千紫万紅、柳緑花紅 2

□五の章 さくら D
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   寒 昴



 ―― そこが闇なら、
   互いで照らそう。
   泥に足掻いて
   血まみれになって、
   それでも、
   お互いがお互いの
   傍らにあれば、
   自分たちは多分、
   どんな状況下でも、
   不器用同士でも多分、
   何とか大丈夫だと
   思ってた。


 時折 甘い風の吹き抜ける、なだらかな斜面(なぞえ)の頂上。土手の上、まるで尾根のようになった街までの道なりに居並ぶは、夏場の陽よけを兼ねているという桜の並木。春の陽気もほこほことやわらかに降りそそぐ中、今を盛りとばかりに どの梢にも緋色の小花がたわわに満ちており。土色の上へ連なる、木之花の帯が延々と伸びている様は、それは目映くも絢爛豪奢。そんな華やかな花闇にくるまれて、どこの隊士の方だろか、どちらもなかなかに落ち着いておいでの、見目もよい方々がお二人ほど、桜の樹下で立ち止まっての穏やかに談笑しておいで。実は実は、どちらも戦場での勇猛な働きで名の知れた御方々。殊に、鉢当ての印で隊長様と判る、深色の髪を伸ばされた年長な側のお人の方は、ようよう練り上げられた屈強そうな肢体の重厚な、精悍さや雄々しさもさることながら、風格あふれるというのだろうか、人性の厚みや頼もしさを感じさせる余裕の佇まいでおわすところが何とも素晴らしく。日頃からも新任の隊士らが、同じ男として誇らしさを覚えたその上で、行く行くは かくありたいと思うほど、畏敬の念を集めておいでの君であり。近くに寄るなんて畏れ多くて、とはいえ、何だか離れ難くて。そのままの距離を保ったまま、早い話が遠巻きにしたままで、一人の下士官がこそりと伺い見ておれば。

 「……。」

 軍靴のどこかが気になるか、目顔で訊いてからのこと、若いほうの士官が相手の肩へと手を置くと、そのまま少しほどその身を屈めた。踵だか側面だかに違和感があるらしく、その辺りへと眸をやっているうち、何の拍子かその身の均衡が崩れたらしく。前のめりに転びかけるのへ、あっと思わずのこと、遠目に見遣っていたこちらが声を上げ掛けたその刹那、

  …あ。

 それはなめらかに伸ばされた腕があり。一方は倒れ込みかけた当人の眼前へ、手掛かり代わりとして。もう片方は肩への添えにと延べられたのは、隊長殿の頼もしき双腕。掴まれと差し出したと言うより、その腕へ抱きとめるような呼吸だったのが、何とも言えぬ睦まじさを滲ませてもおり。

  ああ、そういえば。

 あの副官殿は司令官閣下の女房役とも聞いている。どこまでが言葉づらのままの意味なのかは、自分のような格下の者には確かめようもないことだったが。今の突発事への物慣れた振る舞いや雰囲気といい、そのまま互いへと見交わされた、伏し目がちの柔らかな眼差しといい、

  やっぱり
  そうなのかな…。////////

 このような環境下では、さほど疚しいことじゃあないとされているし。遅ればせながら“そういえば…”と思い出したほど、常から恋情へうつつを抜かしているようなお人たちでもなし。何より、不潔だの不謹慎だのと思うより、それをうっかり覗き見してしまった自分への疚しさが、何とはなく込み上げてしまい、

 「…っ。//////////」

 このうえ、お二人から見つかったら野暮の骨頂、それより何より叱られてしまうかもと、今更ながら気がついたらしき、年端も行かぬ青年隊士。中庭の端からあたふたと、兵舎のほうへ逃げるように駆け込んだ気配。随分と遠目の、しかも視野の端の方にて認めつつ、


 「…お気づきだったのでしょう?
  あの下士官。」

 「さて、何の話かの?」


 並木の二人が小声でそんなやり取りを交わす。おや誰だろかと 先に気づいた七郎次が、さりげなくも相手を確かめるため、体の向きを変えたところが。その足元を微妙につついたのも、そしてそんなせいで転び掛けた副官殿を、わざわざ抱きとめる格好にて懐ろへと迎え入れたのも。もう無事だというに抱え込んだ背中へと伏せた手をなかなか外して下さらぬ勘兵衛様が、そちらもまた何も言わぬままになされたこと。そして、そんな悪戯の結果、あたふた慌てて逃げ去った青年が、どこの誰かまでは確かめられずで、

 「知っていて
  わざとにですね。
  お人が悪い。」

 「なに。
  鬼の副官殿に睨まれては
  可哀相だと思うてな。」

 うら若きころの覚束さなはどこへやら。勘兵衛が戦場以外の日々では寛大な分を埋めるかのごとく、長じてからの七郎次は厳しい態度で部隊を統括し、規範をもって隊士らを引き締める役目を主に担ってもいて。だが、

 「…相変わらず
  おやさしいのだから。」

 気に入りだといつも仰せの、今はきっちり引っつめに結われた青年の金絲へと、その頬を寄せておいでの隊長殿。さっきの隊士が七郎次から睨まれることをではなく、またぞろ嫌われ者になりたいらしい副官の、そんな悲しい性分の邪魔をなさった勘兵衛なのだろと、七郎次の側でも気づいており。それ以上は野暮だからと互いに口を噤んでの、春宵の夕風をしみじみと堪能し合いつつ、

 “………。”

 こんな風に言葉少なに通じる同士であることが、時には…いけない企みへの共犯者同士ででもあるかのような甘美な優越感を運びもし、言い合わずとも、示し合わさずとも意が判り、それへと合わせて差し上げられる自分であるということが、途轍もなく嬉しかった。いつだって、この人の使い勝手のいい存在でいたかったから。道具のようにぞんざいにされてもいい、この御方のお役に立てるのならそれで十分。当初は、僭越なことをと苦笑されたり、やりすぎての睨まれることも少なくはなかったが、そういうところへの呼吸もすぐに飲み込めての今は、

 「…お気遣いは要りませぬ。」

 そういうことが…捨て駒や死兵を作ることが一番嫌いなお人だということも、今では重々判っているけれど。自分が彼からの寵を受けていることをまで、反発を買っての嫌われ者になる材料にと持ち出す七郎次を、諌め半分、邪魔してしまわれることも今のが初めてじゃあない勘兵衛様。そういう機微には一向にうといような、骨太なもののふにしか見えぬ精悍な風貌なのが、いっそ憎いほどの気の遣われようであり、

 「判っていて欲しい人から
  誤解されていないのなら、
  それで十分ですから。」

 「…シチ。」

 そんな彼とはともすれば真逆、玲瓏なまでの細おもてをはんなりとほころばせ。そんなお顔をなさるのは 無しですよ?と、それはそれは清楚に微笑った副官殿。

 「第一、私や隊の皆を
  見くびってもらっては困ります。」

 私なんぞの猿芝居、のせられて踊ってくれるのは新入りばかりで、しかも最初の半年が限度なんですから。皆して物分かりがいい者ばかりなもんだから、気がつきゃ…無理はなさるなと、誰もがいたわってくれるばかりなんですもの……。



  ◇◇◇


 ああ、そうだったなぁと。時間も場所も今ではずんと遠くなってしまった頃の記憶を、懐かしくも思い出してしまった。隊長の人柄があまりにもよく出来たそれであったものだから、そんなお人が間近に添わす者の小賢しさを見抜けぬはずがないという順番で、七郎次の構えた似非な小姑属性なぞ、いつだってあっさりと見破られてしまってた。そうまでの求心力をお持ちの御主の、多くを語られずとも深慮が判る身となれたこと、ついには恨めしいと思うときもあったほどに、

 “残酷なくらいに、
  おやさしいのだから…。”

 困ったお人だとつくづく思った。部下を、仲間を、信じていない訳じゃあない。だのに、いざとなれば我が身をこそ楯になさるよな、それは歯痒くもつれない戦法を執ることも多い御方だと。気がついたのは何時からだったろか。

“…ご自分で彫られたくせに。”

 自分には御主の背中が導べとなっていた。勘兵衛様は部下らをそう簡単に死なせはすまいとするお人。そんな御主を少しでも助けることができるならばと、そのお背は何があっても守り抜くと、ただそれだけが七郎次の気概の拠りどころになった。

 ― だって イツモフタリデと
   約したじゃないですか

 愛機に手づからそうと刻まれた、この御方が生きよと仰せなら生き抜こう。御主の供として、いつまでもどこまでも馳せるため。だからだから、どんなに苦しくとも立っていられた。疲弊や傷病からのみならず、立場や心情的なもので追い詰められたとしても、逃げようなんて思いも拠らずに歩き続けた。いつまでもどこまでも、このお強い御主の傍らに居続けるのだと、意識や覚悟をする以前の当たり前のこととしていた。いつか二人を死が分かつまで、イツモフタリデ。そんな気構えでいたものだから、


 ― まさか、
   死ぬこと以外の何かに
   引き裂かれようとは、
   思いも拠らなかった
   七郎次だったのだ。



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