千紫万紅、柳緑花紅

□四の章 北颪 きたおろし E
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四の章 北颪 きたおろし

   冬支度


 陽のある昼間は何とか暖かだった外気も、少しずつ少しずつ少しずつ頑なになりゆきて。すぐにも雪に覆われてしまうのでと、つなぎの作物を育てることも出来ぬまま、雑草がぽつぽつと見えるだけとなっている田圃や畑が広がる冬枯れの風景や。遠い峰々を飾っていた金赤の錦がいつの間にやら退いての、白っぽいダケカンバの枝の色にのみ覆われてしまった褪色ぶりが、晩秋の黄味がかった陽光に照らされているのを見ていると。それだけでも何とはなし、郷愁を通り越しての寂寥感が増すというもの。
人恋しい季節の到来を感じつつ、働き者の村人たちはせっせと冬支度に入り。木守りのためにと取り残した柿の実の橙がいや映える、突き抜けるほどの透明度を増した空の下。柴を刈ったり、保存する作物を寒風に晒したり。冬物、綿入れを用意する傍ら、炭小屋からは細くたなびく煙が絶えず。
どれもこれも例年と変わらぬ風景だが、それでもこの何年か振り、気が重かったはずのそれらが、気を入れて打ち込める作業へと成り代わっている。何もかもを野伏せりに奪われての失意のまま、空しさを吐き出す代わりの溜息混じりに進めることじゃ、なくなったからに他ならず。穿った見方をするならば、元に戻っただけの話なのにね。森へと入る顔触れに、少ぉし色白で愛想の薄いお方が混じっていることがあることくらいしか、目に見えた変化はないのだのにね…。





     ◇



 七郎次が神無村へと戻って来たのは、結局、どたばたと出立してから二十日ほどの日にちを数えてのちのこと。暦の上では既に冬を迎えており、虹雅渓と神無村の間に横たわる荒野を渡る砂風も、その冷たさや素っ気なさを心なしか増しているそんな中、

 「さても無事のお戻り、
  おめでとうござい。」

 「いやですよぅ、ゴロさん。
  そんな仰々しい。」

 すっかりと虹雅渓との行き来専用の乗り物と化した運搬船から、強風や砂よけ用、裳裾の長い外套姿のまんま、ひょいと身軽に地面へと降り立った長身へ。これもまたすっかりと昇降所になっている翼岩の根元から出て来た銀髪屈強な壮年殿が近づいてゆき、屈託のないご挨拶を差し向ける。それへと、総身を覆っていた厚手の砂防服を脱ぎながら、照れ臭そうに言葉を返した槍使い殿であったが、

「なんの、
 仰々しいことがあるものか。
 シチさんがいないと
 華が減って寂しい限り。」

 朗らかに笑った彼の言いように、喜べばいいのか窘めていいのかと、ちょっとばかり困ったように苦笑を返した七郎次だったのは。響きのいいお声でのお声かけ、快癒したそのまま長旅をした身へのいたわりに満ちていることがまず最初に感じ取れたからだろう。豪快な人性だと思わせておいて、その実、人の世の機微というもの知り尽くして広げたそれだろう、懐ろの尋深きをもって、どんな人性の誰でも掻い込み、暖かく癒して下さる。そんな豊かなお心を持つ彼だということ、重々承知の七郎次だったので。一枚布のようだった砂防服をくるくるとややぞんざいに腕へ巻きつけ、

 「ただ今帰りました。」

 あらためて頭を下げれば、五郎兵衛の方でも和んだ眼差しにての目礼を返して下さった。お土産もたくさん積んで来ましたよ、味噌やら醤(ひしお)やら砂糖やらをどっさりと。そうか、では村の者らに声をかけておこう。気遣い者同士の交わす会話は何とも手短であったが、それと同時、どこか遠回しな文言ばかりの羅列でもあって。

「勝四郎はどうした?」

 ヘイさんが今朝受けた電信では、確か街から此処までを送って来てくれたはずではなかったか。そうと訊かれて、

「ええ、そこの先まで
 こちらの機体を
 曳いてくれていたのですが。」

 歩き出していた七郎次が、仄かに眉間を曇らせる。

「西の村への荷を頼まれたとかで、
 こちらへまでは
 入って来なかったのですよ。」

 いつまで何に気が引けているものなやら、村の近辺までは来るのに中へまでは踏み込まぬ少年であり。恐らくは本人にしか鳧をつけられぬことへのこだわりなのなら、大人たちも敢えての無理強いはしなくなっているのだが、それが善いことなのか悪いことなのかはきっと誰にも判らない。

「そうそう、
 正宗殿からヘイさんへの
 文を預かっておりますよ。」

 電信に関するあれこれでして、途中までは口説を聞いておれたのですが、途中から何が何やらさっぱり判らなくなってしまって。それでと一筆書いてもらったって訳でして。くすすと微笑った七郎次は、

 「これからは
  ああいうお人たちの
  時代になるのでしょうね。」

 どこかしみじみと口にした。元工兵で今時の機巧にも通じている平八や、刀鍛冶から機巧躯にまで知識の明るい正宗殿や。

「アタシなんぞ、
 心意気だけは
 負けちゃあいないのですが、
 生産的な何かに
 得意があるかと訊かれると
 困ってしまいやすからね。」

 ちょっぴり蓮っ葉にも幇間言葉で締めての微笑って見せた彼ではあったれど。今回の滞在だけじゃあなく、ずっとの5年も虹雅渓にいた間、しみじみ感じていたことに違いない。もはや侍の時代ではないと…人斬りが居ていい時代ではないのだと。

 “それで正しい、
  それが平和安泰な時代では
  あるのだけれど。”

 侍の生きざまは哲学や道としてのそれに成り代わり、死ぬか生きるか、肌身で感じた鍔ぜり合いへの緊張感とか、命を屠った者が負わされる罪科の行方だとかは、観念的なものへと習合風化されてしまうのだろう。文字通りの修羅場に立って血まみれになりながら生きていた者の存在さえ、生身の体温を吹き消されての具象化されてしまうのか。

“皮肉な言いようをするならば、
 風化する前に
 新しい戦乱の火種が
 点きかねないのもまた、
 人の世の常ではありますが。”

 安泰はやがて停滞を招き、爛熟し切っての煮詰まった揚げ句、進化のための殻破りのような必然を装って、途轍もない規模での破綻や奇禍が日常の中へと降って涌く。人間には最初から、破滅や絶滅が組み込まれているのかも知れないとは、どこぞかのお偉い学者先生のお言葉だそうだが。では、侍という人種は、そんな物騒な遺伝子が成した“忌み子”だということか。

 「…。」
 「シチさん?」

 ふっと、口を噤んでしまった七郎次が、その表情までもを硬くしたものだから。五郎兵衛が案じたように声をかけた。

「え? あっ、えと。
 すみません。
 何だか ぼーっとしちまって。」

 条件反射のように、咄嗟に口角を上げて微笑って見せたものの。ちょいとあたふたしてしまった槍使い殿だったのは、柄じゃあない小難しいことを漠然と考えていて、同行する彼の存在を忘れていたほどの上の空だったことを誤魔化したかったのと…それから。

“何でまた…。”

 その脳裏へ、これまた漠然と浮かんだのが、あの寡黙な双刀使い殿の横顔だったりしたからで。確かに戦さの申し子のようなお人、眉ひとつ動かさずに人斬りをこなせる、我らとはどこかで次元の異なる練達ではあったけれど。自分たちと一緒に過ごす中で、少しずつ、一つずつ、戦さ以外のあれやこれやも、その身に染ませていってた彼ではなかったか。他愛ないことにほわりと微笑い、褒めて差し上げれば含羞んでのこと赤くなり、ちょいと叱って意地悪くそっぽを向けば、赤い眸を潤ませて見せもした。七郎次にとってはそんな風にかあいらしいばかりなお人を、そんな物騒な喩えに引っ張り出した自分だってことが、無性に申し訳なくて。そして、

 「あの…。」

 神無村へと尋常な徒歩で入る唯一の道、中空に浮かぶ橋にその足を踏み出しながら、ちょっぴり及び腰な口調で訊いたのが、

 「久蔵殿は、
  どうされているのですか?」

 我慢が利かず、口を衝いて飛び出していた一言へ。秋の金陽を一面に浴びての、やわらかく温もっていた、巌のような頼もしい背中が立ち止まる。





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