クロコム・短編
□求愛
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偶にはこのくらいのこと、許されるでしょう?
「何回言えば分かるんです、あなたって人は?」
嫌味など一切効果のない相手だと分かってはいても、僕はそれを口にすることを禁じ得ない。
いつも通り、嫌味を言われている当人は悠々とした顔で室長室のソファに腰掛けている。
「さてな」
「さてじゃないんです、さてじゃ。今度は一体どこをほっつき歩いてたって言うんです?」
「さてな」
分かっている。教えてくれたことなんて一度もない。
教える気など最初からないのだろうし、教えなくてはならない理由も彼は分からないのだと思う。
そういう人だ。
それに僕自身、室長という職を取っ払った「僕」という一人の人間に、彼に居場所を教えることを強要する権利が果たしてあるだろうかとも思う。
そう、別に僕たちは恋人同士なんかじゃないじゃないか?
僅かな胸の痛みと、それを打ち消すための含み笑い。
「どうした?」
彼はこういう小さな僕の変化にいちいち敏感だ。
大概それらは僕が人に問われたくない事柄だと知っているから余計によく気づくのかもしれない。
「…何でもありませんよ。はい、どうぞ」
机の裏に置いてあったボトルからワインを注いで、彼に渡した。
彼は少々目を丸くしたが、それ以上は何も思わなかったらしい。
「お前にしては珍しい」
「何ですか、それ」
「そのままの意味だ」
笑いながら彼はぐっとワインを飲みほした。
そして間もなく、いつもよりさらに低い声で彼は呟く。
「…何だ、これは?」
「何って、ワインじゃないですか」
僕は笑いを噛み殺すのに必死で、本棚に向かうふりをして顔を隠した。
「ワインだけじゃないだろう?」
「何が言いたいんです?」
「お前のお得意の、妙な何かが混ざってる」
こらえ切れなくなって、僕はそっと後ろを振り返ってみた。
ソファには相変わらず、彼が悠々と座っている。
ただ一つさっきまでと違うのは、彼の耳のあたりから見事な赤毛の三角形の耳、尻のあたりから毛並み豊かな尻尾が生えていることぐらいだ。
「何の真似だ、コムイ?」
「ふふ、よく似合ってますよ、元帥?」
我慢できなくなって僕はくすくす笑った。
勘がいい彼がこんなにあっさりと引っかかるなんて思っていなかったから、余計おかしくなってしまう。
彼の方は、ふぅ、とため息をつく。
「大体、何で猫なんだ」
もっと他に勇ましい生き物もいるだろ、とか何とか、彼は的外れなことを言う。
「あなたは猫みたいな人ですからね」
「俺が、猫か」
「えぇ。一つのところにいるのが嫌いで、気まぐれで、鋭くて。懐いてると思うといなくなって。あなたにそっくりですよ」
「なるほど?」
「え?」
ふいに視界が暗くなり、低い声が耳のすぐ後ろで聞こえた。
振り返ると、彼はすぐ後ろまで来てにやりと笑った。
「ちょ、クロス…?」
「なるほど、確かに俺は猫に似ているかもしれないな」
笑いながら彼はまるで僕を逃がすまいとするように両手を本棚についた。
視界の端で、ふわふわの尻尾が楽しそうに揺れるのが見えた。
「な、何ですか」
「知らないのか?猫の交尾」
「はっ!?」
微かなワインの香りがふわりと漂い、彼は僕の耳元でこう言った。
盛りのついた雄猫は、手に負えない。
僕が自作の薬の副作用の効果を思い知ったのは、それから数時間のことだった。