千紫万紅、柳緑花紅

□三の章 春待ち雀 @
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三の章 春待ち雀 @

 小春日和



 青々とした畳も清かに匂い立つような、それは暖かな盛春の、いいお日和の射し入る奥座敷にて。久方ぶりの再会となった四人は、至って和やかに談笑の時を過ごしており。あの時はこうだった、あれはさすがに驚きましたねぇ、いやだ、その話はこないだお見えになられた時も持ち出しませなんだか? それだけ印象深い話だってことさね、第一 この久蔵殿があんな態度を取るとは…と。順番に肴にしたりされたりで、なかなか思い出話は尽きぬ模様。そんな彼らの喉も渇こうと、新しいお茶を淹れてそぉっと運んで来たのは、勘兵衛らが訪のうたことを店中に高らかに知らせたあの少女で。

「…。」

 主人夫婦が一番大切にしているお客人。ドキドキと緊張してのことか、そろりとお茶を卓に置き、やれ零さなかったとついの吐息をついたのへ、

「…かたじけない。」

 さして大仰にはならぬよう、ほのかに笑みを見せながら、それなりの小さな声で礼を告げた久蔵だったのへ、

「〜〜〜〜っ。////////」

 まだ童女の域を出るか出ないか、そんな幼さであろうその少女は。耳や首まで真っ赤に染めると、それはあたふたと立ち上がり、お辞儀やお作法もそこそこ、飛び出すように座敷から出て行ってしまう。そして、

「おやおやvv」

 七郎次や雪乃、勘兵衛には通じる、いかにも微笑ましい可愛らしさが、だが、当の本人には…どうしたものか、通じてなかったらしくって。

「…そんなに妙か。」
「はい?」

 微笑ましいどころか憮然として呟いた久蔵の言いようへ、意味が掴めず訊き返した七郎次へと、代わりに応じたのがその連れ合いの勘兵衛だ。

「なに、自分がそんなに妙な顔で笑うのだろかと、馬鹿にされたとでも思うらしくての。いつもいつも憮然としやるのだ。」

「はいぃ?」

 くつくつと喉奥を震わせて笑う勘兵衛だとて、一番最初に訊かれたときは、そんな筈がなかろうがと、今の七郎次と同じくらいに唖然とした。事実は全くの逆であり、鄙にも稀な麗しの君のそのお顔に滲む、品があってそれは臈たげな笑顔へと、初心な女性は固まるし、男であっても視線を外せなくなってどぎまぎするだけのこと。だってのに、周囲があたふたと浮足立ったり、しゃちほこ張ってしまう様がどうにも理解出来ない久蔵としては、自分の笑顔はそんなにも奇妙奇天烈なんだろかと。見当違いなことを感じては、むむうと眉を寄せてしまうらしい。そんな彼の不平に満ちたお顔を見るにつけ、

 “随分と表情豊かに
  なられましたよね。”

 昔は本当に、笑いもしなけりゃ怒りもしないで。いつだって冷然とした無表情なまま、澄ましたお顔で通していたお人だったから。微笑っただけなのに馬鹿にされたと、こうまで判りやすくも憤然とするだなんて。この彼が、あんな綺麗に微笑ってそれから、こんな風に怒るだなんて、当時の仲間の誰が思ったことだろか。どれほど心穏やかに、豊かな日々を送っているのか。どれほど幸せに暖かく、充実して過ごしている彼なのか。語られずとも溢れてくるとは正にこのことで。

「旅先でも
 さぞや楽しい毎日なんでしょうね。」

 こそり、元・惣領殿へと耳打ちすれば、

「まあな。毎日が大発見ぞ。」

 目許を細め、くすすと楽しげに笑う勘兵衛を、今度こそは自分が笑われたとばかり、ちょいと睨んだ久蔵だったが。すぐ傍らにいた七郎次の笑顔へは、あややと彼の方こそ どぎまぎするところが変わらない。

「…。///////」

 今でこそ、父上と年若き伴侶の放蕩を、息子夫婦が待っている実家のような扱いになっている蛍屋だが。(おいおい) 無論のこと、勘兵衛の側にはそんな足場にするつもりなど全くなかったのは言うまでもなく。ただ、神無村での冬籠もりを終えて、何とか旅立てるまでに回復した久蔵の更なる快癒のため…とそれから。万が一にも詮議の手が回って来たときに、村へと後難が及ばぬように。さりげなく居処を移した他のお侍衆と同様、早々に当地を離れることと相成った彼らに、

 『まずは蛍屋で
  様子見をしてくださいな。』

 虹雅渓との往復を重ね、情報収集をずっと手掛けていた七郎次が、
『あすこにいる分には、公安からの手入れが入っても“逗留客で店には関わりなし”という白も切れましょう。』
 そんな風に導いてくれてのそれから、
『金創や骨折、肉の筋に関わる症状に効く湯というのを聞いて来ましたよ?』
 北や南にこだわらず関わらず、有名な温泉の情報を集めての、湯治へのお膳立てまでしてくれて。

「あれは大きに助かった。」

 当時の混乱状態を懐かしみつつも、彼らの奮闘や手厚い手助けあっての現状だと。しみじみ告げる勘兵衛の言へ、久蔵までもが柔らかく笑って見せれば。さっき綾磨呂へと見せた、結構本物に近かった殺意なぞどこへやらな嫋やかな風情への落差には、雪乃までもがくすくす楽しそうに微笑って見せて。

「なに、
 アタシらだけの
 手柄じゃあござんせん。」

 七郎次の繰り出した“手柄”という大仰な言い回しへと、今度は勘兵衛が苦笑を返したが、

「ヘイさんゴロさんが、試しにと旅先のあちこちへ置いてってた、電信の中継機が功を奏してくれてもおりました。」

 これまでにも、全くの全然 存在しなかった訳ではなかったが、それでも…電波を使った遠隔通信というもの、あの大戦の後は商人たちにでもその手法や何やを体よく独占されたものか。ただでさえ何とか無事に現存した地域が、それぞれ遠く離れ合っていた状態へ陥っていたその上へ、一般の社会においては影さえなかったその結果、情報伝播という大切な流通、どれほど後戻りをしてしまったことか。早亀により書状を直接届ける飛脚という最も原初の形態へと戻っていたくらい。そこでと、病床にありながらも、盗聴されぬ特別な電波や、それを発信着信し、更には中継する装置を発案製作した平八が、試験的にと旅先の各地へ置いていったものが しっかと機能し。一番の最初に、要となる中継地にされたこの“蛍屋”で、遠い辺境の地の様々な情報が、いち早く入手出来るようになって…早くも数年ということになる。先にも触れたが、今や早亀屋までもがその業務確認の連絡に使っているほどの普及振り。やがては広域流通の整備などへも貢献するに違いなく、これもまた、先々が楽しみな要素ではあるということか。

 「それでもね、
  伝えてくれねば
  知りようがないのは
  変わりません。」

 ふと。趣き深い声を出した七郎次であったことへ、おやと顔を上げた久蔵を、やんわりとした眼差しで優しく見やった若主人、

「警邏隊の兵庫さんがね、いつもいつも言い置いて行かれるんですよ。“久蔵が来たら、本部へも顔を出せと伝えといてくれ”と。」

 綾磨呂殿のお越しで思い出すとは、アタシも大概忘れっぽいことですが。そうと付け足してのそれから、
「あれからも、あんまりお逢いになってないんですってね。」
 それが薄情さからならば、今更だからどうということもないが。もしやして気後れがあってのことならば、そんならしくもないことで腰が引けててどうするかと、挑発してやってでもこっちへ来させておくれって。

「いかにも強気な、
 憎まれのような
 お言いようではありましたが、
 心配なすっておいででしたよ?」

 彼に成り代わっての案じるような眼差しになった七郎次へと、

「………。」

 返す言葉もありませんとばかり、神妙にも伏し目がちになったまま。細い首を項垂れさせて、ちょいと俯いてしまった次男坊。数十年にも及んだ長い長い大戦の終焉後、潰しの利かない侍でしかなかった者らが、大量に“浪人”に落ちぶれたそんな中。ここ虹雅渓の差配だった綾磨呂の警護を担当するという ずんと高級特別な職を探して来、魂が抜けたようになっていた久蔵を誘ってくれて、何とか しのげるようにしてくれたのみならず。その後もずっと、社会適応という点で危ういところの多々あった彼を、叱りながら毒づきながら、それでも甲斐甲斐しく助けてくれていた、少しほど年上の元・同僚。ぼんやりと空ばかりを見上げ、刀への手ごたえでしか生きている証しを感じられないまんまだった久蔵が。どんどんと幽鬼のようになっていったそのぎりぎりのところで、勘兵衛らと出会い、その血を騒がされ。その揚げ句に、商人側との縁を切って彼らの側へと走ったその時、直接その手を振り払う格好になった相手がその兵庫でもあって。

「…。」

 久蔵にしてみれば、自分なりの“筋”を通した上での決別ではあったのだが、あんな格好で突き放された兵庫の側は、さぞかし驚いたことだろし。もしも刀まで繰り出しての反骨でなかったならば、ああもうこいつは まだそんなことを言ってと、今時はどちらが常識派なのかを説いてやろうと。ちょっとそこへ座れとばかり、侍にこだわった久蔵を“長生き出来んぞ”と叱ってやりたかったに違いなく。

「ちゃんとお伝えしましたからね?
 逢いに行っておやんなさいよ?」

 そうすることが久蔵を思う人とそれから、久蔵自身のためでもあるのだからと、優しい気遣いをしてくれる人。勘兵衛らの側についてから、戦い以外へは心許ない自分へ何くれとなく構ってくれた七郎次が、そういえば。時々は、あの黒髪の口うるさい男と重なることもあったなぁなんて。

“…全然、似てもないのに。”

 髪の色も眸の色も面差しも。話し方や声の高さも口癖も。趣味も気性も心だても、どこもかしこも全然まるきり違うのにねと。今頃になってこっそり不思議がってる久蔵だったりするのである。



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