千紫万紅、柳緑花紅

□三の章 春待ち雀 A
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三の章 春待ち雀 A

 帰途にて


 現在の虹雅渓の治安を保守する警邏隊には、あの頃の綾磨呂の手飼いだった“かむろ衆”からそのまま加わったという顔触れも少なくはないらしく。それまでと同じ立場ではない、むしろ何の権限もなくなった上での活動となっただけに、高圧的な態度への風当たりの強さは半端じゃあなかったろうに。それでもと頑張って勤め上げて今へと至る、そりゃあ頼もしい面々ばかりだそうで。それもまた、そんな者らがそうまでして慕った、兵庫の人徳の賜物と言えるだろう。

「お主らのことへの箝口令というのは、
 わざわざしいていないが。」

 あの数年前の、世間を引っ繰り返した大惨事、新しい天主や大差配らの“都”ごとの謀殺事件に関しては、当時の最も有力だった“野伏せりの逆襲&相討ち”説で、一応の決着もついていたし、かむろ衆の中には彼ら一党を直接追った面子も居ようが、

「侍狩りで追い回した
 素浪人連中というだけの
 覚えしかないだろうからの。」

 そんな輩は、島田勘兵衛率いる一党の他にも たんといた。また、その首魁殿は、のちに御勅使殺しと見なされ、先の天主へ刃傷に及んだ罪と併せて“獄門”とされかかってもいたが、それへも公然と“恩赦”が出た身であり。理責めで来られても、何とでも躱す用意はあったのだけれども。結果として、どこの機関からも組織からも、追っ手はかからず訴追もされずで。

「…。」

 何か言いたげに、そのお顔を上げてこちらを見やった久蔵へ、

「勘違いをするなよ?
 俺は何にも手を延べちゃあいない。」

 むしろ、どっかの誰ぞが“絶対に犯人を捕まえねば”などと言い出しゃしねぇかと期待してたくらいだなんて。そんな運びにならなんだ結果の今だからこそ言える、アクの強い毒を吐く兵庫であり。そんな風に酷薄で荒っぽい態度を装っても、彼にはそれが限界。口ではそんな言いようをしながら、なのに、久蔵が無事でいることへ、こうやって訪ねてくれたことへ、安堵の表情を隠さない。皮肉屋だが、物事の本質を歪めたりはしない。だからこそ、人も彼の背に集まるのだろうなと、久蔵もしみじみと思う。

  「…。」

 どこやらから聞こえて来たのは、夕刻の鐘の音だ。おおよその勤めの終業を告げ、子供は帰宅せよと告げる、いかにも治安の行き届いた街に相応しい、定時を知らせる音色であり。それを耳にした久蔵が、窓から射し入る春の暮色に縁取られた横顔を朋友へと向け、

「帰る。」

 短く告げた。

「おいおい、何だよ。
 ゆっくりして行けよ。」

 まだ大した話もしちゃあいない。他の面子の中、お前とは結構懇意にしていた奴の中には、逢いたがってたのもいるってのにと。不意を衝かれたからこその本音がついつい出てしまった兵庫へと。はんなり微笑って、ただの一言。

 「…待っているから。」

 誰が、とは言わぬながら、鋭い目許を薄く細めて。それは柔らかな表情のその奥から滲み出すのは、言葉にならぬ至福の甘さ。かつては、人へ仕える身でありながらも絶対の孤高にあった、誰とも相容れられぬ冷然さを保っていた青年だったものが。

“なんて顔、しやがるかねぇ。”

 油断なく鋭い、切りつけるような冷たい気魄か、若しくは…その大半の時をそれで塗り潰していた、ただただ淡々とした無関心か。そんな顔しか見たことがなく、記憶にもない兵庫にとって。こうまで繊細な甘い笑み、この男と同座させる日が来ようとはと、そっちの方が意外や意外。そして、

“…そうまで。”

 影響感化を受けたか、と。その変わりようへ ともすれば呆れそうになるものの、その向こう、胸底から浮かび上がって来ようとしてやまない想いは、こちらもやはり、どこか甘い感情の齎す擽ったさで。

“平和ぼけ、かねぇ。”

 俺もまた腑抜けになったものよと自嘲しつつ、席から立ち上がった朋友を門まで送ろうとその後へと続く。

「静かだな。」

 結構な規模のそれだというに、官舎内にざわめきや何やの物音がないことへ、今更ながらの感慨を零した久蔵へ、

「今は皆、警邏に出払っておるのよ。」

 そろそろ交替の時刻だし、上の階層の出張所からの申し送りも届くから、雑然とにぎやかになると、応じた兵庫本人が、

「…?」

 廊下の途中で足を止め、顔だけを傍らの曲がり角の方へと向ければ。あわわ、ばたばた…っと、大慌てで身を隠す気配が幾たりか。そんな気配は、表までのこの大廊下のあちこちにも、隈なくという密度で潜んでおり。

“こいつら…。”

 もしやしなくとも、久蔵の姿を一目見ようという面々が、そこここに隠れているに違いなく。久蔵が先に訊いた“静かだな”という一言も、これに気づいていての揶揄であったのかもしれないと、今やっと そうと気づいた兵庫としては、

「…すまぬな。」

 別に彼の非ではないながら、それでも部下らの非礼を謝るしかなかったりする。きっとあの、久蔵との最初の応対をした門番の衛士と下士官とが、他の面々へと広めてしまったに違いない。名前だけが一人歩きをしていた兵庫の旧友、珍しい客人が来ていると。規律も厳しき組織であり、それでなくとも…肩身の狭いばかりだった、あの大変な時期を乗り越えた、創設以来の面々ばかり。物見高い者はそうそう居なかったはずだがと、肩を落とした兵庫へと、

「構わん。」

 久蔵も口の端で微笑って見せて、足は止めずに歩み続ける。奮戦した最初の2年を過ぎたころ、ようやっとあの綾磨呂が復権を見た。他の組主らもこの街の新しい差配の座を巡って台頭し合っていたものの、街の治安風紀の維持に貢献した警邏隊が一も二もなく元の差配の膝下へと収まったことで、その信頼を確固たるものとして世間へも印象づけた格好になり。それと同時、まだどこかで“権限”というものを正式には得ていなかった警邏隊へも、新しい差配からの任命という形で行使力にやっとの核が備わり、今や泣く子も黙る公的機関としての地位を確立してもいる彼らだという。

“…。”

 思えば、昔こそ“権力者の子飼い”という印象が強く、鼻持ちならない連中であったのかも知れず。この兵庫の、実は頑迷なほどの実直さが街の衆からの信頼を築いた訳で。久蔵がどうしても相容れられぬと思っていたことの中、威勢者へのおもねり…という部分は、もしやして早合点であったのかも知れぬと、今になって気がついていたりする。

“生きていてくれて、良かった。”

 選りにも選って、撫で斬った本人が言うことではないかもしれないが、それでも。こうやってまた逢えたこと、胸のどこかに暖かいものが灯る想いで噛みしめる、金髪痩躯の双刀使い殿であったりするのだ。

  「…そういえば。」

 官舎を出、さすがにこうまで見通しのいい前庭には潜みようがないからか、誰もいないのを確かめてから、兵庫が今更ながらに訊いたのが、

「お前、あの刀はどうした。」

 辺境のあちこちから届く、州廻りの官吏や運輸関係の定期連絡の中、様々なトピックスも盛り込まれている出来事閑話のその中で、彼らの活躍ぶりも大いに取り上げられており。賞金稼ぎを公認するのも何だと、さすがにどこの誰という名指しな報は少ないものの、落ち着いた年頃の壮年と、背に負った双刀を操る金髪痩躯の青年という描写から、彼らのことだということが、判る者にはすぐ判る。その特徴であるあの刀は、だが、今の彼の背中にはない。だからこそ、門衛らも彼を誰と測り損ねたのかも知れず、

「腕はもう良いのだろうが。」
「ああ。」

 振るっていればこそ、だからこその報告書や読み物への描写だろうし、他の地域でどうかは知らぬが、この虹雅渓では侍の帯刀を禁じてまではいない。よって、持っていては不審者として咎められるからだとも思えない。では何故と、怪訝そうに首を傾げる兵庫へ、

  「この街では要らぬと思った。」
  「………おや。」

 黄昏間近い街を満たすは、金の色を溶かし込んだ、春の暖かな西日であり。それが輪郭を透かしている、やはり金色のその髪が、柔らかな風にあおられてふわりと揺れる。見かけは何とも麗しいが、刀を握らせれば死神とまで言われた男が。自己の矜持のみに生き、誰とも相容れることはなく、無慈悲で冷たいばかりだったこの彼が。その身に武装を帯びてはおらぬばかりか、そんなことまで口にするとは、

 “槍でも降ってこねぇだろうな。”

 警邏隊の力量を信奉していればこそのお言いようだろうが、兵庫が結構本気でそんなことを案じたとしても無理はなかろう。そして、槍こそ降っては来なかったが、

 「…お。」



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