月もまだ高い夜の帳。ヘッポコ丸はふ…となんの前触れもなく眠りから覚め、目を開けた。月明かりに照らされた室内は仄かに明るく、部屋の全貌を容易く浮き彫りにしていた。



部屋に、ヘッポコ丸以外の姿はない。彼は一人で、豊かな寝具に身を沈め、眠っていたようだ。――たった一人で、である。



本来ならば、この状況になんの疑問も抱かなかっただろう。部屋で一人で眠りに就いているなど、ごくごく自然なことで当然のことなのだから。



しかし、ヘッポコ丸はそうではなかった。わざわざ寝起きにダレる体を叱咤して起き上がり、月明かりで満たされている部屋をぐるりと見回して、ポツリと、




「破天荒…?」




一人の男の名を、呟いた。














文字で記してしまえば明白なのだが――ヘッポコ丸は現在衣服を纏っていない。衣服どころか、一糸纏わぬ姿で、眠りに就いていたようである。別にヘッポコ丸が眠る時には全裸で…と決めている訳ではない。ヘッポコ丸はそんな異種な変態ではない。彼の威厳のため、そこだけは重ねて御理解頂きたい。



ヘッポコ丸がこんな姿を晒しているのは、件の男――破天荒と、最早口にするまでもないだろうが…情事という名のアソビを、していたからである。このアソビに服なんて不必要だ。開始早々に、ヘッポコ丸はその身に纏う全てを取り払われた。

そして雪崩れ込み、熱に浮かされて、快楽に溺れて、鳴かされて、欲に濡れた時間を過ごした。



そうした後始末を終えてから、二人は同じ寝具で眠りに就いた筈である。少なくとも、ヘッポコ丸が眠りに落ちる瞬間までは、確かに隣に破天荒は居た。




だけど今は――隣に居ない。





しかしヘッポコ丸はそれをさして不安がる素振りは無かった。一度だけ名前を呼び、なんのアクションも返ってこないことを確認して――確信してしまうと、早々にまた寝具にその身を預けたのである。





眠りから覚めて、隣に破天荒が居ないことなんてザラだった。寧ろ、自分が目覚めて破天荒が隣に居たことなんて、たったの一度も無い。ヘッポコ丸はすっかり眠気が飛んでしまった頭で、ぼんやりとそう思考した。




破天荒とヘッポコ丸の関係は何か――そう問われれば、ヘッポコ丸は迷わず「体だけの関係」と答えるだろう。破天荒もきっと同意見を即答するに違いない。そう言い切れる程、二人の関係はひどく割り切れていた。




ただの体の良いアソビ相手――そう言い切れてしまう、ある意味で強固な関係である。




持ち掛けてきたのは破天荒の方だった。どんな意図があってヘッポコ丸を選んだのかは定かではないが、その時の破天荒が欲求不満であったのは明白である。そうでなければ、犬猿の仲であったヘッポコ丸にそんな提案をしてくるはずがない。ただどうでも――誰でも良かっただけなのかも、しれないけど。



そしてヘッポコ丸も断れば良かったのに、あろうことかその提案を受け入れてしまったのである。



あの時の自分は一体何を考えていたんだろう…そう思案しても、答えが出ることはない。真実は全て闇の中…である。





それからズルズルと継続している関係であるが、そこには微妙な温度差が存在している。情事の間、キスはするけれど甘い言葉は無い。触れてくる手は優しいけれどいつも性急だ。後始末はしてくれるがいたわりは無い。同じ寝具に潜るけれど共に眠らない。ちぐはぐで曖昧で、ヘッポコ丸は時々何が何だか分からなくなってしまうのだ。




これがただの性欲処理なのか、恋人同士の秘め事なのか――その境目が、見付からないのだ。




寂しいと思ったことは無い。感じるのはただの虚しさ――虚無感だけ。



何度交わっても埋まらない隙間。成り行きで始まった関係ではあるけれど、そこに何かを感じないか…そう問われれば、感じるものはある――ヘッポコ丸はそう答える。




ただし、それが愛情なのかどうかは…分からないけれど。





なんの気無しに、破天荒が使っていた枕を引き寄せてみた。そこから微かに香る、破天荒がいつも付けている香水の匂い。毎回嫌になるほど嗅いでいるそれがなんという名前の香水なのか、ヘッポコ丸は知らない。聞いたことも無いし、聞く気も無かった。




隣に破天荒が居た――それを証明するかのように微かな匂いを放つ枕。ヘッポコ丸はそれを抱き締め、鼻孔を擽るその匂いに何故だか安心感を抱いた。どうして安心しているのか自分でもよく分からなかったけれど、この際そんなことどうでも良いように思えてきた。



再び重くなっていく瞼。ヘッポコ丸は己が先程まで使っていた枕と破天荒の枕とを交換し、バフッとその枕に頭を沈めた。未だ微かな匂いを放つそれに頬摺りし、ヘッポコ丸は目を閉じて、再び眠りの世界に落ちていった。

















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残り香の腕枕
シド/青いレンガ

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