千紫万紅、柳緑花紅

□二の章 幕間 @
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本篇 二の章 幕間


 『癒しの里』



 蛍屋から程近くに、いつも場違いなほど香ばしくも甘い匂いを辺りへ漂わせている、せんべえの菱屋という店がある。そこの一番人気の菓子に“ニッキ煎餅”というのがあって。小麦と卵と砂糖を練って薄く延ばして焼いた、よくある焼き菓子のことだが、かりりと齧ると一緒に練り込まれているニッキの香りが鼻まですっと通って芳しく、また、その大きさも指先でひょいと摘まめるほどの小ささなので、酒飲みの男衆にも口寂しいときのお茶受けにと人気がある、癒しの里の秘やかな名物で。これを朝帰りの父親が土産に提げて帰って来ると、どういう訳だか父と母が喧嘩になることへと、大人の事情を知らない子供が首を傾げる、そんな小噺があるくらい。


      ◇◇



 ほのぼのとした談笑の場は、お昼下がりの陽光目映い、広々とした居間へと移り。昼餉でお腹が膨れてちょっぴり眠くなった小さな娘御は、見るからに瞼が重たげになっているにも関わらず、まだ起きているのだと少しばかり愚図っていたが。彼女が傍らに居たかったご当人、お客様の綺麗なお兄さんがしばらくほど添い寝をしてくださると、御機嫌なままにあっさりと寝付いてしまわれて。

「ほんに、
 現金な子ですこと。」

 美しいうなじを見せるためにと襟を大きく抜いた、あでやかな着付けが様になる。それは小粋な美貌をほころばせ、くすすと艶に微笑んだ奥方が言うには、

「あの子、このごろでは
 “大きくなったら
  久蔵様の
  お嫁さんになるんだ”なんて、
 事ある毎に
 言って聞かないんですよ?」

「おや、それは…。」

 選りにも選って物凄い野望だのと眸を見張った勘兵衛様へ、

「う〜ん、困りましたねぇ。」

 父親の七郎次がまた、いかにもわざとらしく腕組みをしてまで首をひねって見せて、

「カンナは一人娘だから婿に来てもらわなきゃなんない。となると、ウチは何たって客商売ですからねぇ。久蔵殿は、気品と威圧と商才は申し分ないが、肝心な愛想がちと足りない。」

 昔の幇間扱いのころとは立場が違うせいだろう、それなりに品のいい色襲(あわせ)も巧みな、小袖と単(ひとえ)を絶妙に組み合わせてまとっていた若主人。その表情にも味わいある深みのいや増した、こちらさんも小粋な面差しをしかめたりほどいたり、何かしら検討する風をうんと意味深に装ってから、

 「そうですね。
  勘兵衛様をオマケに
  つけて下さるなら、
  それで大まけにまけての
  承諾となりますかな?」

 オマケとは何だ。いいじゃあござんせんか、店を若いのに任せた老後は、3人で縁側に座って茶のみ話でも致しましょうよ。どこか本音も見え隠れしていそうな冗談口に、男女の高低入り混じった笑い声が、それでも遠慮気味に立ったのへと重なって、

 「…す。困りますったら。」
 「こちらまで勝手に
  上がられては困ります。」

 ふすまの向こう、廊下の側からの声がした。何だか騒々しい雰囲気であり、客人がある奥向きへ強引に上がり込まんとしている何者かを、この時間帯の店の静謐を主人から預かる家人らが、必死で制止しているという気配。

「何の騒ぎだろうね。」

 こんないい日に つや消しなことだと感じたものの、ここでいちいち主人が出て行けば、家人たちの顔を潰しかねずという微妙なところ。まだ遠いからと、しばらくほどはその押し問答、聞くでもなく聞いていたものの。

「…っ。」

 なかなかに粘る相手へと、数人がかりでも歯が立たないか、騒ぎの声はちっとも収まる様子を見せなくて。これはもうもう我慢ならんと、額に青筋おっ立てた七郎次が立ち上がった、それとほぼ同時のこと。

「久蔵が来ておじゃるとな?」

 聞き覚えの重々あることへもうんざりな、いけ図々しい誰かさんのお声が、わっとばかりにふすまを開いて飛び込んで来たのへと、

 ― ぎらり、と。

 まるで白昼の悪夢のように、強い光をぬらりとまといし銀色の刃。おしろい焼けか粉をふいての見苦しき、厚顔者のその顔の間近へと、容赦も躊躇もなく かざされており。

「ひぃぃ…っ。」

 大慌てで踏みとどまったそのまま、甲高い悲鳴を上げかけた更なる迷惑へ、冷たく浴びせられたのが。低く張り詰めた叱咤のお声で。

 「……うるさい。
  カンナが起きる。」

 いきなりの抜刀とは、こちらさんもまた 見かけの玲瓏さを裏切って、なかなかに過激なお人であるところは変わらない。“死にたいのか”じゃあないところは、それでも練れて来た方なのか。(こらこら)

「あわわ…。」

 とはいえ、これへはさすがに…勘兵衛や七郎次は動じなかったが、刃を向けられた闖入者だけでなく、引き留めるのにとここまでを張り付いて来た手代や女中たちまでもが“ひぃ”と震え上がって尻餅をついており。それを見かねて、

「これ、久蔵。」

 目顔だけで やめよと勘兵衛が諭せば、ふんと鼻先での息をつき、何とか刀は鞘へと収めた彼ではあったれど。

「ああまで
 気が短いお人でしたかね。」
「お主には寛容だったから、
 気がつかなんだだけだろう。」

 今でも依頼仕事の端々でなぞ、この儂にさえ切っ先を向けよるぞと、味のあるお声でくすすと笑った勘兵衛様だったりし。

「…勘兵衛様へ、ですか?」

 これ以上のお味方はない相手だってのに、それはまたどうしてと。これへは尚のこと驚いたらしき七郎次が訊き返せば。動じもしないまま、澄ましたお顔で湯飲みを持ち上げ、

「あまり腕前を見せつけるなと
 抜かしおる。」

 勘兵衛自身の言いようへと重なったのが、薄くだが にんまり笑った久蔵本人からの、伏し目がちになった赤い目元から寄越された流し目線であり。

 ― うっかり斬りとうなるから
   煽るな。

 野伏せり崩れの小悪党の一団を相手の、大殺陣回りになったりもする修羅場の最中。どんな混戦になろうとも、群を抜いて目を引くほどもの、鮮やかにして際立つ太刀筋を披露するのは、どうしてもこの二人だけなものだから。束になってかかって来る半端者どもを、野分の大風に是も否もなくあおられる草むらよろしく、右に左にと無駄なくさばいて薙ぎ払い、舞うような太刀筋もなめらかに、苦もなく斬り伏せてゆく勇猛果敢な存在へは。興奮状態に盛り上がった身にはどうしても…するするとその意識が惹かれてしまうものならしい。全てが片付いてやっと静まり返った饗宴の末場にて、歩み寄ったそのまま ちゃりっと切っ先を差し向けて来ると、そんな物騒なことを甘く囁く相方なのだそうで、

 「…お二人に限っては、
  そんな物騒な惚気も
  ありなんですねぇ。」

 らしいというか、何だかなぁと。困ったように苦笑した七郎次だったのも、まま無理はなかったというところ。



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