千紫万紅、柳緑花紅

□四の章 北颪 きたおろし 幕間
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 閑話休題  柑子の実


 左腕の義手から生じた不具合への手当てのためにと、ほんの二十日ほど留守にしただけだのに。結構な散らかりようを呈していた家の中には、七郎次も正直呆れたようであり。確かに急な出立だったが、それでも…物の有り処が判らぬほど、とんでもなく散らかしたまま此処を離れた自分ではなかった筈だと思うにつけ、

“これだから もう。”

 正に“男所帯”の典型、どうせまた使うものだからとかいう解釈の下、出しっ放しにされた雑具が取っ散らかりの、畳んであるのか、いやさ洗ってあるのかも怪しい衣類の山が、隣りの寝間の隅に出来上がっておりのと。自分も男ではあるけれど、そんなことをするから物を見失っての探すのにまた散らかすか、見つからぬからと見切って無駄に新しいのを増やすかしてしまい、ますます散らかすのが関の山だのにねぇとの、しょっぱそうな苦笑が絶えなかったおっ母様だったりし。とはいえ、

「おや?」

 箒を取りにと足を運びかけた土間の隅。ふと、気がついたのが、奥の方にあった小部屋の前だけは妙に片付いていたこと。開かずの間を思わせるよに、続く空間を示唆する板戸があるにも関わらず、その前へ積まれていた炭桶だの芝の束だのが、今はすっかりと避けられていて。あれれと手をかけるとスルリと開く。その奥は物置扱いになっていたはずが、今はきれいに片付いており。足元にはすのこが敷かれてあって、その奥向きには小判型の風呂桶が据えられてあって。連子窓から射し入る陽を受けて、乾いた側板に嵌められた赤銅の箍枠が鈍く光っているのが、何とはなく意外な風景だったりし。

「…湯殿。」

 そんな空間の跡らしいなというのは、表の丁度ここいらの外に炊き口があるので知ってはいたが、それこそ使えないまま朽ちかかっていたはずだがと。この変わりようへと唖然としている七郎次へ、

「これから雪も降るというからの。利吉のところへ湯をもらいに行くのも、いちいち難儀になろうからと。」

 そうという勘兵衛の声がし、肩越しに振り返った視線を受けての、にこりと笑んだ蓬髪の御主様、

「平八と五郎兵衛が修理してくれたのだ。」

 自分たちも使わせてもらいますからとの気を利かせた彼らを手伝って。久蔵と勘兵衛とで修理によさげな乾いた倒木を集めて来の、水汲みが難儀にならぬようという工夫を施し。色々様々に、念を入れての丁寧に。ちょいと広めで2、3人が一遍に入れる規模の、結構立派な湯殿が完成したのが3日前。だだら怠けておったのではないぞと、言いたいらしい勘兵衛へ、

「大したものじゃありませんか。」

 これはこれはと七郎次が感心したのも束の間のこと。

「此処で今日も一日お疲れさまと湯に浸かっての体を延ばす甲斐があるように。とっととあちこち片付けてしまいましょうね?」

 勿論手伝ってもらいますよと言下に含んでいるのだろう。凶悪なまでの目映さで“にぃっこり”と微笑った、日常という舞台に於いては最強のおっ母様だったりし。そして、

「…。(承知)」

 言われずともということか、先程飲用の水を汲んで来たのとは別の手桶を引っ提げた手際も慣れたもの、裏手の川へ向かった誰かさんの背中を眸で追って、

「………。」

 何かしら感じ入る要素は消えないままなのか。当人も気づかずの所作だろう、微かに小首を傾けてしまった七郎次の様子。これまたそれとはなく見やっての、

 “…どうなることかの。”

 案じてやりつつも今はまだ、勢い込んでの性急になるでもないことと。その口許へこっそりと、淡い苦笑を浮かべてしまった壮年様だったりするのである。どこか遠くで鳴いたはヒタキか。漠と満ちていた静謐を蹴立てるように、余韻を長々と響かせて飛び去ったその後は、明るいながらも寂寥の気配がいや増した。頭上には青天ひろがる、晩秋の午後である。





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