千紫万紅、柳緑花紅
□四の章 北颪 きたおろし C
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四の章 北颪 きたおろし
炬燵抱く
たった一人の誰かへ、こうまでの関心を寄せたのは、こうまでの執着をもったのは、今にして思えばやっとの二人目。ちなみに一人目は、彼の元・上官にあたる島田勘兵衛だったりし。凍りついていたそのまま枯渇し、空に焦がれた心だけ先に死んでしまうのではないかと思っていたほどに。色褪せ乾燥しきった停滞の、淀みの中に蹲(うずくま)っていたところから。
― お主、侍か?
叩きつけ合った鋼の太刀の痺れるような衝撃で。容赦なく襲い来た殺気の重々しい閃きで。そんな自分を叩き起こした相手だったから。久々も久々、死と隣り合わせであることを意識したほどの、真剣本気な闘いの刺激に揺り起こされ。身の裡(うち)に沸き起こった血脈の滾りを、どうしても押さえ切れなくてのそれで。
― お主を斬るのは、この俺だ
野伏せりも神無村もどうでもよかった。自分はただ島田を斬るために…刀での決着をつけるためにとついて来ただけ。そんな欲求を満たしたかったためだけに、立ちはだかった朋輩も斬ったし、山ほどの雑魚どもをからげねばならぬ、繁雑なだけの面倒な戦さとやらにも加担した。目的のために手段を選ばなかっただけの話だってのに。
『…。』
彼にとっては十年振りに再会が叶った大切な御主を、大した恨みつらみもないまま、刀のサビにしてくれようと言って憚らぬ相手へ。どうしてそうまで優しく手厚く接することが出来るのかが、久蔵本人にしてみても大いに不思議ではあった。この人は敵だと水分りの巫女があからさまに警戒して見せたように…とまでは言わないが、それでも。単なる愛想に留まらぬほど眸をかけ手をかけ接してくれたし、結果としてはこうまで懐いた久蔵であった訳だし。場合によっては無茶や無謀を斟酌なく叱った七郎次でもあったから、甘言でくるみ込んでの籠絡が目的とも思えなかった。
『さて、
どうしてなんでしょうかねぇ。』
搦め手を使うでなく、そうと直截に訊いた久蔵の。真っ直ぐさ加減へこそ苦笑をしつつも。当のご本人も はてなと小首を傾げてしまって。
『勿論、勘兵衛様が
斬られてほしくはありません。』
御主をお護りするのもまた副官の役目。今はそういう関わりではないとはいえ、恩もあれば敬慕の気持ちも変わらぬ御方だ、庇えるものなら庇いたいところですけれど。そんな言いようをしてから、でもねぇと青い眸を伏し目がちにし。
『お二人の間での
納得づくの
お約束だっていうのなら、
アタシが口を挟むこたぁ
出来ませんしねぇ。』
よって、どなたが相手であっても同じことをしているだけ。少なくとも、勘兵衛様への当たりを考えて…だなんてな“特別”は、構えてなんかいませんと。はんなりと目許を細めて微笑った彼だったのへ、
『…。』
そういう言われようへと、何故だか ちりりと堪えた久蔵であり。自分から奇妙なことだと言わんばかりに訊いておきながら、何で堪えたのかなと思う暇もなくのこと、
『ただ。
放っておけない
お人だなって。』
そうと感じてのこと、アタシが勝手に手ぇ出してしまうだけのことですよぅ、と。優しく小首を傾げたその所作に、
『…。』
あっさりと誘われての…気がつけば。間合いを詰めるようにして歩を進め、その懐ろへと収まっている。彼との間にそんな呼吸が既に出来ていた久蔵であったりし。
――― どうして…