「今夜も修行か?」




月も高い、深夜のこと。



こっそり抜け出そうとしていたのに、一番見付かりたくない人物に見付かってしまった。もう眠っているものだと思っていたから、突然声を掛けられて心臓が跳ねた。





それはただ驚いたからなのか…。



それとも、動揺からきたものか…。




振り返れば、不機嫌そうな顔で俺を見下ろす破天荒の姿があって。



あぁ、しまった。やっちゃったって、思った。




「…寝てなかったんだ」
「最近子猫ちゃんの夜遊びが過ぎるみたいだからな。寝たふりしてたんだよ」
「人聞きの悪い…俺は別に遊んでるわけじゃ…」
「だから『修行か?』って聞いたじゃねぇか」
「……修行だよ」




夜も遅いこの時間に口論になるのは避けたい。他の皆はとっくに眠っているだろうから、起こしてしまうのは忍びない。言い返したいことは山のようにあったが、それらを全て飲み込んで肯定で返した。いさかいを防ぐには、それが最善の策だった。



ちゃんと答えたのに、何故か破天荒の眉間に皺が増えた。それに比例して鋭くなる、視線。




「最近修行ばっかじゃねぇか…いい加減にしろ、体壊すぞ」
「強くなるためには、多少の代償は払うべきだろ? 寝不足ぐらい、どうってことない」



破天荒なりの労いの言葉なのは分かってる。いつもあまり俺に干渉してこない破天荒が珍しく俺の行動に文句を付けて、怒っている。口は悪いけど、ちゃんと心配してくれてるのは――理解してる。


だけど俺はそれを冷たく突っぱねた。破天荒の神経を逆撫ですることになると分かっていたけれど。敢えて俺は破天荒の癪に障るような言葉を選んだ。

俺は急いでるんだ。早く行かなくちゃ、いけないんだ。




案の定カチンときたのだろう、破天荒が俺の肩を掴む。




「おい、俺はお前を心配して言ってんだぞ。それを…」
「ごめん、時間が惜しいからもう行く」




まだ何か言いたげな破天荒の言葉と手を振り払って、駆け足で宿を出た。後ろから破天荒が俺の名前を呼んでいるのが聞こえるけれど…それを掻き消したい一心で、俺は暗い森の中へと足を踏み入れた。



戸惑いも背徳も躊躇もなく、俺は自分の気持ちに素直に従った。






――――




森を真っ直ぐ抜けた所に、大きな湖がある。そこが、今日の俺達の待ち合わせ場所。




「ライス…!」
「へっくん」



待ち合わせの相手――ライスは既に湖の畔に居た。俺が名前を呼んでその胸に飛び込めば、ライスは笑顔で俺を抱き締めてくれる。この腕の中に包まれている時間が、俺はすごく好きで。



「会いたかったよ、へっくん」
「うん、俺も…」



強くなる抱擁に呼応して回した腕に力を込めた。トク…トク…とライスの心臓の音が耳を擽って。それが俺をとても安心させてくれる。



ライスが、今、此処に居る。それを認識させてくれる。




「今日は遅かったね。なにかあったの?」
「ん…破天荒に見付かっちゃってさ」
「…え、バレたの?」
「バレてはないよ。あの…最近夜に抜け出してばっかだから、心配してたっていうか、怒ってたっていうか…」
「あは、愛されてるねぇ」



何の気なしに発された「愛されてる」という言葉が、ヘッポコ丸の心にグサリと突き刺さった。ライスは別に深い意味を持ってそう言ったのではないだろうが、『今』のヘッポコ丸にはその言葉が重く重く、心を押し潰してくるのである。





破天荒と付き合っている身分でありながら、こうしてライスに心変わりして、浮気をして、幾度となく逢瀬を繰り返していれば…破天荒に対する後ろめたさも募るというもので。破天荒の心を踏みにじっているこの行為の中で『破天荒に愛されてる』ということは、どうしようもなく罪悪であった。


…まぁ、仄めかして唆して陥らせてこの関係に甘んじているのだから、ライスだって同罪なのだが。



とりあえず座ろうよ。そうライスに促されて、二人は畔に並んで座った。二人とも履いていた靴と靴下を脱ぎ捨てて素足を晒し、それを水に浸した。月に照らされてぽっかりと月を映す湖の水は冷たくて気持ちが良かった。




「別れたいってまだ言ってないの?」
「なんか、言い出しにくくて…」
「へっくんは優しいなぁ」




なんなら僕も一緒に付いていこうか? というライスの申し出に、ヘッポコ丸はゆっくりと首を振った。



「俺の勝手な我が儘で破天荒と別れるんだから――ライスに頼っちゃ、いけないんだよ」
「でも、へっくんは言い出せないんでしょ? だから嘘まで吐いて、僕に逢ってるんじゃないか」




全くもってその通りだ。今の自分はひどく身勝手な逃避者である。それを否定することも、する資格すらも無い。




夜毎繰り返される逢瀬。破天荒には「修行だ」と偽り、隠れて甘い蜜を吸う。卑怯な俺。





破天荒と別れられないくせに――



ライスと愛し合えないくせに――




どちらか一人なんて決められない貪欲者。それが俺の本性。




「まぁ、僕はどっちでも良いけどね」




俺の肩を抱き、自分の方へ引き寄せるライス。元から近かった距離が更に狭まり、二人の体は密着する。




「へっくんが破天荒さんじゃなくて僕を好きでいてくれる。それは偽りようのない真実で事実だもん。へっくんが破天荒さんに別れを告げるのがまだ無理なら、僕は何時までも待つよ。へっくんはもう僕のだけど、完全にって訳じゃないからね。完全に僕のへっくんになるまで、僕はずっと待ってるからさ」
「ライス…」




暖かなライスの言葉に、俺は返す言葉が見付からなかった。




感謝するべきなのか。

はたまた謝るべきなのか。




どちらも当てはまりそうだけど、微妙に違うような気がする。



感謝するにしても一体何処に感謝すべきなのか俺は曖昧で…謝るにしても一体何に謝るべきなのか、全てが的を得すぎていて判断出来ない。



本来はどちらもライスに投げ掛けなきゃならない言葉なんだと思う。だけど俺は結局どちらも言えず、ライスにもたれ掛かったまま、沈黙するしかなかった。






―――破天荒。





不意に、アイツの顔が頭を過った。




初めて好きだって言ってくれた時の珍しく恥ずかしそうにしていた表情。俺が無茶する度にバカ野郎と罵って、しかし人一倍心配してくれたアイツの態度。くだらないことでケンカしてふてくされる俺に気まずそうに話し掛けてくる声色。愛してるって囁いて優しく抱いてくれたアイツの腕。その温もりはもう思い出せない。ずいぶん長い間、あの腕に抱かれていない気がする。夜に抜け出す俺を心配して咎める視線。そこにアイツなりの優しさが込められていたのは、ちゃんと感じ取っていた。




破天荒から与えられる全てのものを、俺は捨てた。裏切った。





破天荒から与えられる愛を捨てて、ライスから与えられる愛を受け入れた。破天荒の想いを踏みにじった。しかもそれを打ち明けていない。何度も偽りを重ねて、ライスが与えてくれる愛に溺れている。破天荒が与えてくれる愛に不満を覚えたわけじゃない。公に晒される愛は恥ずかしかったけど嬉しかった。




なんで、俺は――






「…へっくん?」
「っ…」
「どうしたの? なんで泣いてるの?」
「ラ、イス…うっ、俺、俺は…」
「ん…良いよ。泣きなよ」
「う、うぅっ……ひっ、う、うぅ…」




促され、優しく髪を撫でられ、抑えきれなかった涙が次々に零れて頬を滑っていく。必死に声を殺そうとするけれど、込み上げてくる嗚咽のせいでそれは叶わない。ライスに抱き着いて、縋りつくような形で、俺はただ泣いた。何が悲しいのか自分でも分からないまま、俺は泣いた。







――この密事はあと何度、繰り返されるのだろう。





破天荒との関係にピリオドを打てるのは、あと幾つの嘘を重ねた後なのか…。




















――――
何度目の嘘で終わるだろう
the GazettE/HOLE

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