ワケあり Extra 6

□華麗なる美技に括目せよ
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ストラディバリウスは ストラドとも呼ばれるバイオリンの名器で、
17世紀、イタリア北西部のクレモナで活動した弦楽器製作者
アントニオ・ストラディバリの名を冠している。
16世紀に生まれたバイオリンへの様式の完成に貢献した功がたたえられており、
2人の息子と共にその生涯で1116挺の楽器を製作したとされ、
バイオリン、ヴィオラ、チェロ、マンドリン、ギターを含む約600挺が現存しているそうで、
所有者や演奏家が明らかになっているものへは、愛称が付けられて広く知られてもいる。
その完成度や希少価値から、収集家やバイオリニストからは羨望の的であり、
最高落札価格は
2011年6月21日に1589万4000ドル(約12億7420万円)で落札された
1721年製のストラディバリウス「レディ・ブラント」だそうで。

『12億。』
『ちょっとした都道府県の年間予算ですわね。』

まま、世界レベルの資産家なら屁でもないのかもしれませんがと、
今日の真の主役にあたる世界的名器の話にも 触れてはいた3人娘たち。
今回お目見えとなるそれは、
そんな途轍もない代物ではないながら、それでも、

『2億1千万。』
『うわぁ、ちょっとした豪邸が建ちますね。』

楽器でしょう?弾ければいいんじゃあないの?要は演者の実力でしょうにと、
そんなところへお金をかける気が知れないなんて思う彼女らの言い分も判るが、
それこそ価値観というものは人それぞれ。
高級ブランドのバッグを幾つも幾つもコレクションするご婦人もいれば
気に入ったスポーツカーを片っ端から買い求める富豪もいるが、
そのどなたもが財力をひけらかしたくてやっているとは限らない。
そんな薄っぺらで傲慢なことをしたいんじゃあなくて、
ただ単に当人の嗜好が惹かれる対象が高価だってだけって人もいなくはなかろう。
ましてや、現存するものが大層限られている名器ともなれば、
人生かけて積み上げた資産を投げうってでも欲しいという人もいるらしく。
今回のストラデはというと、
久蔵の両親の知己で、お嬢様にも親交のある某ご婦人が、
先年、とあるオークションで落札なさった逸品だそうで。
もともとクラシックにも親しみ深いお人ではあったが、
そんなお人が念願かなって入手した逸品、
あまりの嬉しさから
是非とも 日頃可愛がっている久蔵さんに演奏してほしいというリクエストをなさり、
周辺の人々がそれならと駆けずり回ったその結果、
こたびのこの公演が実現に至ったというから…それもまた物凄い話の順番ではあるのだが。

 “まま、久蔵殿が属す世界は、
  そういう社交界のトップクラスの方々がおわすところでもあるのだし。”

当人には そんな心構えだの一般とは微妙に異なる価値観だのは一切見受けられないけれど、
ただ単にハイクラスなセレブが利用する施設のオーナーだから
接客上の心得が必要だ…という以上のレベルにて、
三木コンツェルンの次々期総裁候補としての技量とやら、やがて求められもするお立場なので。
スルースキルなり順応性なりも そのうち身についてゆくのだろうなぁなんて、

『???』

七郎次が親御のような眼差しで見やっておれば、
どうしたの?と小首を傾げて見せた紅ばらさんだったのが もうもうもう可愛くてっ!

「……シチさん、何を思い出していたのか当てて上げましょうか。」
「ごめん、集中する。」

控室にて交わした会話なぞ、ふと思い出してた七郎次だったが、
今はお友達の晴れ舞台に集中しなきゃねと、てへへと小さく微笑って誤魔化して。
座席に深めに座りなおすと、佳境へと入りかけている演奏に身を入れて聴き入る。

 “それにしても凄いなぁ。”

バイオリンが世に登場したのは16世紀初頭と考えられている。
イスラム圏で用いられていた擦弦楽器が元ともいわれており、
当初はあまりに個性的で華美な音色を敬遠されたらしいが、
音量や音域がどんどんと改良され、
且つ、同時進行で室内楽の楽曲にも合奏協奏曲という形式が普及。
嗜好の変化ともあいまって合奏に盛んに用いられるようになり、
現在のように交響楽などで主役を張るまでとなった。
また、技巧色の強まりなどなどから、
パガニーニの奇想曲など高度な演奏技術を見せつける曲も多く作られた

 “…と、ウィキ先生に載ってましたが。”

ですよねぇvv
大慌てであれやこれやを調べましたが、そんな御託はともあれ…というか、
優雅にゆったりと、はたまた激しく冴えさせた響きを紡いて響き渡る、
この妙なる音色には やはり理屈抜きに惹きつけられる。
クラシックなんて生活に余裕のある人たちのもので、何より肩が凝るばかりじゃないのと敬遠し、
日頃はユーロビートだのヒップホップだの、ノリのいい曲ばかりを聴いていても、
こうしてじかに聴くと 品のあるなめらかな音色には胸倉を掴まれる勢いで惹きつけられるし、
巧みに旋律を操る技法には、感性の壺を釣り上げられたそのまま圧倒されもする。
バラがきれいでいい匂いがするのは当たり前じゃないかと、
私はそうそう通り一遍なものへねじふせられないぞと思って肩ひじ張ってみても、
瑞々しい実物を目にするとあっさり負けてしまい、素直にうっとりするようなものかも知れぬ。

「出来のいいチョコレートみたい。」
「うん、そんな感じvv」

バイオリンの奏法というと、
音と音の間に切れ目が入らないように
一弓でなめらかに弾くというのがまずは浮かぶが、
これはそちらの用語で“スラ―”といい。
音階を変えつつ弓を上げ下げするデタ―シェでボウイング(運弓)を学び、
そこから、弓を離さぬまま、されど1音1音を曖昧にせぬよう、
音階を駆けのぼるように紡ぐマルトレ、
弦の上で弓をやや弾ませ、音にアクセントを施すスラースタッカートや、
弓を弦から跳ねさせてもっと強調する演奏法はスピッカート(跳弓)、
華やかさを演出するため、装飾音符やトリルと呼ばれる演奏手法もあって。
そちらは音の手前で指板をはじいて加える技法。
短音だったり複数回連続して入るものもあり、
演歌のこぶしのようなものだと久蔵が言っていたのは、
周りの大人の誰かの言い回しだろう。

 “案外と兵庫せんせいが例えたのかもだな。” (笑)

そんな按配で、
奏者であるご本人は彼女なりの何とも砕けた接しようをしているようだったが、

 “素敵だなぁ…。”

バイオリン奏者の皆様が一斉に奏でる合奏部分も重厚で、
ゆんとしなう つややかな音色が重なって逸る風のように群れ成したまま
どんどんと高みへ駆けのぼってゆくような、
そんな勇壮な展開が何とも荘厳で、シルクのような音の響きが否応なく総身をくるむ。
そうかと思えば、螺旋を描くように高低を行ったり来たりした旋律が
不安を追い立てるように空気を蹴立て、
そこから舞い上がってゆく感じが、戦火や疾風のようでもあって勇ましい。
それらが場を均したところへ パッとスポットライトが目映く投じられ、
先程もちょろりとあった久蔵さんの独奏部分が 今度は長丁場で展開するようで。
あれほどごねていた不機嫌もどこへやら、
そこはやはり好きだからと進んでたずさわっている代物だからだろう。
ハチミツの湖へ金色の飴の舟で
途切れることのない軌跡を付けつつ風に乗って進み出るような、
それはそれは甘露にしてつやめく一弓の奏でが何とも素晴らしい。
ちょっと妖冶な色も含んで、されどはしたなくはない硬質な、
高貴な甘さが舞い上がりかかったその取っ掛かりで、だが、

 「………え?」

それもまた演出かと思ったのは、
音色を邪魔するような雑音混じりなことではなかったためで。
加えて大多数の人々が ただただ演奏へ全霊を吸い込まれるように聴き入っていたからだろう。
だがだが、
唐突にステージを含めた場内が真っ暗になったのはさすがに演出じゃあなかろ。
一応は暗譜なさってもいる演者の皆様だろうが、
それでも指揮者のタクトが見えなきゃ演奏にならぬからで、

「なになに?」
「停電?」

一拍ほどの間合いがあってから萎れるように伴奏の音がやみ、
独奏の音もそれへつられてか ふっと途切れる。
無音となった場内がざわざわと私語で波立ち始めて、
さすがに報道関係者が多かったからか、
スマホを点灯させる光があちこちでぽつぽつと灯りだしたそんな間合いへ、

 【 ご来場のお客様、ただいまスタッフが原因を…】
 「静かにしやがれっ。」

主催者側のスタッフがとりあえずの館内放送を入れたのと かぶさっての食い気味に、
ガサガサと不作法な代物ながら、いやによく通る 張りのある声が高らかに鳴り響き。
それが合図であったかのよに、
今度は客席の隅々まで照らし出すほどの眩い光が灯ってのこと、
場内が一気に白昼のごとく満たされる。
凶暴なまでの強さに、思わず手をかざしてしまったその隙間から見やった檀上。
地震や台風への備えは完璧な割に、
人為的な脅威への日本人の危機意識は特段に低いとされているのがよく判るなぁと思ったのが、
観客席にいた人々もだが、ステージで楽器を手に手に坐していた演者の皆さんも、
暗くなってもさして動じずにいらしたそのままだったらしいのがようよう判るほど、
ほぼ全員が演奏用の椅子に座ったまま、明かりが消えた直前と変わらない配置でいらしたのだが。
そんな彼らの視線が集まる先、
壇上で一人客席へ背中を向けて立ってらした指揮者の姿だけが
不自然にも二重にぶれてのぎこちなく。

「あれって…。」
「誰?」

燕尾服の背中に誰かが貼りついているせいだと判ったのと同時、
その誰かが高々と振り上げたのは、凶悪な光が濡れたようにその切っ先へと走った刃。
シーナイフと呼ばれるマリンスポーツ用の大振りでごつい仕様の刃物を握りしめ、
もう一方の腕で男性指揮者を羽交い絞めにしている人物が、いつの間にか乱入してござる。
無地のニット帽をかぶり、
ブルゾンタイプのダウンのジャケットに、作業用のそれかカーゴパンツ風のボトムという、
ありふれたいでたちながら、この場に混ざると目立っていたかもしれない恰好の男で、

「壇上へ一気に突入するのを制されないように、明かりを落としたってところだね。」
「うん。」

あの格好では、スタッフとして紛れ込むことは可能でも、場内へまではうろつけない。
とはいえ、案内係として堅苦しいセミフォーマルをまとえば動きに儘が効かない。
今日の来賓は大方が身内か報道関係者ばかりだとはいえ、
そちらへ紛れ込むには社証や身分証が必要…とあって、こういう段取りになったらしいなと。
そういう方向での目星をつけた白百合さんとひなげしさんの落ち着きっぷりへ、

 “頼もしいやら おっかないやら…”

一般客は半分もいないとはいえ、それでも思いも拠らない凶行を前に、
きゃあという甲高い悲鳴の声が 二、三 上がったほどでもあり。
居ても立っても居られないと恐慌状態になられても手が付けられぬが、
冷静でいればいたで、このお嬢さんたちの場合はもっと恐ろしい展開になりかねぬ。
視線はステージへ向けたままで小さな肩を寄せ合い、
真摯なお顔でこそこそと何やら囁き合っている二人を横目で見やった良親殿が、
こちらは舞台上とお嬢さんたちとへ注意を払い始めたところ、

「おら。そこの女、そのバイオリンをこっちへ渡せ。」

  ……はい? ×@




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