千紫万紅、柳緑花紅

□三の章 幕間
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本篇 三の章 幕間


 『忙中 閑あり』



 虹雅渓の最下層部にある“癒しの里”は、最初の章でも述べたが、差配の権勢も届かぬとされている、一種の治外法権がしかれた歓楽街で。よって権力の専横も、ついでに浪人や侍の帯刀も、此処では原則ご法度となっている。も一つついでに身分や肩書きも、やたら振りかざすのは野暮とされ、名前なんて身分なんてどうだっていいじゃござんせんかと、男と女がただ一夜の契りを交わす、夢のような蜜夜を過ごすために必要な、お茶屋や置き屋、所謂“花楼”が軒を並べる、言ってみれば花街色街でもあって。
不倫・背徳、様々に、綾なす秘めごとを覆い隠すためにと降りてくる、夜の帳(とばり)を迎える夕刻になると。それまでぼんやりと白けていたこの街は、それは俄に色めき立ってその活気を取り戻す。遊郭では芸者衆が“すががき”と呼ばれる三味線を弾く。すると、それを合図に着飾った太夫たちが紅柄格子の向こうへと出て来て嫣然と構え、客からの品定めを待つ。これを“張り見世”といい、緋毛氈を敷いた部屋に、高々と結い上げた髪を鼈甲や漆の艶やかなかんざしや笄(こうがい)で飾り、金銀錦の縫い取り刺繍も豪奢な打ち掛けをまとった花魁や、大きくうなじを見せた抜き衿も艶っぽく、その襟足もまだ瑞々しい新造衆らがそこここに座し、あだな流し目と一緒に吸いつけ煙管を誘うよに差し向ける。
勿論のこと、遊女屋しかないわけじゃあなく、粋で酔狂な遊びをしにと、趣味人や分限者・金満家が会合を兼ねての豪勢なお座敷を張るのもこの里で。金の力で夜更けに“真昼”を買える彼らは、美しい太夫や取り巻きを侍らせ、美酒に御馳走、今一番に流行の趣向をふんだんに集めての豪勢な宴を張り、その権勢を世間へと高らかに誇示して見せては、その溜飲を大いに下げる。

 「…おや、お帰りですね。」

 まだ明るい方だが、これも風情を醸す小道具のうちなのか。それとも、今のうちから夜と昼とを曖昧にしておこうという趣向なのか。辻々のぼんぼりに灯が入り、すががきの三味線の音があちこちの店から聞こえ始めた夕まぐれ。店の門口に立ってお早いお着きの贔屓筋を丁寧に迎える素振りをしつつ、その実、どこか身の入らぬ態でそわそわと。時折爪先立ってまでし、道の向こうを首を伸ばして見やっていた、三本まげの長身のご亭。少しずつ密度を増し始めた雑踏の中に、やっとのお目当てを見つけると、ほっとしたようにその表情を和らげた。そんな彼へ、

「主人がわざわざの出迎えか?」

 今からが稼ぎどきで忙しいのだろうにと、やっと戻った蓬髪の壮年が、味のある精悍なお顔へ苦笑を浮かべもって声をかければ。

「何の、ウチみたいな客商売の店ってのは、日々の商いは女将が看板になり柱になって回すもんでしてね。」

 ひょいっと小粋な所作にて肩をすくめ、目顔で“こっちを通り抜けて行きましょ”と、前庭を母屋までと先導するよに促してから、

「アタシら男主人ってのは、顔出すだけでも野暮の骨頂ってやつでしてね。元来、ここぞって荒ごとでも起きない限り、日頃は全く役に立たないもんなんですよ。」

 客へと向ける愛想の笑みとは、格段に温度が違う微笑をたたえて、そんな風に応じた七郎次だったが。どうしてどうして、その甘やかに端正なお顔といい、粋で気の利く気立ての良さといい、半端な芸者衆よりも好かれること間違いなしと思われるのだが。そんな若主人、振り向いたついで、勘兵衛の後に続いていた金髪痩躯の青年へは、その眉根をわざとに寄せて見せると、

「心配しましたよ?
 刀を置いて行かれるなんて。」

 出掛けたのは知っていた。行き先へは心当たりもあって、わざわざ見送ったりするのは罰が悪かろと気を回し、さりげなく席を外していたものの。戻ってみれば座敷にはあの双刀が床の間の柱に立て掛けられたままであり、それを見てどれほど驚いた七郎次だったことか。いくら慣れた街で、その上、腕に覚えがあるって言ったって、どこにどんな無体な無法者がいるかは知れぬというもの、

「警邏隊本部なんてところ、武装をして行っては警戒されるとお思いでしたか?」

 久蔵へ兵庫に逢いに行けと言ったのは自分だが、まさかにそんな…丸腰で向かおうとは思わなかったものだから。どれだけ案じたかをついつい口にしてしまう彼であり。茂みの小枝に絡まぬよう、羽織りの袖をちょいと引き。母屋に接した、家族だけが出入り出来る中庭へと続く枝折戸を押し開きつつ、

「勘兵衛様もそりゃあ心配なすっておいでで。」

 案じるなどと余計な杞憂ぞと、久蔵が機嫌を損ねるとでも思ったか。それとも、自分だけが心配した訳じゃあないんですよと言いたくてか。ちょっぴり眉を下げながら、心配性仲間にしようと傍らの主様を引き合いに出せば。そんな意へは結構聡い主様には珍しくも通じなかったか、

「おいおい。早よう迎えに行けと急っついたのはお主だろうが。」

 出掛けて半時も経たぬうち、兄様がいないとカンナが愚図ったらどうしますかとまで言い立ておったくせにとの、思わぬ反駁が返って来たので、

「そう言う勘兵衛様こそ、気もそぞろに庭の方にばかり眸をやっておいでで。」

 そうかと思えば、3年経っても気にかけているとは、あれは余程に気に入られておったのかの、だなんて。引き留められてそのまま戻って来ないのではとでも言いたげなご様子だったじゃありませぬか…と。どういう種類の強情を張ってのことやら、何だかややこしい舌戦に発展しそうな雲行きになって来た模様。

「…。」

 当人たちにしてみれば、ちょっとした軽口の叩き合いなのかもしれないが。心配したのがいけないかのような言いようは、槍玉に上げられている当の本人を前にして、いささか…いやいや随分と大人げがない所業。よって、

  「いい加減にしないか。」

 そんな二人の背中へと向けて、ちょいとドスの利いた低い声を放った久蔵であり。思わぬ声の乱入に、

「…え?」

 保護者二人がそろり肩越しに振り返れば。心持ち 顎を引いての上目使いが、いかにも愛らしい…どころか、目許ぎりぎりの長めの前髪の陰から、鈍く光って射貫くような鋭さとなっている赤い双眸が何とも恐ろしい、お怒りに尖らせた表情を見せての威嚇の構え。

“おっとぉ…。”

 いかにも玲瓏で臈たげなという、華やかな描写ばかりを連ねて来たものの、そこは彼だとて立派な“もののふ”であり。さすがは南軍の間で…雷電型機巧侍の百機ほどが一斉に襲い掛かって来ても動じぬままに迎え撃ち、たったの1シークエンスにて見事平らげたとの伝説も実(まこと)しやかに語り継がれる、金髪紅眼の天穹の死神様。ただの一瞥でも、そこに何らかの意志が籠もれば迫力が違う。わたしを巡って争うのはやめて…もとえ、人をダシにして遊ぶなと言いたいらしく。それにしては、

 「今、刀が手元にないことを、
  その身の倖いと思え。」

 片や後生の伴侶を、そして片やあれほど慕っていた母上(?)を相手に、そこまで怒っているのでしょうか、次男坊 転じて若奥様。陽が落ちても暮色の中にはんなり甘い温みの残る、春も盛りな頃合いだってのに。空中にぴきりと薄氷が張ったかもしれないほどの寒々しさにて、その場を見事凍らせると、

「…冗談だ、真に受けるな。」

 やはりぼそりと呟いてから、その場に凍りついた“イツモフタリデ”様方をやり過ごし、先にすたすたと母屋へ向かって行ってしまう君であり。颯爽としていた細い背中を見送って…幾刻か。

 「冗談が言えるように
  なられたんですねぇ。」

 関心なさるのはそこですか、さすがはおっ母様。(苦笑) 到底笑えるような代物ではなかったし、あの凄腕が言うのだから…それこそ冗談抜きに“洒落にならない”お言いようでもあったのだけれど。会話に余剰というもの、持ち込めるほどになったは、確かに紛ごうことなき進歩成長であり、

「結構、貫禄もついて来ましたねぇ。」

 甘えたなところばかりを特に見せられて来た七郎次には、真っ向から睨まれただなんて、これまでには覚えもなく。それがために驚きもひとしおだったらしかったが、まま、よくよく思い返せば、熊退治や鮫退治にと威容を込めし刀を振るう身。あのくらいの迫力なぞ、その身へまとえても不思議ではない。とはいえ、相手を選んで発動されるものだろにとも思えば、

「あんまり甘やかしてらっしゃる反動でしょうかねぇ。」

 自分はともかく、勘兵衛へまでの激高ぶりだったのへと、くつくつ微笑った元・副官へ。お前にだけは言われとうないと言いたげなお顔をなさる元・上官殿であったものの、

「二人きりとなる旅先では、それは睦まじくお過ごしなんでしょうな。」

 そうと続いた言いようへは、

「何の、日頃も結構、ああいう態度は取っておる。」

 苦笑混じりに応じた勘兵衛様であり。とはいえ、笑いじわの寄った目許にたたえられし、その眼差しはあくまでも柔らかで。叱られてしまったことさえも、珍しい体験、甘露甘露で済むらしい。先に立ち去った久蔵の姿の残像を追うようにして見やった視線は、何とも言えず優しくて。終始、実直頑迷にして生真面目でいたとばかりは言えなかったお人だが、それでも…自分に幸は縁がないと、昏い眸ばかりしていた、口の端でしか笑わなかった頃に比べれば。その、他意無く楽しげな横顔の、なんと幸せそうなことか。見ているこちらまでが胸の底から切なくも暖かくなる、しみじみとした笑顔であり、

  “お御馳走様ですvv”

 御主の上へやっと訪れた幸いと安寧を、ともすれば彼以上の暖かな感慨でもって、深く感じ入ってしまう七郎次でもあった。



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