『ごめんなさい…!』




そう言い捨てて、少年は森の中へ走り去ってしまった。あまりに唐突な出来事に、破天荒は遠くなる小さき背中を追い掛けることも呼び止めることも出来ずに、その場に立ち尽くしていた。



訪れた静寂の中で、無意識に止めようとしたらしい中途半端に上がった腕を静かに下ろし、少年が去った森を見つめる。優しく吹き抜ける風が木々の葉を揺らし、さわさわと耳障りの良い音を奏でる。




しかしそんな木々の音色に聞き入れられる程、今の破天荒は余裕をもたらしていなかった。







瞼に焼き付いたあの涙。耳に染み込んだあの去り際の一言。







破天荒は困惑していた。しかしそれは致し方ない。ほんの数分前まではいつも通り――[いつも]と銘打つには、あまりに久々なやり取りだったのだが――だった筈なのに。破天荒の言葉に反発を繰り返し、反抗心しか示さずに、可愛げの無さの卸売りだったというのに。




それなのに、どうしてああもあっさりと、簡単に崩れ去ってしまったのか。破天荒は困惑していた。あんなに弱々しい――弱々しく、儚く、脆いヘッポコ丸なんて、破天荒は知らなかったのだから。





『――お前のことが大嫌いなんだよ』




先程破天荒が不躾に放ってしまった言葉。当事者の破天荒も――当事者であるからこそ、引き金があの発言であったのであろうという憶測ぐらいは立てていた。それ以外に、あの少年の涙を引き出す要因が見当たらないからである。し、少年が涙を零したのはあの言葉が放たれた数秒後だ。その事実が、思考を憶測ではなく確信に導いていく。




しかし、ただそれだけのことで泣くか普通…事情を知らない者が聞けばそう疑問を抱くだろうが、破天荒はそうではなかった。たったあれだけの――あんな些細な言葉で泣いてしまった理由が、破天荒には分かっている。






知っていたのだ。破天荒は、ヘッポコ丸が自身に恋慕の情を抱いているということを、密かに知っていたのだ。




知っていながら――知らない振りをしていた。応えることも、拒絶することも、何もせず、知らぬ存ぜぬで通してきた。





そうしてきたことに、確固たる理由があった訳ではない。興味の抱けないこと以外にはとことん怠惰である自身の性格のせいである。





つまり――破天荒は、ヘッポコ丸のことをどうとも思っていなかったのだ。



いけ好かないガキ――それぐらいには思っていたかもしれないが、言ってしまえばそれ以上でも以下でもないのだ。





ヘッポコ丸が破天荒を好きでいる。そのことに対して、熟慮することを破天荒は放棄した。面倒だから――たった、それだけの理由で。







足音が聞こえる。誰かが走っているような。足音の主を確かめるように振り返った瞬間、ソフトンが隣を走り抜けていった。目が合った瞬間、強く冷たく、睨まれたような気がした。明らかな冷眼。ソフトンが走り去ったことによりすぐに視線は外れたけれど、あの冷眼は気のせいではないだろう。



恐らく、ソフトンはずっと見ていたのだろう。破天荒はそう思った。どうして見ていたのか、その疑問はこの際置いておいて。



見ていたのならば…ソフトンはあの発言も聞いていただろう。いつから聞いていたにしたって、ヘッポコ丸が泣いてしまった原因は破天荒にある。たとえあの発言を聞いていずとも、あの冷眼を浴びせられていただろうと漠然と思った。





きっと、ソフトンはヘッポコ丸のことを探しに行ったのだ。本来そうすべきなのは破天荒なのだけれど…残念ながら、未だ破天荒はその場から動けないのだ。どうして動けないのか、それは破天荒にも分かっていなかった。




「破天荒」




ずっと立ち尽くしている破天荒に声を掛けたのは、ボーボボだった。パーティのリーダーであり、破天荒と同郷であり、幼なじみであるボーボボ。彼の声により、破天荒はようやくしっかりと動体を再開させた。




「…ボーボボ」
「あれはお前が悪い」




単刀直入に、彼は言った。それが先程の出来事に対する破天荒への説教であることは明らかだった。




「たとえケンカであろうと、軽々しく口にしていい言葉じゃない」
「ハァ…そうは言うけどよ、あんなの、前までは普通に言い合ってたんだぞ?」




アイツの場合、今は『前』と気の持ちようが違うけどな――破天荒はそう言わず、思うだけに留めた。…のだが。




「前と今は違うだろ。少なくとも、ヘッポコ丸が抱いている気持ちがな」
「なっ…お前、知って…」
「まぁ、分かりやすいからな、ヘッポコ丸は」




本人は気付かれてないと思ってるだろうがな。ボーボボはそう言って苦笑する。ボーボボの言葉には、破天荒も同意見である。ヘッポコ丸は分かりやすかった。想われ人である破天荒ですらも気付く熱視線。
第三者が気付かないのはおかしいのである。





――じゃあ、もしかしてソフトンも、知っているのだろうか。




「お前、まさか知っててあんなこと言ったのか?」




ボーボボの声色が責めるそれに切り替わる。破天荒はしまったと思った。カマを掛けられたのだ。そう後悔しても、後の祭りで。




「やーだこの子最低ー! いたいけな少年の恋心を踏みにじって喜んでるなんてー!」
「喜んでねぇよ! どんな性癖の持ち主だよ俺は!」




女子高生スタイルになってバシバシ破天荒の頭を殴るボーボボに破天荒は大声で反抗する。間違っても喜んではいない。楽しんではいない。




「後悔してんだよ、俺は」




そう。抱いているのはただただ後悔だけ。自分に想いを寄せてくれている相手に、あまりに不躾なことを言ってしまったことに対する後悔。今までその気持ちを知らぬ存ぜぬで通してきたことへの後悔。一言半句で傷つけてしまったことへの後悔。すぐに追い掛けることをせず、謝罪のタイミングを逃してしまったことへの後悔。





募るのは、後悔ばかりだ。





「もう、どうしたら良いのか、分かんねぇよ…」




きっと今も、ヘッポコ丸は森の中で泣いているだろう。彼を見つけたソフトンが、優しく慰めて涙を受け止めてやっているのだろう。破天荒が入り込む隙間は――最早無い。




「後からでも、謝れば良いだろう」
「アイツがそれを受け入れてくれるとは思えない」
「ヘッポコ丸なら大丈夫だろ。なんだかんだ言っても、アイツも立派な戦士だ」




それなりの強さは持ち合わせているさ。



ボーボボはそう言ったが、破天荒は納得出来なかった。強さには格差がある。破天荒にもそれは分かる。戦闘におけるヘッポコ丸の強さと破天荒の強さ、比べてみるとその差は明らかだが、精神面の強さはそれとイコールでは繋がらない。ボーボボが持ち合わせているというのは、その精神面の方だ。



しかし、破天荒は思う。





その精神面を瓦解させたのは、俺自身だ――



もしかしたら、大丈夫じゃないかもしれない――



湧き上がる焦燥感。ヘッポコ丸は俊才者では無い。純粋に強さを求めている、普通の十六歳の少年なのだ。今その少年は、恋をしている。実らない恋を。そしてさっき、想い人から強い拒絶の言葉を放たれてしまったのだ。



精神面が瓦解してしまったって、おかしくない――




「ボーボボ…俺は、どうしたら良いんだよ…」
「破天荒?」
「もう、謝るだけじゃ済まねぇ。謝ったら、アイツの気持ちに対する答えを出さなきゃならなくなる。ヘッポコ丸だって、そうなることを分かってる筈だ」
「………」
「けど、俺は答えを出せない。アイツが好きなのか、嫌いなのか…分からねぇんだ…」




知らぬ存ぜぬで通してきたのが仇になった。瀬戸際に立たされて初めて向き合った相手の恋風。




向き合って初めて――自分の気持ちに、向き合ったのだ。




「考える時間が必要だ。ちゃんと考えねぇと、俺はまたアイツを傷付ける」




また、泣かせてしまう。




「でも時間が無い。圧倒的に、足りないんだ」




考えるだけの時間が。

答えを導き出す時間が。

己の気持ちと向き合う時間が。




「俺は、どうすりゃ良いんだよっ…!」




頭を抱えて叫ぶ破天荒を、ボーボボはただ見つめるしか出来なかった。破天荒がここまで惑い悩む姿など、今まで見たことが無かったからだ。






――ソフトンの奴、面倒なもんを押し付けてくれたな。




ボーボボは失笑し、とりあえず足りない頭を必死に回転させている破天荒の背中に強い張り手を食らわせた。喝入れ、である。




「いって! クソ、ボーボボテメッ」
「存分に悩め、好青年」
「はぁ?」
「オレは見守るしかしてやれない。手出し出来ない領域の話だからな。これからどうなるかは、お前と、ヘッポコ丸の転び方次第だ」
「………」
「オレが言えるのはそれだけだ」




精々頑張れよ。そう言ってボーボボは破天荒の頭を乱暴に撫でた。助言らしい助言とは言えないが、破天荒は少し肩の荷が下りたような気がした。分からないけれど、ただなんとなく、そう思った。








――転び方次第で、二人のこれからが変わる。



ならば、二人はどう転び、どんな未来へたどり着くのだろう。






















――――
君が見せた涙の意味
ナイトメア/このは



→『涙』シリーズ第四話。なんか前半の破天荒さんが酷い人だ(笑)。さぁ、破天荒さんは、自身の気持ちにどうケリをつけるのか。そして、へっくんは…?

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