千紫万紅、柳緑花紅 2

□五の章 さくら C-序
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  鬼 火  〜序




 五郎兵衛殿と平八殿が、人知れず発ったのは朝も早い時刻のことだったのだが、前もっての知らせはあったか、コマチや菊千代も見送りにと顔を出したのが蛍屋の桟橋。勘兵衛と違い、顔まで知られた彼らじゃあなかったが、それでもやはりと大事を取ってのこと。人目は避けたがよかろうと地下水系からの出奔が選ばれての此処からの出立で。

 「ヘイさんもゴロさんも、
  コマチや村のこと、
  絶対に忘れちゃダメですよ?」

 何かあったら帰って来て下さいねと、それほどまでにも印象強く焼きついた絆の強さ、無垢な声にて紡ぐ童女へ、

 【 心配すんな、コマチ坊。】

 ご当人たちより先に、そんな威勢のいいこと言い張ったのが、まだ少々不自由な体は工房へと置いて来て、首だけを正宗が抱えて来たところの菊千代で。

【 この二人はよ、
 侍だってだけじゃあなく、
 如才がないってのか
 要領がいいからな。
 修理屋でも力仕事でも
 何でもこなせるだろし、
 いよいよ食うに困りゃあ
 “何でも屋”のノボリでも
 おっ立てかねねぇ。】

 心配なんて要らねえ要らねえなどと、何とも可愛げのない、乱暴なお言いようをする彼だけれど、

 「おっちゃま、
  あれで昨夜は
  凄っごい
  落ち込んでたですよ?」

 のいずが ざあざあだって誤魔化して、あんまり口も利かなくて。何だかんだ言ったって、舵取り上手な彼らには殊更に懐いていた菊千代だったし、毎日様子を見に来てくれてたお二人がもう離れてっちゃうのは寂しいんですよと。こそり、囁いたコマチの言いようへ、勘兵衛や七郎次が困ったように苦笑したのは言うまでもない。彼女が年に見合わずの感受性豊かなこともあったけれど、それ以上に…そんなことだろとあっさり想像出来てしまえる、菊千代の相変わらずの他愛のない可愛げに、ついのこととて苦笑が込み上げてしまったのだ。

 “…相変わらず、か。”

 そうかと思や、こたびの騒動を経て ずんと変わられたお人もいる。そうは見えぬが最も顕著に変わったのは、

「神無村ほどの米処、
 なんで忘れたりしましょうか。」

 軽妙な物言いをしての人当たりのいいお顔を装って、その実、あの大戦の最中に抱えた哀しい罪を、他の誰でもない自分自身で責めて詰(なじ)っての許してやらず。ずっとずっと腹に飼ったまま腐らせて。誰にも迷惑をかけぬよう、いっそ自分ごと燃やしてしまいたかったものなのか、死に場所を探していたらしき平八が。今はまだ こたびのお仲間へだけながら、人へと凭れていいのだと、自分を許せる身となってくれたこと。それに尽きるのではなかろうか。

 『電信の中継塔を
  立てて回りたいのですよ。』

 『自分は戦後、
  ずっとうつむいて
  生きてたような気がするので。』

 世界をもう一度、ちゃんと見回して来たいのだと。そんな先行きのお話を、ちゃんと語って下さった。自分の“これから”をどうでもいいとは思っていないと、しかも…人知れずじゃあなくの少なくともお仲間にだけはと語って下さった心持ちが、何よりも大きな変わりようであり。前向きになって下さったのが何より嬉しいと、我がことのように喜んでいた七郎次へ、

 「威勢のいい啖呵を
  切った甲斐があったと
  いうことかの?」

 「勘兵衛様…。/////////」

 よしてくださいな、あんな野暮を思い出させるなんてと。晴れやかな旅立ちを見守る元・主従の間にて、こそこそとした応酬が交わされる。今度こそはと思った修羅場。覚悟していたからなのか、死力尽くしたその間のあれこれ、仮のものでもお仲間が出来ての充実した日々が過ごせたことが、それともお別れせねばならぬのが唯一名残り惜しかったほどだったという平八が。だが、いや だからこそ…再び生きよと引き戻されたことを素直に喜べず。そんな自分だってことまで含めての鬱屈に、とうとう自暴自棄になったのか。どうして生かしてくれたのだという言いようをした。

 『私なぞ
  死んだ方がいいのです。
  何で生かして下さったっ。』

 それを聞いてカッとなった七郎次が平八へと放った啖呵、

 『勝手なことを
  お言いでないよっ。』

 『今のヘイさんを
  大事だと想うアタシらは、
  じゃあどうしたら
  いいんですよっ!』

 ― 死ぬの殺せの言うのなら、
   その前に
   “惚れさせた責任”
   取ってもらわなくっては。

 実を言えばと勘兵衛にだけは、そのタネを明かしてもいて。

 『言いようはちょっと
  違いましたが、
  あれは…
  雪乃がアタシへ
  怒鳴りつけたのの
  真似みたいなもんでしてね。』

 長きに渡った大戦を終わらせたという、最終決戦の只中から、誰かの手により救い出されて。蛍屋の女将だった彼女に、生命維持装置ごと拾いあげられた七郎次。知らぬ間に5年もの歳月が経っており、あらゆるものから置き去りにされた身を持て余し、魂抜かれたような日々を過ごしたその挙句、追い腹を切ろうとまで思い詰めていたらしく。

 ― 勘兵衛様が
   生きておいでだとは
   思えなくって。

 今にして思えば縁起でもないことですが、南軍が勝利したという話でしたし、私たちが最後に向かった地が、その決着をつけたこととなった最も苛酷な最前線だったそうだっていうしで。私をポッドに入れての流したお人。されどご自身は果たして無事でいられたものだろか、それを思うともうもう、どんな苦衷にあっても信じて来れた心をもってしても全く歯が立たないほど、絶望的なことしか考えられなくなってもいて。

 『よすがもなくの絶望から、
  いっそ
  追い腹切ろうかってところまで
  思い詰めていたら、
  もしもその上官様が
  生きておいでだったら
  どうすんだいって、
  アタシの頬を
  引っぱたきましてね。』

 ― それだけじゃあない、
   あんたをずっと
   心配しているあたしらは
   どうしてくれると。

 何がなんでも現世へ繋ぎ留めておきたかったらしくての、脅し半分ってな苦肉の策だったらしいと、

 「何につけ
  余裕あっての
  物静かだった女が、
  いきなり息巻いたから
  怖かったのなんの。」

 今更ながらの照れ隠しだろうか。そんな憎たらしい言いようをした七郎次へ、おやおやと片方の眉だけ上げての呆れたようなお顔をして見せた勘兵衛もまた、今日の主役らの方へと向き直る。それぞれが当座の生活にいりようなもの、あれこれ背負っての出立で。大きな背中と小さな背中へ、楯みたいな小山を背負い、

 「それでは皆さん。
  長いようで短かった
  お付き合い、
  これで一旦は
  おサラバということで。」

 自分たちが追っ手や付け馬持ちという身になるのは構わない。いかにも希望に満ちた、清廉な姿の裏に糊塗されていた、真実という名の絶望を、広めることなくの口つぐみ、黙り通した上で謀叛を起こした反逆者扱いされてもいいと。そのくらいの覚悟はあって構えた力技。戦さと言えば聞こえはいいが、所詮は相手と同じところまで堕ちての、武力を武力で制した、言わば泥仕合いだったのだから、勝ったからって威張れはしないのも先刻承知。真の事情の全てを明らかにするつもりがない以上、訴追がかかるのも石もて追われるのも、まま致し方あるまい。ただ、そんな自分たちへの縁者と見なされて、関係のない者や非力な者らを巻き込んでしまっては何にもならない。そこでという順番で、ほとぼりが冷めるまでは遠出をして身を隠すのが最善かと、そのような方向での算段を、ずんと前から固めておいでだった御主であるらしく。こたびの騒動に於ける首魁、惣領殿でもあるからか、皆が出立したのを見届けてからの出発を構えておいで。よって、

 「万が一にも
  追っ手がかかりそうな
  気配があっても、
  振り返ってはなりませぬ。」

 アタシらがどうとでも鼻面引き回してやりますからと。先んじて発っていかんとする五郎兵衛と平八へ、強かそうに笑って見せた七郎次の言いよう、肯定するかのように無言で頷いた勘兵衛でもあって。何なら全ての元凶として余燼まとめて背負って駆け出す大芝居さえ打っていいぞと思っていそうな、こちらもまた相変わらずのタヌキぶりは健在のご様子なのへは、

 『それだけは
  勘弁していただきたい。』

 それこそ、面と向かって言うと“予想の範疇なのならば”なんて弾みにする口実にしかねぬから言えないが。思いがけないお別れはもう沢山だと、それだけは堪忍と思う七郎次のせめてもの願いくらい、聞いてやってもいいだろなんて。思っておいでか、今のところは泰然と構えておいでの御主様。こうして並んでいられるのも、あとどのくらいなんでしょかねなんて、感慨深く思っておれば。どこから吹くか、甘い風。暖かいとまでは言われぬが、梅の香だろうか、華やいだ匂いをはらんだ風がそよいで。何かしら話し掛けられてのこと、少しほど腰をかがめて、小さなコマチに背の高さを合あわせてやっている、どこか幼い所作の赤い衣紋の次男坊を見遣りつつ。もうすぐ間近となった春の気配を、見えぬ端からさえ感じていた、七郎次であったりしたものだった。




  五の章 さくら C-1 へ続く


 

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