「あ、雨」




買い出しを終え、スーパーを出たところで視界が捉えたのは地に叩き付けられる雨粒達。横風に流されて斜めに落ちるその雫はなかなかの強さだった。



まさか雨が降ると思っていなかったヘッポコ丸は、当然の事ながら傘なんて持ち合わせていなかった。




「どうしよう…」




もう一度スーパーに入って傘を買うのが得策のような気もするが、貴重な旅の資金を無駄に消費することは避けたかった。宿に戻れば全員分の傘は揃っているのだし、余計な荷物を増やすのもいただけない。


故にヘッポコ丸は悩んでいた。雨脚が緩むのを待つか、それを気にせず雨の中を突っ切って帰るか…どちらを選択するのが吉と出るのか、判断に迷っていた。




天気予報では今日雨が降るなんて言っていなかったから、恐らく通り雨なのだろう。ならば雨が止むのを待つのが最善なのかもしれないが、いつ止むかなんて分からない。待つのは良いが、あまり帰りが遅くなるのは困るのだ。宿ではお腹を空かせた首領パッチや天の助が材料である食材(とお菓子)を待ちわびているだろうから、暢気に雨止みを待っている訳にもいかないのである。かと言ってこの雨の中を突っ切って、食材を台無しにすることもダメだ。それなりの配慮はするつもりだが、無事に済む保障はない。


連絡して傘を持ってきてもらおうかと思ったのだが、生憎携帯電話は宿に置いて来てしまっていた。普段使うことが少ないと、持ち歩く習慣が付かなくて困りものである。




とりあえず待ってみようと十五分程空を眺めていたのだが、雨が止む気配は無い。それどころか、雨脚が少し強まったようだった。




(やっぱ走るしかない、か…)




傘一本余分に買ったところで誰も彼を責めないだろうが、ヘッポコ丸の頭からは最早[傘を買う]という選択肢は除外されているようだ。荷物の上部を出来るだけ隙間を埋めるように縛って、それを抱えて立ち上がる。そして一つ深呼吸をして、いざ雨の中へ! …と意気込んだ所で。




「あれ、へっくん?」




その決心をぶち壊す暢気な声が聞こえて、ヘッポコ丸は少しバランスを崩して転びかけた。が、すぐに体制を整えて声のした方向に目を向ける。そこには、まぁ呼び方と声音で大方予想出来ていた人物が、その予想通りにそこに立っていた。



「ライス」
「やっぱへっくんだ。何、買い物帰り?」
「うん、そう。けど、雨に降られちゃったんだよ」
「あぁ、いきなり降ってきたもんねー」




僕も同じ。だから傘買いにもう一回レジに並んだんだーと笑いながら話すライスの手には、その言葉通り一本のビニール傘と買い物袋(ビニール袋じゃなくてエコバック)が握られていた。ヘッポコ丸が実行しなかった案を躊躇いなく行使したライスの判断は妥当だろう。暖かくなってきたとはいえ、まだまだ雨に濡れるのは避けたい季節である。それを逃れるための些細な出費は避けられないものだ。…まぁ、ヘッポコ丸はそれを承知で雨に飛び込む気だったのだが。




「へっくんは傘買わないの?」
「旅の資金を無駄に使いたくないんだよ」
「で、走って帰るつもりだったの? 風邪引いちゃうよーこんな中帰ったら」
「でも、早く帰らなきゃならないし。皆も心配してるかもしれないし…」
「へっくんと食材、どっちをかな〜」
「帰れ」
「冗談だって」




ライスの言動にイラッとして睨めば軽く笑って流されてしまった。しかしこのイラつきの中に、『確かにどっちを心配してるのか分からないなー』という否定しきれない考察にも似た図星が込められているのであって、その睨みには指摘されたことに対する多少の八つ当たりも入っていたりする。ライスにとってはいい迷惑なのだが、本人はその事を知らない。



そうこうしている内も雨が止む気配を見せない。規則的に――或いは不規則的に――雨粒が地を叩く音が継続的に続いている。サーッと静かな雨音が耳を擽る。空を仰いでも、そこには灰色の雲が空を覆い尽くしているだけだった。



こうしてライスと話していても埒が明かない、と判断を下して「じゃ」というあまりに短い別れの挨拶を告げて雨の中に足を踏み出そうとした時。



「ねぇ!」




引き留めたライスの声。思わず停止する体。二度も踏ん切りを邪魔されていい加減無視を決め込もうかと思ったのだが、止まってしまった手前無視は出来ない。渋々もう一度ライスに向き直った。

不機嫌なヘッポコ丸とは対称的に、ライスはご機嫌だった。そして告げられた言葉は。




「良かったら、傘入ってく?」




という、簡潔なものだった。





――――




結果だけを述べるなら、ヘッポコ丸はライスの申し出を受け入れた。――結果だけを述べるなら、である。



最初はその突拍子な申し出をヘッポコ丸は断った。そんなことをしてもらう理由が無いし、何よりその好意はライスのなんのメリットにもならないからだ。申し出は確かに有り難かったが、迷惑を掛ける訳にはいかなかった。だから何度も何度も断ってたしなめたのだが、ライスは一歩も引かなかった。それどころか、




「送らせてくれないなら、ここで僕のパジャマ姿晒すよ?」




という最高にして最悪で最適な脅し文句を囁かれ、それを阻止するためにヘッポコ丸はライスの申し出を受け入れるしかなかったのである。




そういうやり取りがあった後での二人の相合い傘は、なんとも殺伐とした空気に包まれているように思えて仕方がない(脅し文句が脅し文句なのでしょうがないとも言えるが)。ルンルンと鼻唄を紡ぐライスと、黙りを決め込んで口を開こうとしないヘッポコ丸。二人の肩(ライスは左、ヘッポコ丸は右)はしとどに濡れている。いくらヘッポコ丸が男子にしては小柄な部類に入るといえど、やはり市販のビニール傘は小さすぎたのだ。ヘッポコ丸は気を使って場所を明け渡すように横にズレるのだが、気付いたライスがそれを阻止するように腰を抱くので差は広がらない。




「ちょっライス!」
「なに? あんまり離れたら濡れちゃよ?」
「ラ、ライスだって濡れてるじゃんか。やっぱ俺走って帰るよ」
「これぐらい濡れた内に入らないよ。だからほら、もうちょっと寄って」
「うわっ」




グッと腰を引き寄せられ、二人の距離は更に縮まった。相変わらずお互いの肩は濡れ続けているけれど、不思議と寒いと思わない。伝わってくる体温のせいだろうか。よく分からない。



しかし今の状況はかなり恥ずかしい。男二人で、小さなビニール傘で相合い傘をして、その小ささ故に零距離にまで接近して雨を凌がなければならず、お互いの体温を分け合いながら寒さを和らげる。


何処のカップルだよ! …とツッコみたいのを必死に堪えて、ヘッポコ丸は荷物を抱え直した。そのカップル状態になっているのが自分自身なのだから、ツッコんでしまえば墓穴を掘りそうな気がして仕方がなかった。




「雨、止まないねー」




不意にライスはそんなことを言った。ライスは空を見上げていて、ヘッポコ丸も釣られて空を見る。傘越しに見える空は、雨粒に邪魔されているけれど相変わらず灰色の厚い雲で覆われていた。




「通り雨じゃなかったみたいだな」
「お天気お姉さんに嘘つかれたね」
「たまには外すだろ、お天気お姉さんでも」
「空は気まぐれだもんね」
「だな」




ピチャピチャとぬかるんだ地を踏み締めて進む。泥が跳ねて靴を汚していく。ズボンの裾が水を吸って重くなっていく。宿はまだ見えてこない。



傘は一つ。足音は二つ。




「………あ」




道程を半分過ぎたところでヘッポコ丸が声を上げた。何かと思っていると、前から黒い傘を差してコチラに向かってくる人影が見えた。


眩しい程の金色の髪と意志の強い髪と同色のつり目、橙色の半袖ジャケットに黒いズボン、紫と白のマフラーを巻いた季節感丸無視の男。その男を、二人は良く知っていた。




「あれ、破天荒さんじゃない?」
「うん、俺もそう思う」




黒い傘を差した男――破天荒は立ち止まっていた二人に気付き、早足に近付いてきた。しかし、その表情は決して穏やかなものではなかった。




「なんでテメェが此処にいんだよ」
「雨が降ってたから送ってあげてる途中なんですよ。こんな中傘無しで帰ったら風邪引いちゃいますから」




嫌悪感丸出しの破天荒の言葉にまるで動じずに飄々と答えるライス。明らかな敵視もライスは簡単に受け流すので、破天荒はそれが面白くなくて眉間に皺が寄った。




「そうかよ。それはご苦労だったな。俺が来たからお前はもう帰って良いぞ」
「イヤだなぁ、破天荒さんが来たってあまり意味が無いじゃないですか」
「ああ?」
「だって、傘一本しかないじゃないですか」
「…………あ」




ライスに指摘された通り、破天荒は今差している傘一本しか手に持っていなかった。ヘッポコ丸を迎えに来た筈なのに、なんたる失態だろうか。


指摘された破天荒はバツが悪そうに頭を掻き、ライスは「ドジだなぁ」と言ってクスクス笑い、ヘッポコ丸はそんな二人をハラハラしながら見守っていた。この一発触発な空気がどうして形成されているのかは分からないけど、破天荒の機嫌が滝のように下っているような気がしてならなかったからだ。




「それじゃあなんのための迎えか分からないじゃないですか」
「うっうるせぇな! テメェには関係無いだろ!」
「そんなこと言ってぇ」



ライスはニヤニヤ笑いながら、二の句を次ぐ。




「へっくんと相合い傘するためにわざと忘れたんでしょ?」
「なっ…!」
「……?」




破天荒にしか聞こえない程度の声で囁き、紡がれた言葉に破天荒は目を見開いた。それをライスは図星ととり、また愉快そうに笑う。



「残念でしたねぇ」




勝ち誇ったように言うライスに、破天荒は負け惜しみなのだろうか、拳骨を一発かました。突然のことにライスは抗う術を持たず、重い衝撃を一身に受けることになった。それを見て慌てるのはヘッポコ丸で。




「ちょっ破天荒! なにしてんだよ!」
「殴った」
「んなの見たら分かるんだよ!」
「じゃあ聞くなよ」
「子供かお前は!」
「い、良いよへっくん。僕は大丈夫だから」
「でもライスっ」
「良いから良いから。…で、破天荒さん、どうするんですか?」




痛む頭を擦りながらライスは言う。




「お互いに手持ちの傘は一本ずつ。このまま僕の傘に入っていても、破天荒さんの傘に入り直しても、結局は大きさの問題でへっくんが濡れちゃいます。それはあなたも不本意でしょう?」
「…………まぁな」
「でしょ? だから、それを打開するには方法は一つです」



ピッと指を一本立てて、ライスは笑って言った。




「三人で相合い傘しましょう」




――――




結果だけを述べるなら、破天荒とヘッポコ丸はその申し出を受け入れた。…そうなるまでに幾つもの罵声と拒否と妥協が飛び交ったのだが、それを語り出すとまた話が長くなってしまうので割愛させていただく。



現在、左からライス、ヘッポコ丸、破天荒の順に並び、頭上には黒と透明の二つの傘。それが折り重なるように差され、ヘッポコ丸は濡れずに済んでいる。破天荒とライスはやはりはみ出してしまった肩が濡れているが、ヘッポコ丸はもうそれに対して気遣うことを止めていた。何故なら、そんなことよりも、今の状況を仲間達に目撃されてしまった際の言い訳を考えることに必死で、周りをしっかりと認識していなかったからだ。だから、




「テメェ、次に会った時は覚えてろよ。絶っ対そのヘラヘラした笑いを消してやる」
「男の嫉妬なんて醜いですよ破天荒さん。たかが相合い傘じゃないですか」
「うるっせぇ! 俺だってまだした事なかったんだぞ!」
「だからってわざと傘を忘れるのはどうかと思いますよ」
「そのチャンスを潰したテメェに言われたくねぇ!」
「考えることがまず小さいですよ。相合い傘の前にちゃんと告白したらどうですか?」
「テメェの指図なんか受けねぇ! 俺には俺のやり方があんだよ!」
「へー。でも、あんまりモタモタしてるなら、僕がもらっちゃいますよ」
「はん。テメェなんざに渡してたまるかよ」
「それはこっちの台詞です」




と、頭上で火花を飛ばし合う二人に気付かなかった。これだけ周りに気を配れないほど無防備になるほど、ヘッポコ丸はこの光景を目撃されることが嫌だったのだ。その言い訳だって思い付かなくて、ますますヘッポコ丸から余裕を奪っていく。


破天荒とライスはそれを狙ってなのかそうではないのか、尚も不毛な言い争いを繰り広げ、火花を散らし、




「ヘッポコ丸は渡さねぇ!」
「へっくんは渡しません」




お互いの闘争心を煽りに煽って、泥濘すらも渇きそうな勢いで燃えていた。全く、良き恋のライバルである。




傘は二つ、足音は三つ。




宿は、もうすぐそこまで迫っている。



















――――
傘二つ 足音三つ
シド/シャッタースピード

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