■小劇場 4

□二百十日
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窓の外のどこか遠くで、
何かが転がる音がした。
由緒のある古いそれだが、
手入れの行き届いた屋敷だ、
家が軋むような物音が
全く立たなかったせいで
忘れていたが、
そういえば、
すぐ南の海まで
大きな台風が迫っていると、
ニュースで言っていたような。

 「  ……。」

体内に籠もった熱に
炙られているせいで、
ぼんやりとしていた
意識のまま、
そんな
取り留めの無いものへと
注意が逸れかけたものの。
ほんのすぐ間近で、

  ……は、と

声にならない、だが、
くっきりと
隠しようのない
吐息の気配が
落とされたことへ
気がついて。

  …………………あっ、

淫らな熱に炙られ続け、
今にも
手放しかけていた意識に
別の熱が灯る。
熱というよりも
灯火のような、
身をおく閨の薄暗さにさえ
届いたような、
そんな冴えた明るみが、
曖昧になりかけていた意識へ
囁きかけてくれた。
そんな気がした
七郎次であり。

 “…か、んべえさま。”

息の上がる気配や汗の感触、
そこへ入り混じる
男臭い匂いを
少しでも感じられたことへ、


  ああ良かったと
  ほっとする。
  少しでも悦いと
  思って下さったのだと、
  やっとのこと
  嬉しくなる……。




久し振りの逢瀬で、
とはいえ、
無理強いされた訳じゃない。
余程に苛酷な
務めのあとだったか、
何かを忘れたいとか、
何も考えたくは無いからと、
時にのめり込むような
求めをされることもあり。
そういう時もまた、
この身で
落ち着いて下さるなら、
いくらでも
甘えて下さればいいと
理不尽な八つ当たりを
して下さってもかまわないと、
いつだって
思っているのだし。

 “そのための
  我が身だとまで、
  卑屈なことは思わぬが、”

 ただ。
 どんなにお辛い時でも、
 こちらへの
 気遣いをばかり下さる、
 そんな優しさが
 却って哀しい、
 それはそれは
 懐ろの尋の深き御主様。

旧諏訪の支家の
直系とは言え、
まだ年若で、
しかも所属する
支家もないがため、
現実には
どこの実行部隊とも
縁故を持たぬ身で。
よって、先々でも恐らく、
前線へ立つ武力としての
“名乗り上げ”が
出来ない自分は、
せめてこういう形で…と
思うしかなくて。
同じ男でも
まずは惚々する
精悍なお顔に見合う、
しっかとした自負に
支えられた雄々しさと、
奥深い知性や智慧が
無理なく同居した
頼もしい表情。
いざ殺気を帯びると
その鋭い視線だけで
射殺せるのではないかと
いうほどの、
鬼神の異名に相応しい、
激しい威容を
まとうそうだが、
今のところは
拝見したことがなく。

 ああそうだ、
 その双腕へ
 庇い守られている身だもの、
 そんなお顔や気概を
 お持ちになろうはずがない。

そうまで非力で、
何にも持たぬ存在で、
なのに、
気を配って
いただくばかりな自分。
閨を同じうしていても、
拙いばかりで何も出来ない。
女性のそれのように
柔らかな胸乳もない、
香しい匂いがするでもない。
光を集めたようで
気に入りの髪だと
言って下さったことも
あったが、
それだとて
明かりがなければ
色も沈んで意味がなく。
愛しい愛しいと
睦んで下さる
優しい手により、
肌のうちから肉の奥から、
こちらばかりが
熱を引き出されてゆく。
濡れ紙の上へ
ぽつりと落とされた
色水のように、
抗いようのない刺激が
じわりと
四肢のすみずみにまで
広げられ。
間に合わないからと
口でする呼吸の音が、
耳元でザアザアと騒いでは、
総身を巡る
血脈のうねりを急き立てて。

 「う…くぅ……、
  ぁ…は…っ。」

こちらばかりが
取り乱すようでは、
何とも
申し訳無いものだからと。
息を詰めるようにして
堪えていたが、

 「……これ、七郎次。
  よさぬか。」

愛撫の手を止め、
情人の口元へと
押しつけられた
白い手を覆う。
さほどに
明るくは無い中でも
判るほど、
もはやくっきりとした
歯型が刻まれている指が
痛々しい。
日頃は透けるほどに
色白のところ、
今はすっかり
上気させた頬も
艶めいたお顔の中、
吐息に濡らした唇の間へと
自分でねじ込んだ指を、
血が出るほど咬む癖が
どうしても直せない彼であり。
いやいや、
恐らく癖などでは
ないのだろう。
声を出したくはないものか、
そうまでして
乱れるのが恥ずかしいものか、
熱が感覚が極まるほどに、
そうして
自分の指や腕に噛みついては、
自分を
傷つけるようになった
彼であり。
そんなにも嫌なのかと、
辛いのかと
問うたこともあるが、
ただただ一途に主人を慕い、
尽くしたいとする彼のこと、
そんな訊きようで
本心が明かされようとは
勘兵衛とて思わない。
それに、
無理強いへの堪えとも
思えぬ…と感じるのは、

 “それこそ
  私の自惚れなのだろうか。”





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