千紫万紅、柳緑花紅
□三の章 春待ち雀 D
1ページ/4ページ
三の章 春待ち雀 D
雪起こし
宵が深まるにつれ、癒しの里でも一、二を張る大店の“蛍屋”は、あちこちのお座敷からあふれ出るにぎやかな喧噪にくるまれる。黄昏色の燈火の下、明るい嬌声を煽るは、熟練の腕がかき鳴らす三味線やお囃子のご陽気な声。太夫たちの白いうなじを引き立てる深紅の半襟に錦の打ち掛け。禿(かむろ)っ子たちが髪に差した花かんざしが燦々と煌き、脂粉の香や酒の匂いが、人々から浮世の辛さ重さを剥ぎ取って、それは容易く一夜限りの夢心地へと誘(いざな)う。
“それだけを思や、
此処は一種の
桃源郷なのかも知れませんが。”
金があっての夜遊びだ。入り口が野暮だからいけませんやねと、こっそり肩をすくめた当家の主人。淡い色合いの金の髪を相変わらずの三本のまげに結ってのきりりと引き絞り、なかなかの男ぶりを見せてもいるが、
「…おお、戻ったか。」
訪のうた離れの一室。数奇屋作りの小粋な寮にて待っていた蓬髪の壮年へ、連れて来た若い衆がわしわしと上がり込んでの衒いなく歩み寄るのを見送りながら、
「勘兵衛様からも
言ってやって下さいましな。」
「? 何をだ?」
「久蔵殿ですよ。
さっき そこの廊下で、
見ず知らずのお客と
話し込んでおられたんですよ?」
お膝を揃え、いかにもな口調で紡ぎ始める“ご注進”は、どう聞いてもどう見ても…どこぞの世話好きな母上の繰り出す、案じが過ぎるお節介を思わせもするから不思議なもの。これでも…当家の屋台骨を支える主人であるのみならず、槍を持たせりゃ負け知らずの、豪腕をほこる元・侍だというのにと思うと、そんな人性を大きに裏切るような細かいことをまで言い出すところが、意外で尚且つ、何とも微笑ましかったりもするのだが、
「見ず知らず?」
寄って来た連れ合いへとまずは確認を取るよに勘兵衛が訊けば、金髪痩躯の若いのが、無表情のままながら こくりと頷き、その手を無造作に広げて見せる。
「これをもらった。」
セロファンに包まれた金色の、ころり小さな飴玉で。内面はまだ少々、覚束ない人だってことは重々承知してもおりましたが、それでも、あのですね…と。一応はもういい大人という年頃だのに、こんなものに釣られてどうしますかと、そうと言いつのっているらしき七郎次へ。これはさすがに…と呆れもって賛同するか、はたまた久蔵を庇いがてら、そうそう食ってかかるなと窘めるかと思いきや。
「ほお、
稗田のはちみつ飴か。」
金色の小さな菓子へ瞠目し、そんなお声を立てた壮年だったので、
「…勘兵衛様?」
思わぬ反応へ、七郎次が虚を突かれての目を見張る。いい大人だからと言う以前に、甘いものが大の苦手な御主だったことをまだ覚えているからで。あまりに意外なことゆえと、キョトンとしている元・古女房へ、
「これはなかなか
珍しい菓子なのだ。」
勘兵衛もまた、どのような感慨を持たれたかは承知の上で。その精悍で男臭い顔容を鹿爪らしくも取り繕うと、尚の言いようを重ねてみせる。
「ここより西の、稗田というところが産の、純度の高い蜂蜜を固めたあめ玉での。糖みつよりも蜂蜜の方が多いという滋養の高い菓子で、手に持っていても溶けないのに、口へ入れるとそれはまろやかに蕩け出す。」
「…おや、それはまた。」
「そんな製法をもって作られておることから、そこいらの駄菓子屋では手に入らぬ高価な代物。西の街では傷病への見舞い品や立派な贈答品として扱われてもおるのだと。」
そういう珍しいものだから知っていたと言いたいらしく、
「それにしたって…。」
「ああ。」
此処で初めての苦笑を浮かべ、自分の傍ら、小さなお膝を揃えて座した連れへと、困った奴だという眼差しを向ける勘兵衛であり。
「まさかに飴一つで
攫われるものとも思えぬが、
馴れ馴れしい者へは
一通りの用心をせねば。」
「何ゆえに?」
「我らはあちこちで
相当なる恨みを
買っておるからの。」
よって、思わぬことから害される恐れも思慮に入れねばということだ、と。慎重なことへは問題なかろう相手へ、尚の苦言を呈す彼であり、
「恨み?」
心当たりがないとばかり、切れ長の赤い瞳を丸ぁるく見開いた久蔵へは、
「逆恨み、ですよ。」
七郎次が言葉を足した。
「あちこちで
斬ったり捕らえたりした、
野伏せり崩れの盗賊や野盗やら。
今やその全てを
覚えていないほどもの数に
なりましょう?」
そういった輩は、自分が悪さをしたから追われたという道理なんて知りませんからね。よくも頭目を辱めたなとか親分を捕まえたなと、そういう恨みから勘兵衛様や久蔵殿を狙っているやも知れぬということですよと、齧んで含めるように言ってやると。
「…っ。」
やっとのこと、おおと合点がいっての手を打って見せる彼だったりするものだから、
「…相変わらず、ですな。」