千紫万紅、柳緑花紅

□四の章 北颪 きたおろし H
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   地上の穹



 少しずつ少しずつ、朝晩の冷え方が鋭さを増してゆく。寝起きしているのが雪深い土地の農家なだけに、屋根は茅葺き、窓もさして大きいものは刳(く)られておらず。障子戸では明るくとも防寒対策にはあまりに頼りないからだろう、寒い時期に入れば頑丈な板戸を厳重に締め切ってしまうため、唯一の可動部である連子窓の蓋をしてしまうと、吹きつけ吹き込む風雪や寒気は確かに防げるものの、同時に陽光もまた遮ってしまうのが難点だったりし。

『その点はお任せください♪』

 例えば、すぐ傍らに据えた南を向いた白い大壁に反射させることで、北側の窓からも十分な明るさを取り込むことが出来るように、工夫のしようは幾らでもあるとかで。明るさは通すが寒気は通さぬ素材での、高窓や天窓を研究中ですと、その身が相当のこと侭に動かせるようになって来た工兵さんが、自信満々で胸を叩いていたのをふと思い出し、

 「…。」

 とはいえ、まださほど、震え上がるほどではないと感じたのは。まだまだそうまでには寒さも至らぬ頃合いだから…というよりも。じんわりと温かい懐ろ猫の存在が、粗末な煎餅布団の中、懐っこくもその身をこちらへと寄せていたからだろう。随分と痩躯で、しかも安らかな眠りの中にあっては、その肩も背条も力なく萎えてのいかにも頼りなく。勘兵衛ほどの屈強な長身でなくとも、その身の丈のほぼを胸元へとすっぽり抱き込むことが出来そうな青年であり。こちらの二の腕へ頬をちょこりと載せていて、手入れのいいふわふかな金の綿毛が、こちらの顎先や首へと触れて少々くすぐったい。夜明けの寒さを慮ってのこと、事後にそのまま寝付いた身へ、寝間着にしている小袖を羽織らせてはおいたものの。着ならされた柔らかな生地は、すぐ下の温みやそれを放っている身の、殊更に懐っこい肌合いをそのまま伝えて来。

“…。”

 このように直に感じるところの、誰か他人の体温や肌の感触というもの。まさかにこの歳になるまで、全くの全然知らなかった勘兵衛ではなかったが。こうまで愛しくも優しくて、こうまで安堵を齎すものだったということをまで。知ってはいても覚えてはいなかったようだと思い知る。ましてや、日頃は寡黙なまま どこか冷然とした風情で通している久蔵が相手なだけに、こんなにもまろやかな温みを分けてくれようとは思いも拠らず。

 「…。」

 間近に寄り添う無心な寝顔を、飽かぬまま しばし眺めてのそれから。揺り起こすことのなきよう、そろりと衾からすべり出る。名残り惜しげにもう一顧、その口許が…微笑ってまではいなかったものの、むずがりの“への字”ではないことを確かめると。やっとのこと気が済んだか、上掛けを直してやりつつ視線を外し、立ち上がる勘兵衛であり。






  ◇  ◇  ◇



 曇天にも似た黎明の、曖昧なばかりな空へ向け、次々と放たれた目映い矢のようだった朝一番の陽光も。今はもうすっかりと、天穹すべてを塗り潰すまでに落ち着いており。そんな明るい空を仰ぎつつの歩みにて、辿り着いたは、もはや船着き場ならぬ 停留所扱いの翼岩。そこには丁度、ついぞ見慣れぬ型の空挺が、その駆動音を徐々に低めつつの停止状態へ入りかけており。こういった乗用機関と言えばの大戦時代にも見たことのない型で、とはいえ、武装を見せてのいかにも好戦的なそれでもない。運搬船と大きさは同じくらいだが、少々縦長の流線形で、最も異なる点は甲板にあたる操縦席に幌(ほろ)がついているところ。しっかりと固定された屋根がついての囲うタイプではない、いわゆる“コンバーチブル”とかいう開閉収納式らしかったが、それでも操縦者や搭乗者が外気に触れずにいられる程度の頑丈さ。高速艇の船体は、出来るだけ空気抵抗を受けない薄さのものがいいということもあり、こうまでご大層な幌をつけた機はお初に見る勘兵衛で。そうは言っても、

 「…勘兵衛様?」

 誰が乗っているのかは先刻承知。機関が完全に停止してから、側面部の、囲いがある時の出入り口なのだろう大きめのジッパーがざりざりと鳴りつつ引き上げられると。テント地のように頑丈な幌が刳られて開き、中から搭乗者が顔を覗かせる。遠出用のしっかりした外套を羽織った七郎次であり、彼の側こそ勘兵衛を見やって…どこか意外そうなお顔をして見せていて。

「わざわざ迎えに
 来てくださったのですか?」

「まあな。」

 実を言えば、昨日の宵、風呂を浴びに来た平八から、この時刻に七郎次が到着するとの旨を聞いていた。久蔵は丁度、裏手の焚き口にて五郎兵衛から風呂焚きの加減を教わっている最中だった間合いのことであり。そのまま彼の耳には入れずにいたらしき勘兵衛の思惑はさておくとして。移動途中に知らせが入ったのかと平八に問えば、恵比寿顔をほころばせて“いいえ”と笑い、

『移動しながらの通信は、
 まだまだ不安定ですので。』

 出来なかないが、大気の状態によっては相手へ受信されない恐れも大有り。ここ数日ほどはいよいよ到来の寒気の影響か風も強めなため、電波妨害作用のあるナノ物質の拡散もひどい筈。そんな中だってのに、届くかどうかが危ういことを、あのシチさんがするなんてあり得ませんてと紡いでのそれから、

『今から虹雅渓を発ちます
 という連絡でした。』

 そうと言い足した彼であり。だが、となると、

『明日の早朝には着くという
 連絡だということは、
 昨日の今頃か今朝早くにでも
 届いてなければ
 おかしいのではないか?』

 どんな馬力の空挺を駆ったとしても、都合2日弱はかかる行程だけに。途中で足を止めての中間報告だったならともかく、今こちらを発ちますよという知らせがこんな間合いで届くのは尺が合わないにも程がある。おややぁと首を傾げた勘兵衛へ、さもありなんと理解は寄せつつ、されど、

『ですが、
 うっかりと
 お知らせし忘れていたんじゃ
 ありません。』

 くすすと微笑った平八にしてみても、七郎次と電信でのやり取りをしたその時は、勘兵衛と同じように、話の不整合へ“う〜ん?”と首を捻ってしまったそうで。その答えが、他でもない、目の前に佇む空挺そのものだったりし。

 「それが
  新しい高速艇とやらなのか?」

 「ええ。
  とんだじゃじゃ馬ですが、
  斬艦刀に比べれば
  安定性は抜群ですよ。」

 虹雅渓に知己もおり伝手もある関係から。時折、伝令やら物資の移送やらを目的として神無村と虹雅渓とを往復する彼らは、その道程の途中、地底の水路沿いに“禁足地”という格好で住処を構える式杜人らとも、ある意味で縁があり。お互いにそうそう深く踏み込まず、余計な干渉をし合わぬという暗黙の了解の下、地下水脈という…荒野よりずんと安全で人目にもつかぬコースを通過することを許されている侍たちだが、

 『なんでしたら、
  超高速の空挺を
  提供しましょうか?』

 雪が降ったら行き来は適わぬかと思われていたものが、式杜人らが思わぬ提案をしてくれた。彼らもまた、あの洞窟内の禁足地以外の足場、殊に神無村間近にて撃沈された本丸の主機関周辺を禁足地化する作業にあたっての中継地、橋頭堡のようなものが欲しかったらしく。言わば持ちつ持たれつという提案であり。しかもしかも、

 『この空挺、
  実はそちらの
  技術者殿から頂いた、
  工夫や工法が
  大きに取り入れられても
  いるのですよ。』

 『………はい?』

 そちらという括りで仲間内と見做されていよう人物の中。技術者といえば、工部匠の正宗殿か、闇医者だが規格外の機巧躯に明るい弘安殿か、あるいは…

 「…平八が?」
 「らしいですよ。…ああ、ただ。」

 いつの間に式杜人との連絡を通じておったやら、今の今まで内密にしていたというのは、どんな意向からであれ少々由々しきこと…という叱責が。もしやのことでも勘兵衛の口から飛び出す前にと、七郎次がはんなり微笑う。

「ヘイさんが
 直接彼らと協力し合った訳じゃあ
 ありません。」

 正宗殿とやり取りしている電信の中継地をね、あの撃沈地にも据えたおり、その仕組みに彼らの工部匠の長がいたく感心したらしくって。乗り物レベルなんていう大きな工作だったら、自分たちへご依頼くださいなと話を持ちかけたもんだから。

 『そうさな、
  それじゃあ
  こんなもんは作れるかい?』

 腕試しをかねて正宗殿がほいと見せたのが、

「ヘイさんが
 設計図を引いてた
 新しい機関のだったそうでして。」

 色々と…素材とか工作器具とかに希望推定の多い代物。よほど整った設備のあるところで、素材も資材も人手も電気動力も潤沢な環境下でないと実物を作り上げるのは無理という。理想というか希望というか、持ち得る限りの知恵や知識という“贅”を尽くして、頭の中にだけ築き上げたってクチの図面をね。前にヘイさんが引いてらしたの、たまたま持ち合わせておいでだったもんだから。こんなもの作れるものかと音を上げさせるつもりのからかい半分、提示したところが、

 「作り上げてしもうたと?」
 「そういうことならしいです。」

 正宗殿が大おとななりの遠回しに干渉を断ろうとしたというのが、判らない彼らではなかったのでしょうが。話の持って行きよう、その方向性が不味かったと言いますか。

「多少は意地もあってのことなのでしょうけど、敵もさるもの、形にしてしまおうとは大したもんですねぇ。」

 どっちの心意気も判るのでと、七郎次は苦笑するばかり。やはりホバー式なので荒野どころか雪原や湖面だって渡れるその上、平八考案の特殊な機関は、これまでの倍は速度を出せるのに燃費もよく。そのせいか、燃料タンクや冷却器などなどを さほど大きくせずとも遠距離稼働が可能だったり、他にも色んなところへの負荷が少なくて済むお陰様、安定性が抜群で。

 「そこで今回、
  試験運行させて
  いただいた訳ですが、
  まあ速い速い。」

 日頃の生活の中では、そうそうここまでの速度が要るだろう急ぎの用などなかろうけれど、安定性のほうは十分買えますよ。この馬力なら、雪が多少深くなっても行き来が楽に出来そうだと、にっこり笑った古女房。ホバーの機上に立っている勇ましさのせいか、それとも、いかにも防寒性の高そうな、かちっとした上着の、立てた襟で首元をしっかと封じている凛々しい恰好のせいもあってか。そんな殺風景な装いでありながら、だのに健やかに啖と笑うところ、かつての…大戦中の副官殿の勇姿が、そこへと重なって見えたような気がした勘兵衛だったりし。

「勘兵衛様?」
「…いや。」

 そういえば、この彼とはそんな戦さ場で、生き別れて以降の十年余、ずっとお顔を合わせずにいたのだったなと、今更ながらに思い知る。自分の上にもそうだったように、彼の上へも。長かったような、それでいてあっと言う間だったような、そんな歳月がそれぞれ別々に流れゆき。そんな二人が再びこうして共に在るための、条件というか背景と言おうかが、またしても“戦さ”という殺伐とした非常事態の極みであったというあたり。一体どのような因果・因縁がある自分たちなのだろかと、ふと感じたらしい勘兵衛の様子に、

「…。」

 何をどう想ったのかまではともかくも、七郎次の側でもまた、そんなしみじみとしたお顔をなさる御主にはついつい見とれ。そして、

 「…。」
 「…。」

 かつての主従が二人して、渺々と寂寥たる荒野の風景とそこを渡りゆく風の唸りに、気を揃えたかのように、意識を馴染ませてのしばし佇んでいたけれど。

 「デッキへ入りませぬか?
  何かお話がお有りなのでしょう?」

 到着時刻が判っていても、元の詰め所、あの家で待っておればいいものを。彼ではなくの、例えば…七郎次が発した電信を受けた平八が、この高速艇への関係者でもあるからと、出向いてくるならともかくも、選りにもよってこの壮年殿が、こんな早朝、しかも独りで足を運んだからにはと。そこまでを察することが出来るのは、彼自身の冴えた機転か、それとも…かつての日々にて大きに要りようだった、阿吽の呼吸や上官殿への勝手というもの、蓄積が色濃く居残っていてのそれだろか。七郎次がそんな言葉をかけたのへ、勘兵衛もまた うむと微かに頷くと、風に躍る蓬髪をごそりと掻き上げ、艇へと上がる梯子へと足を掛けたのだった。





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