『バカだな…お前は、本当にバカだ』
五月蝿い…そんなこと、お前に言われなくったって、分かってるよ。
『そうやって惨めに泣くぐらいなら、あんなことしなきゃ良かったんだよ』
ん…そうだな、お前の言う通りかもしれない。ごめん。たったあれだけのことに耐えられないなんて思わなくて…。
『オレは止めたぞ』
だから、ごめんってば。
『もう、あの男を好きでいるの辞めちまえよ』
…ごめん、それは、無理だよ。
『なんでだよ?』
分かんない…でも、ダメなんだ。あんなこと言われたって、破天荒が俺を好きでなくても、俺は破天荒が…破天荒だけが、好きなんだ。
『…オレには、分かんねぇよ。お前は苦しいだけの筈なのに、なんでそこまで…』
うん、なんでだろう…俺にも、よく分からないよ。
――分からないけど、俺は…。
――――
ソフトンさんの腕は暖かくて、俺の荒れた心を優しく撫で溶かしてくれる。そのせいでひっきりなしに涙は止まらずに次々と溢れてくるんだけど、この腕の中から離れるのがひどく惜しくて、随分と長い時間、この腕に縋って俺は泣いている。
全面的に、ソフトンさんに甘えてしまっているのは分かってる。初めて泣いてる所を見られた時から、ソフトンさんは何かと俺を気に掛けてくれていた。宿での部屋割りも、破天荒と二人部屋になった時は俺と破天荒と誰かで三人部屋に割り当てるようボーボボさんに言ってくれたり、憂さ晴らしにも近い修行にだってよく付き合ってくれた。
俺を一人にしないように、配慮してくれていた。
まるで、俺の精神がひどく不安定なのを、見越していたかのように。
ソフトンさんが与えてくれる優しさに、俺は無遠慮に寄りかかってる。ソフトンさんの懐の広さに、甘え過ぎている。己の不安定さを利用して、安心して息のつける場所を求め、そしてソフトンさんを選んでしまっている。
そう――自分の弱さを、利用して。
いけないこと。そんなの痛い程分かってるつもり。寄りかかってる暇があるなら、この状況を打開すべく何かしら対策を立てなきゃダメなんだ。弱いままでいちゃいけない。どうにかしないと。また前みたいに戻らないと。早く這い上がらないと、手遅れになっちゃう。
破天荒を好きでいるのを辞められないなら、次に取らなければならない行動はなんだろうか。
口喧嘩すらまともに出来なかった俺。ただの売り言葉に買い言葉…それにすら耐えられなかった俺。自分でも分かる、自分の弱さ。突き付けられる現実。現状。
惨めに泣き続ける俺と、何も言わず抱きしめ続けてくれるソフトンさんと、内側から辛辣でありながらしっかりとした慰めの言葉を掛けてくれる邪王。破天荒は――追い掛けて来ない。
あぁ――もう、本格的にダメかもしれない。
終止符を打つ時が、来たのかもしれない。
俺は悟った。もう、どうにもならないと。事態は好転するどころか、最底辺を這っているのだと。ここから這い上がることなんて、きっと不可能だ。
きっと俺は、これから破天荒とは気まずくて目も合わせられなくなる。あっちが謝罪の言葉を掛けてくれようとしても、きっと俺は聞きたくないと耳を塞ぎ、逃げ出してしまうだろう。
怖いんだ。こんな事になった後に、破天荒と向き合うのが。
自分の脆弱な部分を目撃されてしまった後に、どんな目で見られるか分からない。だから怖い。
もしかしたら、俺が抱いてる想いを悟られてしまったかもしれない。そして、それを拒絶でもされてしまったら…そう思ってしまう。だから怖い。
――邪王の言う通り、破天荒を想うことを止めてしまえば、きっと楽になれる。
だけど俺は、それが出来ない。
あぁもう、俺はどうしたら良いの? この蟠りは、どうやったら綺麗に発散されるの?
――破天荒。
ねぇ破天荒、お前は今何を考えてる? 俺が泣いた理由を、突き止めようとしてる? どうして泣いてしまったのか、解明しようとしてる? 泣かせてしまったのは自分のせいだって、思ってる?
もしそうだったら、ごめんね、俺のせいだね。俺がこんな奴だから、破天荒に負担掛けちゃってるんだよね。俺がお前を好きにならなければ、こんな事にはならなかったのにね。さっさとこの気持ちとおさらば出来たら、一番良かったのにね。
自業自得。
自己嫌悪。
まさに、俺のためにある言葉。
『ほら、泣き止めよ、相棒』
内部から、邪王がそっと囁く。先程までの咎める口調ではなく、グルグル渦巻いてグチャグチャな心を優しく飽和させてくれるかのような、柔らかな囁き。
『いい加減泣き止んで、そいつから離れてやれよ。そいつだって泣いてるお前を見続けるなんてこと、したくない筈だぜ』
それが無理だって分かっているだろうに、邪王は意地悪くそう言った。表情を見ることは叶わないけど、きっと言葉と同様に意地悪く笑っているに違いない。俺の涙とは対称的に、邪王から零れるのは意地悪い笑みだ。
『お前がどうにも出来ないなら、俺が外に出るぜ。お前は少し、ナカで眠って気持ちの整理をしろよ』
それが今一番の最善策じゃね? 邪王はそう促す。その誘導が、邪王なりの精一杯の気遣いなのだと伺える。
俺に対してと――恐らく、ソフトンさんに対しての。
内側から伝わる邪王の慰撫。俺はそれを受け入れるために、静かに意識を薄れさせた。
――――
「悪いなソフトン、ありがとう」
そう言ってヘッポコ丸は俺の腕をすり抜けた。久しぶりに視界に収めたヘッポコ丸の顔は、ヘッポコ丸でありながらヘッポコ丸では無かった。
「…邪王か」
「あ、やっぱ分かる?」
「まぁ、態度が豹変したからな」
「そりゃそうか」
軽快に笑う邪王。しかしいつもの人知を凌駕した姿ではなく、ヘッポコ丸の姿そのもので、『彼』は目の前に居る。
「意識だけ、沈めてきた」
木にもたれ掛かり、俺を見つめ、『彼』は言う。
「今のアイツは表面だけじゃなく、内部までボロボロだ。あのままじゃ泣き止むなんざ無理だ。だから、無理矢理オレがソトに出た」
「だから見た目はヘッポコ丸のままなのか」
「そういうこと。オレが[ヘッポコ丸]じゃなく[邪王]という確立した存在としてお前の前に現れられるのは、アイツが自然に意識を無くした時だけだ。眠ったりとかな。そうじゃないと、オレは[ヘッポコ丸]の枠を抜けられないのさ。あ、メカニズムなんか聞くなよ? 説明すんの面倒だから」
「あ、あぁ…」
なんともややこしい関係だな、ヘッポコ丸と邪王は…。
本当はそのメカニズムの細部まで聞いてしまいたいところだが、きっと『彼』は話してくれないだろう。既に「面倒だ」と言い切っているのだ。どんなに宥め賺そうと、その心情は変わらないだろう。なら、諦めるしかない。またいつかの機会に…教えてもらうとしようか。
フゥ…と一息ついて、俺は邪王に問うた。
「どうする?」
一言。たった一言の問い掛け。
「お手上げだ」
たった一言の問い掛けに、邪王は順応して答えた。言葉通り、お手上げのポーズまでとって。
「もうアイツには何を言っても無理だ。破天荒の野郎のことを諦めるつもりが更々無い。仮に諦められたとしても、ずっと未練がましく引きずり続けるだろうさ。もう…オレ達には、何も出来ない」
苦虫を噛み潰したような表情で邪王は言った。この状況を悔いているかのように。これからの未来を見据え、それが決して『美しい未来』では無いことを分かり切っているかのように。今更この道筋を修正することは不可能なのだと、悟っているかのように。
…不可能、か。
ならば本当に、俺達が出る幕では無くなってしまったわけだ。これからヘッポコ丸が破天荒に想いを打ち明けようが、その想いに終止符を打とうが、それに至るまでの過程に、俺達は決して干渉出来ないことになる。仮に出来たとしても、それはあまりに余計なお世話と言える。今までも、横槍を入れ続けてきたのだ。これ以上は、これからの未来の妨げになるだけだろう(否、今までのことも、妨げでしかなかったのかもしれない)。
最早、傍観者に徹するしか――道はないのだろうか。
「あーあ…結局、オレはアイツのために、何一つしてやれなかったな…」
そう言って邪王は静かに涙した。以前に見た、ヘッポコ丸と酷似していると感じたその涙を、『彼』はまた流している。
[ヘッポコ丸]の姿で、[邪王]として、『彼』は泣く。
ヘッポコ丸のように声を大にして泣き喚くことも無く、目の前に居る俺の腕に縋って来ることも無く、『彼』は一人で涙を流す。涙で濡れる『彼』の瞳の先に映るのは、一体どんな現実で、未来なのだろうか。
この涙を、破天荒に見せてやりたいと思う。
お前はヘッポコ丸の表面も裏側も、ズタズタに傷付けているんだと、分からせてやりたい。
ヘッポコ丸の気持ちを知らないままでいるのは大きな罪なのだと、知らしめてやりたい。
(あの男と、一度しっかりと話をすべきかもしれないな)
俺はそう考えつつ、邪王の隣に移動し、いつの日だったかヘッポコ丸が泣き止むまでそうしていた時のように、邪王の涙が止まるまで、髪を梳いてやっていた。邪王はそれを拒まず、ただ甘んじて受け入れていた。それがまた、あの日のヘッポコ丸を彷彿とさせた。
――この時、俺がヘッポコ丸の気持ちをもっと深く汲むことが出来たならば。
あんなことにはならなかったのだろうか…。
――――
「僕の涙は見えますか?」
ナイトメア/いつかの僕へ
→『涙』シリーズ第五話。なんにも発展しなくてすいませんorz 次からは最終話に向けて突っ走っていきます! へっくんの片思いの結末を、どうぞご期待ください。