千紫万紅、柳緑花紅

□四の章 北颪 きたおろし D
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四の章 北颪 きたおろし

   万 華 鏡



 蛍屋は基本的には“お座敷料亭”であり、太夫や天神といった色子を置いての春をひさぐ“妓楼”ではないのだが。贔屓の太夫を連れ出して来ての上がった客が、座敷が引けた後、もう遅いからと朝まで一泊してゆくという“出合い”に用いるような小部屋も一応は用意されており。力づくだの脅しすかしだの、余程の無体な真似をして無理矢理連れ込んだような場合でない限り、野暮は言わず、店の者は皆、見て見ぬ振りで通しもする。そういう浮かれた客の他にも、風流なお客が静かな宵や夜陰の中、気の合う者と月を見て過ごしたいと訪のうことも多々あるがため、様々な趣向に合うよう、それぞれに趣きの異なる座敷や離れが多数用意されており、

 「? 久蔵?」

 先に湯を浴びた自分との入れ替わりで、母屋の湯殿へ向かった連れ合いを、わざわざ迎えに出て来たものか。小気味のいい音を立てつつ、手入れのいい玉砂利を踏みしめながら、離れへと戻りかけていた勘兵衛の眸に留まったは。その帰り道の途中、中庭の一角へと立っていた宿着姿の連れであり。敷地の中、幾つかしつらえてある庭の中でも一番広い中庭の、本来は踏み込むべきではないのだろう、小さな浮き島のある池の畔に白砂が敷いてあり。藍色が垂れ込める夜陰の中、おりからの煌月からの蒼い光を吸っての自らも発光しているかの如く、その白さが一際照り映えて見えるものだから。そこに佇む金髪白面の美丈夫は、さながら夢幻の中に立つ、人ならざる者のようにも映って見える。

「どうした?」

 そちらからもこっちの接近には気づいているらしいのに、その場からじりとも動かぬ久蔵であり。顔だけをこちらへ向けた彼が直前まで見やっていたのは、池のおもてを撫でるよに、水平に枝を伸ばしている楓へ、寄り添うように座る小さな祠の影。

「何か祈ってでもおったのか?」

 間を空けて立ち止まり、少しばかり低めた声音で白々しくもそう訊くと。赤い眸がふんと呆れを示してのそっぽを向いた。祈る人がいての そこへと降り積もる信仰心へという“気遣い”はしもするけれど、神仏へと祈ったりすがったりには双方ともに縁がないからで。人斬りが神頼みだなんて何だか順番がおかしいなどと言い訳をしつつ、その実、自分の腕をのみ頼りにして誰へも何にもすがらないだけのこと。そんなところまで似た者同士の二人ゆえ、何をまた下らない戯れ言を言うものかと呆れた久蔵だったらしく、

 「お主こそ、
  そこの社へ
  刃を突っ込みおったくせに。」

 「おや。」

 言った覚えはない話のはずだ、が何でまたお主が知っておるのかと。途惚けたように片眉だけを器用に上げる壮年へ、気づかいでかとますます目許を眇める久蔵だったが、

「湯冷めをしてしまう。
 部屋へ戻るぞ。」

 先に破顔しての くすすと苦笑した勘兵衛が、再び歩みを踏み出しての歩み寄って来たその気配へと、自然な呼吸で促され。軽く持ち上げる格好で心持ち広げられた、彼の腕の尋の中、受け止められるよう掻い込まれ、身を寄せ合っての並んで歩き出している息の合いようは、

 “なかなかどうして、
  絵になっているじゃあ
  ありませぬか。”

 こちらもまた、外で待っていては風邪を引きますよと、若いのを呼びに来たつもりの若主人。そんな流れの一部始終におやまあと苦笑をし、見なかったことにしなくちゃねぇと、踵を返しての取り急ぎ離れへ逆戻り。気の早い蛍が道案内にと足元を飛び交っているのへと、彼らの注意が逸れての時間を稼いでくれりゃあいいのですがねと、とんだ野暮になりませぬよう、ついつい急ぐ彼の足元へも翠の光がじゃれついて。静かな宵は暖かに更けゆくようでございます。



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