千紫万紅、柳緑花紅

□二の章 幕間 B
1ページ/3ページ


本篇 二の章 幕間


 『雪月花』
   *すみません。勘七ぽいです。



 しんと静まり返った空間だ。といっても全くの無音ではなく、薄い板べりの向こう、家の近間の木々の梢を鳴らして吹き過ぎる風の音も届けば、どこか遠くからは、何という鳥なのだか長い尾を引いての甲高い声を上げながら、鎮守の森の方へと飛んでゆく、その気配を追うことも出来る。
すぐ傍らとなる室内にても、囲炉裏の自在鉤に提げて炭火へとかけられた、よくよく使い込まれた鉄瓶が、先程からしゅうしゅうと沸いており。どこからともなく忍び入るは、間近い冬の訪ないか。古いその上、長いこと人が住まわっていなかったという古民家には、きっと隙間も多かろからか。冷ややかな外気の気配が、床の高い作りの居室へも足元からさわさわと染みてくる。
まだそんな刻限でもないのだが、ふっと室内が浅く陰って。これはもしやして、この冬初めての雪でも来るかとの、そんな静寂が辺りに垂れ込める。雪の降る時というのは不思議なもので。雪自身が無音のままに降りしきるのみならず、辺りの雑音をも吸収し、全て塗り潰して降り積もる。あまりの静けさに はっとして、外を見やれば雪が舞っているというのは良くあることで。

 ―― 何と傲慢で強引な
    存在でしょうねぇ。

 冬はたいそう雪深い土地で生まれ育ったらしい七郎次が、そちらもやはり、あまり緯度の変わらぬほど北国の生まれだと、いつの間にか聞いてあったという久蔵に話しかけていたのが昨夜のこと。右腕の前腕の一部をギブスで固めて首から吊り下げている以外は、もうすっかりと元の健常な闊達さを取り戻した久蔵は、医師殿に教わった、腕や足腰の筋骨を戻す整体回復術(リハビリ)をこつこつとこなしたり、くるくると良く働いて家の中を整然と保っている七郎次の手伝いにと、水分りの泉まで水を汲みに行ったり。数日ほど前からは、人目を避けてのことながら、鎮守の森にて勘兵衛を相手に、刀を使っての軽い切り結びの習練をしてみたりと。元の力を取り戻すことへ、静かながらも確かな前進を目指して動き始めており。

『勘兵衛様が
 手を抜いておいでだと、
 久蔵殿、不満そうでしたよ?』
『当たり前だ。』

 まだ片腕を吊っておる身の者を相手に、本気で斬りかかれるものかと、言い放つ惣領様にしてみても。自分へ直接言うのではなく七郎次へ零すだけなところから察して、当人もそのくらい判っているらしいのは明白と、苦笑に留めていはしたが。そうかと思えば、囲炉裏端で繕い物なぞ手掛けている七郎次の手元を、相変わらずの興味津々、赤い双眸を瞬ぎもさせず、ただただじっと見やっていたり。勘兵衛からの手ほどきにて、普通の楷書の書き方を教わってみたり。(苦笑)

『久蔵殿は
 筆は左利きだったのですね。』

 とはいえ、箸使いは右だったから。骨から身をほぐす必要のある魚や、少し大ぶりな切り方の野菜や鷄など、匙で掬って食べられぬものは、相変わらずに七郎次が口元までを運んでやっており、

『一応の作法は
 身につけておられますのにねぇ。』

 忘れなきゃいんですがと困ったように眉を下げつつも、なかなか楽しそうに“はい・あ〜ん”と、汁気の多いものはもう片方の手を皿のように添えて、熱いものは十分吹いて冷ましてから。次男坊へと手づから食べさせてやっている母上だったりし。勿論のこと、本物のそれではないながら、心和む一家団欒の図…に間近いものが、十分な厚みのあるものとして、暖かくも展開されている日々が続いている。

 「その久蔵はどうしたのだ?」

 そのってのは何ですよと、勘兵衛からの声へ苦笑混じりに顔を上げた七郎次。同じ囲炉裏端にお膝を揃えて座し、水分りの巫女様の先々代にあたる婆様から教わった、刺し子という縫い物に勤しんでいた手を止めると、

「利吉殿の手伝いにって、
 薪割りに行ってるんですよ。」
「薪割り?」

 訊き返されて是と頷き、

「風呂焚きや竈には
 炭じゃあなく薪でしょう?
 生木じゃあすぐには使えない。
 そうかと言って、
 そうそう沢山
 まとめて割っておいても
 置き場所もないし、
 雨ざらしになっては
 元も子もない。」

 とはいえ、雪が降り積もっては遅いから、本格的に降り始める直前という今のうち。空気も乾いているのが打ってつけだからって、一冬分をまとめて割り始めているのだそうで。

「だが、
 久蔵は鉈や斧は使えるのか?」

 勝手が違う刃物だぞと案じて訊いた勘兵衛へ、

「大丈夫みたいですよ?」

 昨日から通ってますが、片手なのに餅つきみたいで(?)物凄く効率がいいってんで、他の皆さんもお願いしたいと順番待ちなのだとか。これもいい鍛練になるからって、一人で頑張ってるようですが、

「間に合わないようだったら、
 アタシたちも
 手伝いに行きましょうね?」

 にっこりと笑っての至極当然という言いようをされて、相変わらずの母親っぷりへ、苦笑しつつも“うむ”と返した蓬髪の惣領殿が、何とはなしに視線を向けておれば。ちょいと根を詰め過ぎて疲れたか、視線を戻したお膝の上から、縫い物はもう終しまいと、傍らに置いてあった組木の小箱へ糸や針、布といったお道具をてきぱきと仕舞い始める七郎次。

「お茶、淹れますね。」

 そのまま土間へと立ってゆき、茶器を盆へと載せて戻って来る、その一連の立ち居振る舞いの、何とも隙なく優雅なことか。隙なく無駄なくという切れの良さは軍にいた頃からも見られた機敏なそれであったが、そこへと加わりし流線の艶は、あの“蛍屋”で過ごしたという5年のうちに身についたものに違いなくて。急須を温め、湯飲みを温め。茶葉を入れて湯を注ぎ、しばらく待っておもむろに湯飲みへと注ぐ。蓋を押さえながら傾けるという、さりげない所作や、湯気を見つめる伏し目がちの眼差しにも、心穏やかであればこそのゆとりとそれから、品のいい落ち着きとが添うており。

「どうぞ。」

 いつものように差し出された湯飲みより、ついついその手の持ち主の方へと視線がいった勘兵衛様。するとすぐさま、どうしましたか?と控えめに問うような、水色の視線が返って来。これだから、あの久蔵が参っても仕方がないのだとの小さな苦笑と共に、何でもないとかぶりを振る。

「…そうそう、勘兵衛様。」

 彼にしてみれば直前の会話の続きだったか、

「昨日、
 久蔵殿に
 こんなことを訊かれたんですよね。」

 こちらからもやっぱり、あの次男坊の名前が飛び出して来て。どうも彼を中心に回っている家になりつつあるなとの苦笑を浮かべつつ、目顔で小さく頷くことで話の先を促せば、

 「島田を、
  俺が独り占め
  してしまっていいのか、と。」

   おや。

 ちょっと思い出した…にしては、そうそう軽々しい話題でもないような。少なくとも日常の甘えっぷりの話だったら、七郎次へそう訊く前に、勘兵衛へと母上の独占っぷりをそうと訊くのが順番ではなかろうかなどと(笑)、そのくらいに意外な感触を覚えたほどに、どこかしら真意が掴み切れぬお言いようであり。怪訝そうなお顔を示す惣領様へ、

「先の大戦時に副官であったというだけで、こんな難しい、得るものもない戦いにすんなりと付き合えるものではなかろうに。何かしらの思い入れがある同士でなければ、そうそう二つ返事で付いて来られるものではあるまいと…。」

 七郎次が補足するように並べた文言に、

「…ちょっと待て。」

 勘兵衛様がますますと眉を寄せてしまわれる。はい?と言葉を区切った七郎次へと訊いたのが、

「そうまで長々と切々と、
 あの久蔵が語ったのか?」

 寡黙でその上、ちょいとズボラなところもあって。説明が長くなりそうなことへは、中途で“もういいや”と。誤解されても構わぬと、うっちゃってしまう節のある困った次男坊。今となっては懐かしい話、合流したばかりの彼とキララと七郎次とで、神無村までを辿ることとなった折も。臍を曲げた訳でもなければ虫の居所が悪かった訳でもなかろうに、相槌の“承知”という一言さえ返さぬほど、そりゃあ口を開かなかった彼であり。そんな寡黙勝手なところへと、あのキララが“協調性が無さ過ぎます”と、ずっとむくれていたほどだったとか。そんな彼のそんな気性が、そうそう簡単に改まるとも思われず。七郎次が滔々と紡いだような言いようを、あの久蔵が口にしたのかとわざわざ訊いた勘兵衛へ、

「あ、いえ。」

 七郎次もそこはあっさりと否定。

「もっと短かったですよ。」

 にこりと微笑って言い直したのが、

 「島田とは
  寝もしたのだろうに、と。」

 「…っ☆」


次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ