千紫万紅、柳緑花紅

□幕間 冬ざるる
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何にか餓(かつ)えての
その反動から、
その懐ろへとすがりついていた。
こんな自分ではなかったのにな。
そうまで心許なかったということか。
物心ついてからこっち、
一度だって
迷ったことなどなかったのに。
刀においても、行く末においても。

  “…行く末?”

答えは出ず、
その代わりのように
脳裏へと浮かんだのが、
覚束ぬこの身を熱で埋め、
夜陰の底へと沈めてくれた男の影。
何処へもやらぬと囁いて、
独りにはせぬと安堵させ、
何へと怯えているのか訊きもせで。
憂いる暇さえ与えずの蕩かして、
暖かい懐ろへ、
眠れ眠れと抱き込めてくれて。

 “…それだけじゃあない。”

そも、自分をこんな遠くまで
連れ出したのも その彼だ。
虹雅渓から…という意味だけでなく、
意識を沈めてうずくまり、
何か誰かを
あてどなく待ってた久蔵を、
そこから立ち上がらせ、
こんなところへまで
引っ張り出した張本人。

  “…。”

ひどく昏い眸をしていて、
だのに。
ほろ苦い笑みが
素の顔のように様になるほど、
己を出さず
隠し通すことへと巧みな、
壮年の侍(もののふ)。
斬って凌駕するためにと
追って来た筈だったのにな。
どうしてだろうか、
いつの間にか。
それ以上の何かに惹かれ、
離れがたい存在となっていて。

 ― 尾羽打ち枯らした
   惨敗組の将

誰もがそうと断じながらも、
侍として常に揺るがぬ
態度や姿勢が、
誰も彼もを
惹きつけてやまない男で。
単なる頑迷さが
為していることなのかも
しれないし、
ただ不器用なだけ
なのかもしれない。
侍とはそも、
問答無用で
人を斬ることへとい抱く、
思想や価値観、
迷いや戸惑いや何やかや、
様々な感覚や葛藤を、
総身へさんざん浴びたその挙句、
何かが突き抜けてしまった
存在であり。
よって、そこへ
求道者としての清廉なんてものを
求めるのは、
随分と無理があることだけれど。
それでも…今の世にあって、
そんな罪深い肩書だと
判っていながら
名乗り通せているのは、
間違いなく
意志の強さがあってのことだから。
卑屈にならず俯かぬ、
その毅然とした雄々しさへ。
罪さえ拭うほどもの何か、
理想や憧憬にも似た
清かな想いを、
涌かせてしまうものなのか。

  “………。”

確かに、
仁に厚くて頼もしい
ばかりじゃあない。
その深い懐ろの尋の中にて、
侭に泳いでいるこちらを
ちゃんと見守って
くれているのだろうに。
不思議な距離感は
獲物へのつれなさかと、
当初は誤解をしたほどに、
対岸から
眺めているようなところが
いつまでも抜けないと。

『そこが勘兵衛様の
 お優しいところでさァ』と、

あの七郎次が苦笑混じりに
時折零していたほどで。
人斬りである限りは
という諦念がそうさせるのか、
助けを求めて延ばされる
闇雲な手ではない、
迎え入れんとする
双腕や眼差しへは、
頑として靡かぬ 情知らず。

  “…。”

どれほどの惨劇を
見て来たそれか、
どこか酷薄な
褪めた眸に見据えられると、
なのに熱を感じるようになった。
どこからか燠った甘い熱に、
体の内から焦がされて、
切ないという想いを
知ったことから、
若々しい肢体が
溺れるようにもがいて震えて。
…だってのに、
手を延べてくれないのが歯痒くて。
しゃにむに
掴み掛かったことでやっと、
内なる熱をくれたほど、
なかなか堕ちぬ頑なささえ。
情を欲しての押して押してを、
それが不慣れな久蔵に
馴染ますためかと。
どこまで追えば
我がものになるのかと、

 ― その首が欲しかったものが、
   心が欲しいへ

久蔵の中で
欲しいの色合いが逆転したのは、
果たして
何時の頃からだったろか…。





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