千紫万紅、柳緑花紅
□二の章 神無の冬 @
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二の章 神無の冬 @
大団円と、それから
お昼時になって、里でも名代の蛍屋名物、春の御膳が供される。錦糸玉子の黄色は菜の花、鯛でんぶの淡い緋色は桜の花霞を模して飾った甘い目のすし飯には、やはり甘い酢でしめた蓮と、仄かな潮味のみで茹でた芝エビが添えられ、キヌサヤの緑が鮮やかな拮抗で飯の画面を引き締める。鉢には春が旬の野菜にタケノコ、地鷄を軟らかくも瑞々しく煮て加えた“炒りどり”が盛られ、しっとり焼いたさわらの焼き物と鰻のつけ焼き。菜ものの緑も眸にはにぎやか、お吸いものには大きなハマグリと来て、それはそれは手の込んだ豪勢な逸品揃い。
「材料を揃えるだけでも
大変なのではないか?」
山のものに海のもの、こうまでの品数を、この荒野の真ん中の街にて食すことが出来るとは。いかに手広い伝手のある彼らなのかが、語られずとも知れるというもの。調理のほども絶妙で、
「なに、
ほとんどは板さんの人徳で
都合してもらってるような
もんでして。」
それにしたって、そんなお人にこれだけのお仕事をさせるには、この道で熟練の彼が見込んだ器の主人でなければならず。若い見目をば裏切って、夫も妻もそれぞれに、人としての奥行きの深い、出来たご両人であるという、これも一つの証しであるのかも。綺麗に整えられた、これもまた蛍屋自慢の静かな庭を眺めながらの昼餉どき、
「…あ、そういえば。」
吸いものの蓋をなかなか開けない誰かさんに気がついて、ちょいとお行儀は悪かったが、先に自分が開いたその上で、手のひらの上、ゆったりくるくる回していた椀と交換してやる七郎次であったりし、
「はい。すぐに飲めますよ?」
「…。」
それへとこっくり頷く久蔵だという呼吸も相変わらずな彼らを見ていて、
「とうとう
久蔵の猫舌は治せぬままだの。」
苦笑混じりに呟く勘兵衛であり。それが彼の甘やかしのせいだと揶揄されたような間合いだったものだから、
「何を仰有いますやら。
今現在の久蔵殿を、
さんざ甘やかして
おいでのくせに。」
いろいろと訊いておりますよ? 年の離れたオシドリ夫婦か、親子というには年が微妙に近いところが再婚相手の連れ子との道行きか。そりゃあお優しい旦那様で、見ているだけでも微笑ましい限り。奥方の方はゆかた一枚畳むでない奔放さなのに引き換えて、
「着物の着付けに始まって御膳の給仕に至るまで、身の回りのことの殆ど全て、勘兵衛様の方こそがあれこれと手を尽くして差し上げているとか。」
ご自身のことへさえ何にも構いつけなかった昔とは大違いじゃあござんせんかと、そんなすっぱ抜きを、いっそ凶悪なくらいの明るい笑顔で言い放った七郎次であり、
「…何でまた、
ここから離れぬお主が知っておる。」
あえて否定はしないところがまた、侍だからなんでしょうか、勘兵衛様。(苦笑)
「ゆかた?」
自分のことをも評されていると、そこはさすがに判ったらしい久蔵からも、きょとんという物問いたげな視線を向けられて、
「ああいえ、
腐している訳じゃあ
ありませんよ?」
あなたの方には罪はないとばかり、はんなり応じて差し上げてから。もっといっぱい甘え倒しておやんなさいと、そりゃあ極上の笑顔を向けられて、
「…。////////」
「? キュウゾちゃま?」
頬を染めつつすっかり萎縮してしまわれたお兄様へ、ご飯に飽いた小さなカンナ嬢が、母御の傍らから立ち上がり、そのままちょこまか寄って来る。お膝を隠す身丈の和装は、白い小袖の上へ藍の単(ひとえ)を重ねており、衿元にだけ淡い紫の半衿を重ねたお洒落な揃え。帯の後ろから裳のような布がふわりと下がって、腰回りを膝裏まで覆っているのが、神無村の年頃の少女たちの装束とどこか似ており。母譲りのつやつやした黒髪に、こぼれ落ちそうな瞳が印象的な、小さな娘御の愛らしさを十分引き立てている。そんなお嬢ちゃまがお膝近くまで寄って来たのへ、
「…。」
案じてくれて済まぬな、大丈夫、何でもないのだよ?と。こんな小さな娘さんへ、ただじっと見つめ返すだけで伝えようとするお兄さんもお兄さんなら、
「そですか?」
かっくりこと小首を傾げ、案じるような神妙なお顔をしつつ、小さなお手々を下から伸ばし。赤かった頬をそっと撫で撫でしてあげるお嬢さん。今の受け答えって…もしかして。
「………通じている
みたいではありませんか?」
「そのようだの。」
さすがはアタシの娘ですねぇ、人の意を酌む血統ってやつでしょうか。のほのほと親ばかぶりを披露した若き父御へ、
「誤魔化すか。」
「じゃあなくって。
お怒りはゴロさんとヘイさんにも
当てて下さいな。」
話の続きを蒸し返されて、七郎次が今度こそはと真面目なところを応じて見せる。
「何たって、あの方々が
あちこちに広めてる
電信のお陰様で、
お二人の噂も
すぐさま届くって
順番なんですからね。」
そんな手筈になっていると勘兵衛が直に知ったのは、最初の冬、あの北の辺境での大熊退治をやりおおせてからのこと。名だたる武芸者なんてなものでは、到底なかった自分たちへの情報の伝播、あまりになめらか過ぎはしないかと、どうにも気になっての当地への帰還をしたところが、そんな種明かしをされたのが始まりで、
「最初の内は
どこか場当たり的な
配置だったものが、
今や、確固たる情報網の礎扱い。
この虹雅渓での中継局になってる
ウチの出先小屋には、
早亀屋さんまでが
相互連絡の確認にって
通って下さるほどなんですからね。」
商売っ気は無しの公共奉仕だそうではあるが、それでも…今時には一番の値打ちものの“情報”というものを、いち早く侭(まま)に出来るようにと、目をつけ手をつけた彼らの炯眼たるや恐るべしというところか。
“アキンドらのように
独善へ走らぬ
強い心根があってこその、
緩やかだが着実な
進捗なのだろうよの。”
過去を忘れた訳じゃあないが、過分には縛られず、振り返らず。将来のことをこそ考えて毅然と歩み出す、ほどよき熟成の足りた ほどよき若さの何とも力強いこと。
「儂も年を取った訳だの。」
「………はあ?」
何が愉快か、不意にくつくつと小さく笑った蓬髪の元・御主に。こればかりは意を読めず、キョトンとして見せた七郎次であり。それへと代わって紅衣の連れが、くすすとやっぱり小さく笑ったのであった。