ウチではお座敷へ いつも絵の掛軸をしか飾らぬもの、このような華やいだ店ではしようがないかのと、お決まりのように残念そうに言われるのが少々口惜しくて。かといって、書は専門外もはなはだしくて、何がどうという見立ても出来ぬはまこと。
「? さようかの?
あの短冊は、
女将の筆であろうに。」
床の間とのバランスも巧みな柱に、色紙を台紙にしての飾られた短冊が掲げられてあり。艶やかなまでの水茎の跡も流麗な、品のいい春の句が綴られていること、此処へと通されたおりから気がついていた勘兵衛だったらしく。
「小唄に三味線、
舞いに琴にといった
一通りの芸事のみならず、
茶道に華道、書に和歌にと、
教養の百般さえもを修めた
粋人だとの噂は
まことであったの。」
微笑って褒めて下さったのへ。白い手を添え、あっと丸ぁるく口を開いたそのまま、頬を染めた女将だったのは、そのような短冊飾りなぞ片付けたつもりであったものか。お恥ずかしいものをと、含羞みに唇かんだのも一瞬のこと、
「あのような
なよなよした筆では
いけないのだそうで。」
それへも何をか言われたからこその“口惜しい”もあったらしくって。集まりの主幹様がいつぞやお持ちになられた書があって、それはとっても猛々しい作品だったのを覚えております。好みや季題によってという選びようも勿論あるのでしょうが、優雅風雅な絵画へと、ひとしきり女性や色好みの趣味だという言いようばかりなさるお歴々。お客様相手に大人げないには違いないのではありますが、人へと難癖つける悪趣味を棚に上げておいでなところが どうにも収まらないのは、いくら粋人であれ見過ごせぬほど、曲がったことが嫌いな本質をも持つ彼女でもあったから。負けん気出してのへこませたいからというよりも、どんなもんだいとちょっぴり胸を張りたくての我儘を、もしもよろしかったなら聞いては下さいませぬかと。濡れ縁へと腰掛けつつも、懐ろに抱えて来た巻紙と文箱をおずおずと差し出すところなぞ。年の離れた従兄弟か若しくは叔父様にでも甘えるようなお言いよう。退屈そうにしていた勘兵衛を彼女なりに見かねたのかも知れず、相手を立てての気遣いだろうとそこは気づいたか、
「そのように頼られるほど、
大した腕ではないのだが。」
だがまあ、はったりの利くことならばと前置きしつつ、受け取った文箱を開くと、収められてあった墨と硯を取りい出し。大きな手で墨を磨りはじめてからの仕事は手早くて。畳に敷かれた毛氈の上へと膝を進めると、縦に大きな半紙を広げて一気にしたためた一筆は。松の古木か昇龍か、掠れた部分にも空間美の妙が伺えるところは上質の山水画の如くという、成程、なかなか味のある剛筆の草書であり。しかも書いた文言というのが、
―― 達人は大観す
「巧拙に何か言いたくとも、
これでは口塞がれての
なかなか言えまいよ。」
「あらまあ。」
さすが、はったりでは負けぬと言っただけはあり。そしてそんな企みをも含んだ文言であると、説かれずとも通じた女将がくすすと微笑う 気の合いよう。…何て意味の言葉かは各々で調べてね?(こらこら) 清かにもきりりと冴えた墨の香を、なお一層引き立てて。ほのかに甘い春先の風がそよと吹き、
「どこぞかで開いた
気の早い花の香を乗せてでも
いるものだろか。」
「そういえば、
ウチのジンチョウゲの茂みに、
そろそろ蕾もちらほら
見え始めておりますよ?」
見事な書へのささやかなお礼、美味しいお茶を淹れて差し上げながら雪乃が告げて。それを和んだ表情で聞いている壮年殿は、こうしていると取り立てて特別な何かをはらんだお人には到底見えない。確かに、上背もあっての鋼のように屈強な体躯をいまだ保っておいでで、いかにも武人がそのまま年経て達観に至った末というよな、精悍で雄々しい印象もありはする。あの、途轍もなく大きな戦さへと挑もうとしてらした直前の晩に。まだ姿も見えぬうちから敵の気配に気がついて、この店の前、桟橋近くまでを飛び出してった侍の冴えを、その眸で見もした雪乃だけれど。それでも…その彫の深い面差しからは、鷹のような鋭さや威容などといった荒ぶる魂の余燼より、様々な思案の錯綜を染ませた末に身につけたのだろ、心の尋の奥深さや、義に厚い頼もしさを裡(うち)へと含んだ静謐や落ち着きなどなど。どこか寂寥を滲ませたそれらの方をこそ強く感じてしまう。お強いけれど哀しいお人。お強いがために膝を折っての立ち止まれない、痛々しいお人だと。のちに伴侶から聞くこととなろう、そんな男なのだとは、今の雪乃はまだ知らなくて。長閑な陽光の降り落ちる中、
「我らもじきに、
発たねばならぬの。」
新しい季節の到来の話へ、そんな一言、何気にこぼされる。彼らより先に此処へと至った平八と五郎兵衛も、この家の内にはもう居ない。そんな彼らへ着いてすぐにもと知らされたのが、
『そうですか、
勝四郎くんは もう。』
あの戦い以降 こちらで“養生”していた菊千代と、その傍らから離れたくないと付き添っていた小さなコマチと。彼らと彼らを案じる神無村の人々との連絡係を請け負って、あの戦さの後からこっちのずっとをこの街で過ごした最年少のお仲間は、冬の間に訪のうた七郎次や平八ともあれこれ言葉を交わす機会を持ちつつ、それでもどこかに振りきり切れない何かを抱えたままなお顔のまんま、一足先に旅立っていったのだそうで。理想や道理と“現実”とには実は大きな落差があって、どっちが正しいのかは明白であっても、例えば弱い者は永らえるために間違っているほうを選ばねばならぬ場合があるのだとか、だからと言って死すことが花道なんかじゃあない、生きていてこそ花なのだという言いようの本当の意味だとか。大人の皆様には至極あっさりと割り切れていた“そんなこんな”が、まだまだ知識としてしか知らぬことの多かりしな彼には なかなか受け入れ難かったのだろう。そして、そんな気持ちのままにお仲間の皆と顔を合わせるのが居たたまれなんだか、五郎兵衛らが着いたのと ほんの一足違いにて、新天地に向け、発ってしまったという話であり。
『ですが、妙に勢いづいての
勇んで飛び出してくのも、
とんでもなく向こう見ずなことを
やらかしそうで心配でしょう?』
それに比すれば、多少考え込んでいたくらいが、あの年頃には丁度いいのではありませぬかと。いかにもごもっともなお言いようをしたお人をこそ、今の今、心配性な誰かさんは最も案じておいでだったりするらしく。それを指してのことだろう、
「自分が足りてるからこそ出来る、
人への心配でしょうから、
勘兵衛様とて大目に見ての、
何にも言ってやらないのでしょう?」
くすすと微笑った雪乃の言いようにこそ、これはしてやられたと苦笑を返した壮年殿だったりするのである。
五の章 さくら B-2 へ続く