アレ神・短編

□星に願いを
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 彼のことを知ったのは、ほんの些細なことがきっかけだった。

 晴れた5月のある日の放課後、学校の図書室で本棚を見上げたままで横歩きしていた9歳の僕は、周りが全く見えていなかった。
面白そうな本ないかなとふらふらしていた僕と、多分同じく周りが見えていなかった彼は、頭から思いきりぶつかった。


「いったあ!」
「ってぇ…!」

ぐわんぐわん痛む後頭部を擦りながら振り返った時、僕の世界からは一瞬、全ての雑音が消え去った。
肩までの黒い真っ直ぐな髪に縁取られた、子供らしさの中にぞっとするくらいの美しさを秘めた顔。


…綺麗な、人。


この図書室で本を抱え込んでいるのだから、彼は間違いなくこの小学校に通う子供で、僕とほとんど変わらない歳の筈だった。
けれど、普通の子より沢山の同世代の子供たちに出会っている僕でも、彼ほど「綺麗」という言葉が似合う子供を見たことは一度たりともなかった。

 だからこそ僕は、ごめんなさいも大丈夫も忘れて、彼の顔に見惚れてしまったんだ。

「…よそ見してんじゃねぇよ」

ぼそっと呟かれた言葉が彼のものだと気付くのにすら、時間がかかった。

「あっ、えっと…ごめんなさい」

どもるようになってしまった言葉。
彼はちょっとだけその凛々しい眉根を顰め、気をつけろ、とぶっきらぼうに言って僕の横を通り過ぎる。

 暑いわけでも走ったわけでもないのに顔が熱くて、心臓がドキドキと鳴る。
話す中身は何も思い付かないのに、僕は思わず振り返って彼を呼び止めようとした。

「あのっ…」
「神田!まだいたの?早くしないと!」

掠れた僕の声は、図書室の入り口から顔を出した女の子の元気な声であっさり掻き消されてしまった。
しゅるしゅると胸の中で萎む何か。

「まだ待ってたのかよ、リナ」
「兄さんに頼まれたんだもん」

女の子がぷぅっと頬を膨らまし、神田と呼ばれた彼が手にしている本の表紙に目を落とす。
何も言えない僕は、二人のやり取りを棒のように突っ立って見つめているしかない。

「またそれ借りるの?」
「またじゃねーよ、これはこないだの続きだ」
「でも同じシリーズでしょ?」
「…まぁな」

話しながら彼は図書室のドアを出ていく。
ああ、行っちゃう。
だがしゅんとして項垂れかけた僕は、その次の女の子の言葉でぱっと顔を上げることになる。


「ほんとに神田は、星の本が好きなのね」


 ―――それが、僕と彼を繋いだ糸だった。
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