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□人間自販機
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取り出し口に何かが───誰かが転がり落ちてきた。暗がりに紛れて細部まで確認する事は出来ないが、何か白っぽいものが見える。衣服のようだ。

足がすくんだ。目眩がした。何とか意識を保つために噛んだ下唇が白く濁る。


「どうしよう」


どうするもこうするも無い。これを"買った"のは紛れもなく貴女自身なのだ。
まるであの機械音に何もかも支配されたみたいだった。意識がその白いボディに吸い込まれていく様だった。


「本当に、し、し、死体だったら……」


財布を拾うのも忘れて嘆く。冗談ではない。中にいるのは明らかに人間だ。
震える膝をぎこちなく折って取り出し口を覗く。

短い髪の毛、首、背中、腰……確かに男性らしい後ろ姿があった。
傍の街灯は表面を照らすのみで奥までは届かず、後ろ姿より向こう側は依然として闇だ。

取り出し口についている長い手すりを掴む。
重い。普通の人間の体重。等身大フィギュア、なんて可愛らしいものではない事を改めて思い知らされた。

今すぐにでも全力疾走で帰りたかったが、もし死体だったら善良な市民としてそれなりの機関に通報する義務がある。
第一ここで逃げてしまえば私が疑われる────
貴女は非現実的事態を前に、現実的な事柄に頭が回る自分にも吐き気がした。

全て夢であって欲しい。

泣きそうになるのを堪えて力を振り絞ると、その背中が重みに任せてこっちに向く。遂に闇に隠れた部分が露になった。


「いやっ」


いよいよかと思うと恐怖が最大限にまで膨れ上がり、手すりを離してしまった。
尻餅をついて口を抑えた。これ以上情けない声を上げない為に。

はみ出し、だらりと外に放り出された片腕。開き切った取り出し口は男の重心でもう閉じない。
頼りない光に照らされた顔はさして貴女と年が変わらないように見えた。
きりっとした眉、伏せられた瞼、鼻筋がよく通っており、薄めな唇はきゅっと閉じられている。
────死体にしてはやけに綺麗だ。

口から手を離し、喉まで出掛かっている悲鳴を必死に飲み込みながら四つん這いで近付いた。


「あ、の……」


声が詰まる。脇の下をひんやりと汗が滲む。手を伸ばし、指先でその頬をなぞってみる。
温かい────そう思った刹那、固く閉まったままの瞼がぱちっと開いた。


「きゃ────!!」


反射的に身を引き、地面に尻をついたままずるずる後ずさった。腰が抜けて立てない。

男はぎこちなく上半身を起こし、想像通りに中から這い出てきた。スニーカーが地を踏んだ瞬間、重みを失った取り出し口が元通りに閉まる。

ゆっくり立ち上がって背伸びをしたり手首や足首の関節を振ったり揉んでみたり……貴女はそんな男の様子を見上げながら、いつの間にか取り落としていたらしいバッグをしっかり胸に抱えた。
他に逃げる準備と言えば下半身に渇を入れるぐらいなものだが、歯の根も噛み合わないこの状態では時間が掛かりそうだ。

動いた。
どうしよう。
動いた。
動いた。
誰これ。
何なの。
何これ。
夢?
ああ、そうか。
夢。
夢なのね。
自販機から人間が出てくるなんてあり得ないものね。
自販機じゃ人間は買えない。
人間は買うものじゃない。
じゃあ何でこの人自販機から出てきたの?
"自販機"。
買われた?
ああ。
私が買ったから。
私が


















貴女の思考が遠いどこかに飛んでいった瞬間


「夢みたいだ」


────と呟いたのは。
貴女の口ではなくて、貴女を見つめていた男の口だった。



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