を投げた。
しかしアレンはそれに怯む風でもなく―――というよりそもそも気付いた素振りさえ見せず、相変わらず薄気味悪い笑顔を浮かべている。

「その、神田。渡したいものがあるんです」

 ああ、やっぱり。
スローモーションのように、忌まわしい言葉が鉛のような重みを持って耳の中に押し入ってくる。

「神田、今日、誕生日なんでしょう?」

 その言葉を吐いたアレンがどんな表情を浮かべていたのか、実は神田は知らない。
誕生日。その単語を耳で捉えた途端、反射的に六幻にかけていた手が出た。刀を出さなかっただけ堪えた方だと思う。
はっとした時に目の前にあったのはぐしゃりと潰れて廊下に落ちていた小さな紙の箱と、茫然として無残な姿になった箱を見つめるアレンの顔だった。
アレンが何をしようとしていて、自分がそれに何を返したか、当然一瞬で理解した。
元々そうしようと思っていた形より荒々しくはあったけれど、かと言って結果は同じだった。だから謝る気なんてさらさら無かった。
アレンは神田の顔を見ようとはしなかった。ずっと黙って残骸を見下ろす顔は少し伸びた前髪に隠れて見えない。
けれど、声にならない言葉が唇に浮かんだのだけは、不愉快ながら見えてしまったのだ。

 暫くしてアレンは顔を上げた。
さっきまでの浮かれた空気は消え、叫びたいような衝動を必死に堪える顔で神田を睨む。
神田はそれを冷徹に睨み返した。
ふざけるな、怒られる筋合いさえこちらには無い。
何も知らないお前の気持ちなんてどうしてこっちが有難がってやらなきゃいけない理由になる?
そわそわしながら微笑むアレンの表情が蘇り、苦々しさに舌打つ。そして、低い声で吐き捨てた。

「偽善者」

 その言葉に、アレンがぎっと奥歯を噛んだのが分かる。
返ってきた言葉の馬鹿らしさには、いっそ溜息でもついてやりたいくらいだった。

「人でなし」


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