千紫万紅、柳緑花紅

□三の章 春待ち雀 C
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     ◇



 長くなった陽もようよう落ちて、店の名の“蛍”と灯す大行灯にも明かりが燈り、癒しの里が此処ならではな賑やかな活気に満ち始める時間帯に入った。三味線や囃し太鼓の賑やかな音、陽気な曲想のを選んだ、長唄や都都逸(どどいつ)を紡ぐの太夫の唄声。それらが華やかで明るい嬌声やら、酒の匂い、髪油や白粉の香なぞと入り混じり、行灯の柔らかな明かりの下で、人々の心をのほのほと浮かれさす。

  “…おや。”

 品のいい匂欄が巡らされ、その向こうに小粋な拵えの中庭が見渡せる、つややかな板張りの回廊を進みつつ。ところどこのお座敷からお馴染みさんやお得意様からの視線が飛んで来れば、軽い会釈で挨拶を交わしもって、私用のお客様をお待たせしている、住居の方へと戻りかかっていた七郎次の視線が。長々とした廊下のずっと先、曲がり角へと飛んだそのまま釘付けとなる。そこに立っていたのは、私用の棟の客間にて連れと寛いでいる筈のお人であり、この里の店々の方針、帯刀はご法度という決まりごとを守ってか、彼もまた刀は部屋へと置いて来ているらしく。それを退けても…案じるような空気とも思われなかったものの、

“…。”

 店の方の棟へと来ていることこそが珍しいなと思った。ずっと旅の空の下に身を置いている彼だから、こんな店の様子など今更珍しいということもあるまいて。そもそも、そういうことへの好奇心が立つような性分のお人でもなし、もしやして…所用があって席を外していた自分への用があってのことかしらと、一旦は立ち止まった足を急がせ、足早にそちらへ向かえば、誰かと立ち話をしているのが判り。傍らの座敷からの喧噪で掻き消されてか、話し声までは聞こえないものの、その相手が、一見、勘兵衛に見え。ああなんだとホッと安堵しかけたのも束の間のこと。

“いや…あれは。”

 少しちぢれた深色の髪を肩から背中まで流した男衆で、屈強そうな肩やひときわ高いめな上背をし、浅黒い肌に彫の深い横顔もまた少しほど、彼らの知る壮年の惣領殿へと似てはいたが。近づけばまるで別人の、もっとずっと若々しいお人であり。白っぽい羽織という衣紋を着付けていたことや髪形、話しながらの端々に見せる男臭い表情の精悍さから、遠目の段階で勘違いしかかった自分はともかく。そんな男と向かい合っている久蔵が、さして鬱陶しがることもなく、それどころか…彼の側からこそ、その赤い眼にて じぃっと真っ直ぐに相手を見やっているのが、七郎次には何とも奇異なことに思えた。

“あまり人への関心は
 起こさないお人なのに。”

 それが小さくて愛らしい子供であるとか、逆に…自分へと強い意識を向けて来るような挑発の態度へなどは、それなりの反応も見せる彼だが、基本的には初見の人物へ関心を起こすことは稀である。殊に大人の男へなど、力が足りないところを助けてやるよな相手でもなしと、見向きもしない。ひとかどの存在へは、自分から好奇心を抱いて、それでと注意を払うという順番であり。そうでないなら、たとえ知己から紹介されようと“興味ありません”との知らん顔をあからさまに示せる、なかなかに現金な彼だのに。そんな久蔵が、相手の話に聞き入っての向かい合い、馴れ馴れしくも手を伸ばされて、その白磁のような頬にまで抵抗なくも触れさせるとは…と、

  「…っ。」

 そこまでを見ていて…どういう訳だか、七郎次がムカッと頭に来てしまい、

「…どうされましたか、お客様。」

 それでも何とか。営業用の笑顔を繕っての穏やかそうな声で話しかければ、

「おお、主人か。お噂はかねがね。」

 向こうはこちらを見知っていたか、七郎次へも笑顔を向ける。商人ではないらしく、おもねるような気配はない、至って気さくそうな壮健な笑みであり。人としての奥行きは深そうながらも、面と向かうとますますのこと、勘兵衛とは性根の異なりそうな闊達そうな御仁であるのが判る。
「なに、座敷の喧噪にあてられての。涼みに出たところでこの方と眸が合って。」
 お店の方だろうか、向こうの回廊に居られたが、わざわざ此処まで出て来て下さっての話相手になってくれてのと。きっと恐らくは真実全てであろう顛末を話して下さり、
「それでは。」
 久蔵と七郎次双方への、物腰柔らかな会釈と共に、後ろの座敷への障子を開いて吸い込まれていった彼だったのを、
「………。」
 はあ さいですかと見送った七郎次。そんなにも…あれほどの偉丈夫でも逃げ出したくなるほどもの殺気に満ちていたかしらんと、あとになって自分のことを顧みた彼だったのは、まま今は置くとして。そんな七郎次が改めて意識を向け直した久蔵はというと、

「飴をくれただけだ。」

 ほれと手のひらを広げ、そこに載っていた蜂蜜色の菓子を見せた青年の、いまだ細い両肩へと手を載せて、
「あのですね。」
 がっくりと脱力しかかる体を支える七郎次であり、

「知らない人に
 ほいほいついてっちゃいけませんと、
 いつぞや言ったはずですよ。」

 そうか前科があるのか次男坊。まま、それを言ったら、アキンド側から彼らへとついてったのも立派な前科かも知れずで…おっ母様も苦労が絶えんねぇ。(苦笑)
「いくら勘兵衛様に似ていたからって…。」
 其処まで言いかかった七郎次の台詞へ、
「…っ。」
 顔を上げて瞠目し、ぽんと自分の手のひらを拳で叩いて見せた久蔵であり、
「? どしました?」
「そうか、誰かに似ていると思ったのだが、島田に似ておったか。」
 そこの門口を通りしなに姿が見えた折、それが気になって気になって。誰にだったかなぁとの案じが答えへと至らないままに、ついつい。向こうから話しかけて来たものへと向かい合っていたらしく。
「…。」
「? シチ?」
「いえ、何でもありませんよ。」
 話が長くなるばかりで、その割に実はなさそうだと判断し、七郎次もそれ以上の多くは語らなかったのだけれども。(苦笑) まあ、彼ほどの練達ならば、間違いなんてものは起きようがないのでもあろうし、掴み合いの諍いになってもそこはそれ、収拾させる手腕はそれこそお任せと胸を叩ける自分だしと、今になってそんな冷静な判断とやらが胸へと去来したと同時。ほんのさっきまで、そういった機転が入り込まぬほどもの心配性の構えとなってた自分への、自嘲や苦笑も沸いた七郎次ではあったものの、

 “…判りやすいお人ですよねぇ。”

 あの頃もまた そうだった。触れる端から斬って捨てるというような、冷淡で尖った気性を思わせる、いかにも気難しそうな人性に見えていたものが。間近に接することでよくよく判って来れば…神懸りなまでに凄まじき、鬼神もかくやという刀捌きの腕前と、剣に於ける強さを目指す、鮮烈で真っ直ぐな気概を除けば。何とも屈託のない、無垢でかあいらしいお人だった次男坊。時に子供扱いしていたほど、そんな感覚で接しておれたほどだった、七郎次からすれば単純明快だった久蔵とは全くの正反対で。与(くみ)し易く見せながら、穏やかそうにいつも笑ってたその顔の内側、頑として晒さなかったお人もいましたねぇと。今さっき、電波越しにてお喋りをして来たお人を思い出す。
「シチ?」
「あ、いえいえ。何でもないんですよ。」
 ちょいと感慨深い気分に浸っているのへと、怪訝そうなお顔をされて。苦笑をこぼすと、さあさと部屋へ戻る方へ促すように細い背を押す。一連の大きな騒ぎや戦さの最中には、さすが半端じゃあない大事だっただけに、色んなことが派生しもして翻弄されもし。それでも、コトを成就し、しかも全員が生還出来たことへ、それ以上の至福なしとした筈だったが。

 “…本当に。
  切ないこともまた、
  いっぱいいっぱいありましたよねぇ。”

 自分にも、そして仲間の皆様にも。のちの、文字通り“後生”を生きてくことへの艱難辛苦、それと向かい合った“それから”を。春の宵の夜風が甘やかに頬を擽ってゆくそんな中、店の喧噪が遠のくのと入れ替わり、ふと思い出してしまう七郎次でもあったりするのだった。






何だか、時間軸が
あっち行ったりこっち行ったりして、
ややこしい構成になってて
済みませんです。
深く傷つき、
堅く錯綜した人の心というものは、
そう簡単にほぐせるものじゃあないと、
書いてる本人の躊躇みたいなものが、
ついつい出ているのでしょうかしら…。


  * 三の章 春待ち雀 D


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