千紫万紅、柳緑花紅

□四の章 北颪 きたおろし F
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四の章 北颪 きたおろし

   雪割草


 透明度が増し、それは澄み渡っていた高い高い秋の空が、いつの間にやら彩度を失っていて。気がつけば、暗くはないがそれでも重たげな雲に、空一面覆われることも多くなり。これはいつ雪が降り出してもおかしくはないぞという前知らせ。村人たちはこぞって冬への支度に取り掛かっての忙しくなり。保存食の準備に住まいの養生や補修、炭の備蓄に薪割りと、慣れた様子で手をつけ始めて。この冬は何といっても、野伏せりたちに収穫した作物を奪われずに済んだことが皆の心を知らず知らずほこほこと暖めており。その上、負傷逗留中の侍たちもまた、何かと手を貸したので。厳冬へと向かうための準備は、殊の外 手厚いそれが、ずんと余裕で進んでいる模様。機敏だし飲み込みもいいお侍様がたは、お頼みした作業を、それが何であれ あっと言う間に要領を得ての、毎年手掛けていたかのような手際で片付けてしまわれることから、あちこちから重宝がられており。しかも、虹雅渓に伝手がおありとあって、お仲間への連絡かたがた、加工品など特別な物資への都合もつけて下さるのが、辺境の小さな村にはたいそう助かる頼もしさ。勿論のこと、

『雪に埋もれますで、
 冬場はそもそも
 外への警戒が要らぬ土地では
 ありますが。』

 空をも埋めんという途轍もない規模で、雷電や紅蜘蛛を率いて押し寄せた、あの“都”の精鋭らを。たったの一桁という頭数にて迎え撃ち、見事叩きのめしたお歴々。人並み外れた腕っ節をしておいでの方々揃いだからして、万が一にも野伏せり崩れの賊だの野盗だのがやって来たって護りは万全と。この冬は例年になく安んじて過ごせそうな神無村だったりし。

『行く先々で、
 嫁は取らぬか
 居残っては下さらぬかと。
 何かの拍子に
 切り出されることが多いのが、
 困りものっちゃあ
 困りものではありますが。』

 元・詰め所の囲炉裏端にて たははと笑った平八も、もはや床上げを済ませてのすっかりと復調を遂げており。出来る範囲でのお手伝いをこなしつつ、雪と向き合う神無での冬を越すことで、病床にいた間に衰えた体力を蓄積し直し、やがては旅立つ春を待つ態勢。村を護って下さいと、依頼された戦さは既に終わった。後腐れもついでに断って、彼らの役目も果たされた以上、のどかな農村に戦さびとなぞ無用の長物。よって、此処に居残るつもりの者はない。

 “まま、
  菊千代だけは別ですが。”

 水分りの巫女様の妹御、小さなコマチの婿になると もはや公言したも同然の身ゆえ。彼だけは別で、居残り確定に間違いはなかろうなと。七郎次がその口許へ思わずの苦笑を洩らした。今は虹雅渓で、知己である工部匠の正宗老の元に身を置き、弘安医師の手によって新しい機巧の躯を再生中のお侍。とはいえ、コマチの婿になるのなら、農作仕事もこなせねばならず。前の体では体格も手足も大きすぎての無理な相談だったそれが、新規の体となるにあたっては改良のしようもあるのではないかという話も出たとかで。田植えじゃ草引きじゃ稲刈りじゃ…がしやすい体格、手先がもっと器用に動くような作りにいっそ変えてしまうか?と、医師らが訊いたところが。

 『俺様は
  そっちが良いんじゃねぇかと、
  納得もいったし
  覚悟もあったんだがよ。』

 ところが、コマチ坊が“オラが好きになったおっちゃまと寸分違わぬ姿がいい”と言って聞かなかったらしく。

『それじゃあ何か?
 コマチ坊は
 俺の見目へ惚れたんかって。
 今後のことも考えて、
 何とか言い聞かせようとして
 そんな言いようをしたところが。
 あいつめ、何て言ったと思うよ。
 鎧のお化けみたいな姿に
 クラクラしたほど、
 オラ落ちぶれちゃあいねぇと
 来たもんでな。
 何だその言い草はって怒鳴りゃあ、
 そっちが先に
 言い出したんだろって
 言い返して来て、
 第一、オラは
 おっちゃまがおっちゃまだから
 惚れたんだ、
 見た目なんかどうでも知らねぇっ
 なんて言いやがってよ。
 なのに元のまんまじゃあないと
 イヤだなんて、
 それって言ってることが
 おかしいとは思わねぇか?
 まぁったく可愛くねぇったら…。』

 まだまだ続きそうだった、惚気以外の何物でもないぼやきを聞かされ、

『はいはい、判った判った。』

 閉口気味な口調になって七郎次が窘めた相手は、仮の体だという機巧躯に収まっており。あくまでも器だけなので、さして機能があるでなし、動き回ることさえ出来ない段階。そんな無聊に腐っていた最中だったせいもあり、話相手が来てくれたと、随分と多弁になってもいたらしい。仮のものにしては、だが、その外観が生前の…いや死んではないか、彼らが知るところの菊千代の姿とほとんど同じだったので。どうやら未来の新妻の意向の方が通ったらしいと、そんな話まで虹雅渓から運んで来た彼が、今の今 見守っているのもまた、大切なお仲間二人のお姿で。

 「…。」

 片やは、白い砂防服の肩口を濃色の蓬髪が覆う、屈強長身な白い手套の壮年殿で。葉をすっかりと落とした木々の梢が織り成す、目の粗いザルのような天蓋からの木洩れ陽に。まだらに塗り潰されての、照らし出されたその手には。愛用の太刀…ならぬ、農具の柄だろう長いめの棒っきれが握られていて。そんな彼と向かい合うのが、

 「…。」

 こちらさんは…まだまだ元のあの戦闘用の衣裳ではなく、村人たちが揃いで着ている、青が基調の羽織を着た装束の、下だけ別仕様の青いいで立ちの双刀使い殿。上背もあって風貌も玲瓏に冴え、存在感も違うので、村人側からも見分けがつかぬということ、まずはなく。まだ完治に至らぬ右の手首に、用心のためというギプスを嵌めたままでいるがため、その手へは得物を持たずの、こちらも木刀代わりの棒は一本。そもそもからして刀を両手で握って操っていた訳ではないから、太刀さばき自体に不自由はなかろうが。間合いを詰め合い、刃を噛み合わせての力圧し。そんな恰好での鍔ぜり合いになったなら、そこは久蔵の方が不利でもあろうに…との予測を立てていた七郎次だったところが。

 「…っ!」


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