アレ神・短編2

□心象風景
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 殺風景で真っ白な壁は、飾られたものを引き立たせるのに素晴らしい代物だった。
青い空、暗い部屋、陽のあたる庭。
沢山の風景を写した写真が大きく引き伸ばされ、整然と並ぶ。
決して大きくはないギャラリーには十分過ぎる人が集まり、けれど数に反して彼らに騒がしさは欠片も無い。
集った人々は皆、声を発さずに並んだ写真に視線を注ぐ。
まるで繋がりの無い場所で撮られたそれらは不思議と、並べられると一つの物語のような力を持って見る者に迫る。
物語の中の背景になったように、人々は黙りこくって、けれど目を輝かせて写真を見つめる。

 そうは言っても、並んだ写真を物語たらしめている存在は明白だった。
繋がりのない風景だけれど、その全てには同じ人間が写っているのだ。
男なのか女なのかさえはっきりしないほどの距離だけれど、同じ人物であることは分かる。そしてその人がひどく美しい容姿を持つことも。
顔さえよく分からないほどの距離なのに何故美しいなどと分かるのか。そんな野暮をここでは誰も口にしない。
写真の中の人の美しさは、単なる造形の美しさではない。
生きているものにしか持ちえない美しさだけを切り取ったようなものをその人は持っていて、その人がいる風景だからこそこの写真は物語として成り立っているのだ。
尤もそんな回りくどい言葉をこの写真の前で思い浮かべる人など誰もいないだろう。
ただ、美しい写真とそれを統べる人を前に溜息をつくだけ。
そして心地好い熱を帯びながらギャラリーを出てふと、こんな疑問を口にするのだ。
あの人は一体、誰なのだろう?と。


**********

 カチ、カチとマウスを動かしていた細い手が不意に動きを止める。
暇つぶしにぼんやり眺めていたインターネットの画面に映ったのが、見覚えのある写真だったからだ。
また噂になってるのね、と嬉しいような悔しいような複雑な気持ちで写真を見つめるのは、黒髪をノースリーブから晒される白い肩から背中へふわりと流した少女。
頬杖を机につきながら、少女は写真の下に連なるコメントをスクロールしながら眺めていく。
出回る筈がないのに一体どこからこの写真のデータを見つけてくるのだろう。
溜息交じりに眺める写真は、夕焼けの海を前にして後ろ姿の長髪の人間が写っているもの。
髪の長さで言えば少女と変わらないのだが、体格が明らかに違う。
しかしそれもこの人を知らない人には分からないのか、少女にとっては見飽きたつまらない論争が画面の上では繰り広げられていた。

―――背からしたら男だろう。
―――今時モデルだったらこのくらいの背の女もいる。男にしては華奢過ぎる。
―――女にしては肩幅が広い。
―――こんなにまともに髪を伸ばせている男なんていない。
―――プロのモデル?
―――売れてるモデルの誰とも一致しない。男にしても女にしても。
―――素人?それにしては様になってるけど。

―――この人は一体、どこの誰だ?

「分かるわけないじゃない、そんなの」


 どこにも、誰にも教えていないんだもの、そんなこと。
美しい被写体もこの写真を生み出す人も、それを知られることを望まない。
そもそも彼は、誰かに見せたくてこの写真を撮るわけではないのだから。
 尤も人々がこの写真に映る人に惹かれるのも無理はないような気がする。
普通に会ったって綺麗な顔ではあるけれど、彼が撮った写真の中のこの人はいつもとは違って見える。
何と言うか、研ぎ澄まされるのだ。
刃物のように鋭いこの人の芯が、写真の中だと剥き出しになっている。
けれどそれは凶暴さとか荒々しさとかとは違う。
たとえて言うなら博物館に整然と並ぶ刀工の名品たちのようなものなのだ。
決してこちらに危害を加えにはこないが、こちらからも触れられない。ガラスの向こう側で整然と輝きを放ち、本当の力を失わずにそっと息をしている。
そういう美しさに惹かれ、名前を知りたがるのもまあ、無理はないけれど。

「リナリー?何見てるの?」
「ううん、何でもない」
「そろそろお昼だからこっちおいでー」
「はぁい」

 兄の呼ぶ声で少女は画面を落とし、パソコンから離れる。
最後にちらりと視界に映った書き込みに、少女はくすりと笑う。
そうね、この意見を私は支持するわ。

―――どこの誰でもいいだろう。綺麗なものは綺麗、それで十分だ。


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