千紫万紅、柳緑花紅

□三の章 春待ち雀 F
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三の章 春待ち雀 F


 六 花 (りっか・雪の結晶のこと。冬の季語)




 背中にかかるほどまで伸ばしっ放しの蓬髪や、さりげない表情へ野性味とそれから年輪のようなものを与えもする黒々とした顎髭が似合う、彫の深い面差しに。何事かに達観しての重厚な落ち着きを得、静謐な佇まいを滲ませている壮年という、いかにも物静かに納まり返っている姿とは裏腹。それだとて彼には似合わぬ荒っぽいこと、俵か何かでも担ぎ上げるかの如く、金髪痩躯なお仲間の双刀使い殿をひょいと肩の上へ抱え上げ。彼らの逗留先でもある古農家の詰め所から、飛び出すように出発し。達者な足取りでたかたか軽快に、駆け出し駆け続けて幾刻か。

「島田、島田っ。」

 一応は人目の少ない古廟へと続く、椿の木立に挟まれた旧の村道を進んでいた勘兵衛の、自分には逆さまの目の前になっている広い背中を、侭にならぬ右手を庇いつつも何度か叩いて注意を促し、

「もう降ろせっ。」

 荷物扱いになっていた久蔵が、そんな声をかけたれば、

「おお、済まぬ。」

 あんまり軽いのでうっかり忘れておったなどと、減らず口を利きながら。それでもすぐさま立ち止まると、靴を足元へ揃えてやっての、片腕だけで抱え直して。自身の胸元へと押し付けるようにして添わせつつとはいえ、まずは中空にその身を支えてやり、ブーツへと両の足を差し入れるのを見届けてやる面倒見のよさ。いくら久蔵が細身で軽いとはいえ、それなり強かな筋肉もついた身の成年男子。それを片腕でこの扱いだ、

“…底の知れぬ奴。”

 思いはしたが、まま今更な話かなとも同時に思う。常人のレベルを越えた体力の持ち主なのは、野伏せりたちや 都警護の雷電の大群相手という数々の死闘を共にして来ていての、既に承知の事実だったし、それに。人のことは言えないことながら、あの大戦下で斬艦刀乗りだった精鋭ならば、戦いの勘や刀さばき云々以前の素養として、高層で高速飛行する戦闘機の装甲の上に、何時間でも揺るぎなく仁王立ち出来るだけの、それはそれは破格な基礎体力も持ち合わせているはずで。そこに加えて、七郎次が不在だったこの5日ほど、久蔵の傍らにいて何くれとなくの世話を焼いてくれていたその手際が幾許か、既に身についてしまってもいたのだろう。それはそれとして、

「大事ないか?」

 七郎次が案じたその通り、久蔵はまだ、その右腕の前腕を、手首を動かさぬようにということか、石膏ギプスにてぎゅうと固定している身。今の逃走劇の弾みで傷めてはおらぬかと、足元確保が整ったのでと手こそ離しはしたものの、間近になったお顔を覗き込みつつの案ずるようなお声をかけてくる勘兵衛だったので、

「…。」

 穏やかな眸のまま ふりふりと、かぶりを振っての“大事ない”とのお返事を示せば、ならば良かったと破顔する屈託のなさよ。凶悪巨大な敵を見据えての、一大決戦を前にしていた正念場。どちらかと言えば絶対不利な状況下にあり、真剣真摯、沈痛な面持ちばかり見せていた頃は。当然といや当然のことながら、笑ってもほんのお愛想、口許だけという形だけのそれであったので気がつかなかったが。この壮年、心からの安堵を込めた笑い方をすると、

「〜〜〜。/////////」

 どうしてだろうか、その精悍で男臭いお顔に、こちらが照れ臭くなるほど柔らかで奥深い表情を滲ませて見せるので、

“…こんな不意打ちはないだろう。”

 それこそ、お門違いの八つ当たり。人を不用意にどぎまぎさせるとは けしからん奴だと、胸の裡(うち)にてついついぶうたれてしまう、うら若き剣豪殿だったりする今日この頃。それはそれとして、

「だが。」
「んん?」

 久蔵にはそんなことよりも重大で気になることがあるらしく。ベルトのような装具で首から吊られた腕を撫でつつ、ぽつりと呟いたのが、

  「シチに心配させた。」

 体は痛まぬが 気が重いと、そうとでも言いたいのか。浮かぬ顔…だと見分けがつくのは恐らく勘兵衛と七郎次のみだろうが、日頃の無表情に輪をかけての沈んだ面持ちで、意気消沈という態を見せる久蔵であり。それへは、

「うむ。
 少々迂闊であったかの。」

 さすがに勘兵衛だとて、反省はしているらしい模様。相手の上へではなく自身の中へと、何をか浚うような眼差しになると。少しくたびれた白い手套を嵌めた手で、顎へとたくわえたお髭を撫でながらの感慨深そうに言ったのが。

「何せ昔から、
 手を煩わせてばかりの
 “カミカゼ上司”で
 あったからの。」

「…。」

 その辺りに関しては、久蔵も七郎次本人から多少は聞いていた。何しろご自身も前線へ飛び出してって刀を振るうクチの、斬戦刀部隊の司令官。戦局を見据えての即断即決、言葉少なに指示を出したそのまま、前進あるのみとすぐさま行動に移ってしまわれる。不言実行、黙って俺について来いという、ついて行く側の下士官にとっては気の休まる時のない、それは大変な“斬り込み隊長”殿だったそうであり。戦さには知力・体力とそれから、司令官の優れた解析力による即決の英断も不可欠だとは言え、その司令官が飛び抜けた能力者だったら、しかもそうだという自覚がなかったら? あまりに切り替えの速すぎる作戦行動は、どれほど優れた奇策でも、後に続く者らが凡人であった場合、混乱しか与えず成就もすまい。そこを、

「あやつは、自分への負担が多大にかかってもと、無理をしてでも状況把握に必要な時間を算段してやりの、そのくせ、不平不満は自分が傲慢な悪者に回ることで一手に引き取りのと、どんな手段でも迷わず講じて、下士官たちの足並みを揃えさせておっての。」

 上手にいなして統制・制御し、その結果、隊長殿の斬新な戦法を現実のものとして戦場にて展開させて来た一番の功労者。しかもしかも、大戦の終盤において勘兵衛が“負け戦の大将”と言われ通したのは、相打ちにて相手を殲滅させるくらいなら、勝ちより同胞らの命を優先して、はやばやと戦局離脱の作戦展開を取ることが多かったからであり、そんな戦術展開が可能だったのもまた、副官だった七郎次の力によるところが大きくて。

「そんな調子で、わざわざ言い置かずとも、向こうで拾ってくれおったのでな。」

 それが嵩じてこちらをずぼらにさせたのだ…というのは、あまりに身勝手なお言いようだと判っているので、口にまではしなかったけれど。

 「七郎次も五郎兵衛も、
  己の周り、
  他者へと目を配れる
  性分をしておるからの。」

 そんな人性についつい甘えてしもうたと、自分へのやれやれという苦笑をこぼした壮年殿へ、

「お主だとて。」

 しっかりと目配りはしておろうよと言いたげに、久蔵がかけた言葉は決して生半可な追従なぞではなかった。心にもないことや思ってもないことを口に出来るほど、調子の良い青年ではないことくらい、それこそ勘兵衛とて重々承知ではあったが、それでも。

「戦さに関わる時だけの話よ。」

 つまりは計算高いだけの話であり。それ以外の平生では、ただの不調法者よと苦笑を更に濃くしただけの彼であり。長老殿と逢うと言っていた刻限を思い出したか、歩みを少し、早めた彼の後へと続きながら、

「だが…。」

 まだ納得が行かぬのか、久蔵が彼には珍しくも食い下がって見せる。そろそろ見慣れた借り物の青い装束の彼は、その衣紋があの紅の長衣に比すれば清楚で大人しい型であることに加えて、背へあの双刀を背負っていないこともあって、日頃の何割か増しに幼くも見えて。

 「ただ狡猾なだけの軍師に、
  人は集まらん。」


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