「それでね、その時僕は――」



まだ毛狩り隊に居た時にあった出来事を身ぶり手振りで抑揚を付けて話すライスの横で、俺はそれに聞き入るポーズをとる。時折頷いて同意する素振りも見せたりするが、それはやはりただの『ポーズ』でしかない。



俺の視線は、ライスの左手に――視線の位置を特定するのなら、左手の薬指に向けられている。



ライスの左手の薬指には、うっすらと――本当に目を凝らさなければ分からないほどに薄い――日焼けの痕が残っている。明らかにリング形に形成されているそれは、昔ライスに心から愛し、愛された人物が居たことを証明している。ほとんど視認不能になっているこの痕に、果たして何人が気付いているのだろう。




その稀薄な痕跡のことに、俺は干渉することを躊躇っている。稀薄になってはいるけれど、そうなる程に長く長くその指に留まっていたリングを渡した相手が誰なのか――聞くことが出来ない。



それは踏み込んではいけない聖域のようなもの。他人が無闇に土足で踏み入って汚してはいけない場所。無神経にその人の大切なものに触れてはいけない。それが既に終わっているものだとしても――同じことで。




消えることに膨大な時間が掛かるのと同じぐらいに長い時間そこに留まっていたであろうリングの所在。その相手。思い出。出来事。その全てを、俺は知らない。干渉していないのだから、当然と言えば当然のこと。本当は洗いざらい聞き出してしまいたいけれど、それによってライスに嫌われることを、俺は恐れていた。大好きな人に嫌悪されることを、俺は何よりも恐怖していた。





どうしてあの痕に気付いてしまったのだろう…。気付かなければ、こんなに悩むことなんてなかったのに。よりによって、大好きな人の過去をこの目にまざまざと焼き付けることになるなんて。俺ってなんて不幸なんだろう。




俺はライスが好きだ。だけど、ライスの過去の恋愛を塗り替えることが出来るかと問われれば、答えはNOだ。俺自身にそんな魅力があるわけがないし…もしこの想いを受け入れてくれたとしても、ライスがちゃんと俺を愛してくれるかなんて分からないし、そもそもライスが俺を恋愛対象で見てくれるのか、その保障もないわけで。



予測しか出来ないけれど、それはあまりに現実味を帯びている。どれもさっくりと枠に嵌まって、納得出来る憶測ばかり。




ライスが好きっていうこの想いに嘘は無い。けれど、報われる気がしない。…いや、きっとこの想いが届く日は永遠に来ないだろう。俺はこの想いをライスに打ち明けるつもりは無い。多分ライスが俺を好きになってくれる日も、永遠に来ない。この想いは誰の目に触れられる事のないまま、永久に心の中に厳重な封をして閉じ込めておくつもりだ。




「でねー……へっくん聞いてる?」
「聞いてるよ。バナナの皮をパンツと間違えたんだろ?」
「今の話と全く掠りもしてないんだけど!」
「冗談だよ」




こうしてバカみたいに笑い合って、下らない事を話して、ずっと肩を並べていられる『友人』として、ただ隣に居れれば良い。贅沢なんて言わない。今のこのポジションが、俺にとって最大の居場所なんだから。この位置で、俺は満足していなければならないんだ。




――けれど、叶うなら、どうかこの距離がもう少し縮まって欲しいと…そう思う。
















――――
薬指には 日焼けの痕
シド/紫陽花

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