アレ神・長編
□四季譚 ―冬―
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底なし沼の如く酷さを増す寒さのせいで目覚める事が多くなった。
診療所での仕事中にコムイに頼まれた用を済ませたアレンが居間へ出ていくと、リナリーがぺりりと暦を捲っているところだった。
ついに最後の一枚になってしまったそれに書かれた見慣れぬ文字を指し、アレンはリナリーに問いかける。
「これ、何て読むんです?」
リナリーはそれはね、とすぐに答えようとしたがそこでいったん口を噤み、悪戯っぽく笑った。
「何だと思う?」
「ええ!?うーん…しそう、とか…?しはしる?」
「残念でした。しわす、よ」
難しいわよね、とリナリーは笑う。
「12月って1年の最後だから、何かと忙しいでしょう?普段はどっしりしてる先生でも走り回っちゃうくらい。だから師が走るって書くの」
それを訊いてアレンは思わず笑ってしまった。
「何が可笑しいの?」
「いや、僕の師匠は走ったりしたとこ見た事無いから…あの人が走るような事があったら面白いな、って」
アレンの言葉に、リナリーは苦笑した。
それを単純な笑いと受け取ったアレンはそのまま軽い口調でクロスのとんでもない思い出話を語る。
「全く、医者としては確かな腕ですけど、それ以外は酷い人ですよ。色んな意味で」
アレンの言葉にリナリーはそう、と小さく呟いた。
その呟きとリナリーの翳った表情を見てアレンははっと後悔に襲われた。
こんなこと、言わなければ良かった。
そう遠くない別れを想起させるクロスの話題なんて、持ち出すべきではなかったのだ。
どうにも破りにくい沈黙が流れる。
先に口を開いたのはリナリーの方だった。
「あ、私ちょっと出かけて来なきゃ。買い物行って来るね」
無理やりの口実かと思えるくらい唐突な言葉だったが、リナリーの顔は明らかに慌てていて、どうやら本当らしかった。
アレンもこの沈黙を終わらせる機会を掴めたことに内心ほっとしながら、いってらっしゃいとリナリーを送り出す。
家の中は、静かだ。
ラビとブックマンは昨日から出かけていていない。
コムイは診療所で仕事を続けていて、彼に頼まれた用は済んだ。
戻ろう。
そう思って足を向けようとした時、玄関から御免下さいという男の声が響いた。
アレンが玄関に行って扉を開けると、郵便です、という声と共に、若い男が一通の手紙を差し出した。
彼は馴染みの配達員で、アレンという異国の人間にも今更驚きはせず笑みを向けてくる。
「…え?」
彼が何気なく言った言葉に、思わずアレンは聞き返した。
笑いながら彼は言う。
「だから、外国からですよ。お知り合いからじゃないですか?」
外国?
アレンの脳裏をさっと過ぎる何かがあった。
半分引っ手繰るように手紙を取った。
同時に、僅かな間呼吸が出来なくなった。
「どうかしました?」
郵便配達の男は不思議そうな顔をしている。
「…いえ…何でも」
彼は余計な詮索は無用と悟ったのか、そうですかと一言言うが早いか次の配達先に向かう為に去って行った。
見覚えのある、少し荒々しくて大きくて、でもどこか堂々とした文字。
いや、筆跡など見なくても、差出人の名前さえ見ればすぐに分かる事。
けれどアレンの心はそれを拒否した。
どくん、どくんと鼓動が大きくなるのが分かる。
首もとの血管がどっ、どっ、どっ、と蠢いている。
乱れる呼吸を精一杯抑えながら、アレンは差出人の名前を見た。
記されていたのは、紛れもない師の名前。
そもそも筆跡からして見紛う筈が無いのに、アレンは出来るならそれを信じたくは無かった。
思わず玄関に蹲る。
開いたままの扉から吹き込む外気は刺すように冷たいのに、背中を汗が伝うのが分かった。
いずれ、この時が来るとは分かっていたのに。