千紫万紅、柳緑花紅 2

□五の章 さくら D
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 結局、ものの小半時ほどという短い間に、しかも たった二人の練達の手により。五十名近くという結構な規模の手勢が押し寄せていながら、そのほぼ全員が捕らえられての引っ括られてしまった賊どもであり。久蔵には数カ月振りの本格的な二刀使いの切り結び。相手が素人同然の大した連中ではなかったとはいえ、それでも両腕を思い切り振るのは、全身の動作の均衡を保つのには重要だから。常には首から吊るしていたその右腕、弱点と思われぬためにも装具を外しての臨んだ、夜陰の中での乱闘であり。

 『あれはまるきり、
  猫の妖異でも
  見ているかのようだったさね。』

 取り調べにあたった警邏隊の担当官へ、直接相対した賊の面々がそうと口走ったように。上から下から、左右に斜め。手近へも遠くへも縦横無尽に伸びる切っ先が、失速もせずの連綿と繰り出され。間合いに入ったが最後、逃がれることなぞ許されぬ、水をも洩らさぬ太刀筋そのものも勿論のこと恐ろしかったその上へ。その痩躯の柔軟自在な動きの妙がまた素晴らしく。数人がかりでの挟み撃ちも、立て続けに斬りかからんとした攻勢も、そのことごとくをあっさりとやり過ごし。そうかと思えば身軽に飛んで頭上を跨ぎの、中庭に面していて吹き抜けになっていた回廊の欄干に手をかけては中空へとその身を躍らせ、それを追った輩を勢い余ってのこと池へ落っことしと、たった一人での所業とは思えぬ軽快な動作での撹乱を披露して。体さばきのなめらかさという点でも、思う存分 立ち回れたほどの回復振り。随分な数がいた筈な賊どものほとんどを、斬るまでもなしと手玉にとっての翻弄し倒したというからとんでもない。そんな彼へと、

 『無理は いたすな?
  今のお主には、
  その身 その命、
  惜しむ者がおるのだ。
  それを忘れるな?』

 一応の苦言を呈した勘兵衛もまた、長い蓬髪ひるがえし、それは鮮やかな太刀ばたらきの妙を発揮しており。戦った現場は遠かったものの、あらかた片付けてから足を運んだ、店の表門側の前庭にて、ついつい眸を奪われた久蔵で。先だっての騒動の中でも見せた太刀ばたらきの雄々しさは健在で、あの大戦から はや十年以上も経っており、彼ほどの壮年ともなれば、刀を手放してのすっかり落ち着いて、静かな生き方へと納まり返っていていいはずが。どこも老いてなど、枯れてなどいない人。重たげな大太刀を振りぬく膂力も桁外れなそれならば、いっときに幾多もの手合いと向かい合っているにも関わらず、その頭の向かぬ背中にも、目の代わりがあるかのような、全く隙がない鋭き反射と応対も凄まじく。夜陰の中、月光を浴びて浮かび上がった白い衣紋が切れよく躍る様は、さながら出来のいい剣舞を見るかのよう。

  『……。』

 本来なれば、そうまでの練達、味方であることを喜ぶだけで済もうものが。久蔵にしてみれば…それだけの手合いが、だが、手合わせの対象ではないことが、無性に苛立たしくもある そんな日々が、しばらくは続くことともなるのだと。それがいかに皮肉でいかに苦痛となろうかというその予兆、何とはなくに感じてのことだろう。立っている者が味方だけとなったその空間で、むうと膨れて迎えてくれたのが、勘兵衛の苦笑を誘ってやまなかったとか。そして、

  “……………。”

 どうして勘兵衛が、七郎次には“手を出すな”と堅く言い、守りだけを任せたか。その詳細が明らかになったのは、一味の警邏隊への引き渡しが済んだその直後のこと。たまたま不在だったのか、それとも向こうでも何かしら思うところがあっての避けたのか。警邏隊を率いる隊長の兵庫殿は来ぬまま狼藉者らが引っ立てられてゆき、

 「これで、
  ああいう手合いにも
  “此処”は守りが堅いと
  広まることだろうよ。」

 前の差配が不在なまま、大アキンドらを供連れにして天主も亡くなり。社会情勢は微妙な不安定さを帯びての揺れていたようなもの。恐らくはそこをもっと揺さぶってやろうとする者の企み、金満家たちが集っては贅を競い合った、アキンドらの権勢のいわば象徴のような蛍屋を焼き打ちにでもすることで、先の惨劇に引き続くアキンドらへの天誅としたくての強襲であったのだろうけれど。そんな標的だったはずの蛍屋は、存外 屋台骨がしっかりしており、不意を突いての強襲だとて物ともしないという事実をこそ、広く喧伝する運びとなってしまうことだろて。

 『そういえば、
  あすこには用心棒が。』

 『そうそう。
  確か侍あがりだか くずれだか、
  日頃は幇間の
  真似ごとをしているのが、
  抱えられていた筈だ。』

 『…あれ?
  でも、盗賊を畳んだのは、
  年かさのご浪人様だよ?』

 『そうなのかい?』

 『ああ。
  ウチの下男がこっそりと、
  お店の前での
  乱闘を見てたらしくてね。』

 『じゃあきっと、
  その幇間の伝手で
  雇われてたクチじゃあ
  ないのかね。』

 『まるで襲われることが
  判っていたかのようだねぇ。』

 『そりゃあ、ああいう商売だ。
  いろんな噂も
  値札つきでの向こうから、
  集まって
  来るもんなんだろうさ。』

 これほど派手な騒ぎだ、取り沙汰されない筈はない。正宗殿や弘安殿、玄斎医師にも手伝ってもらい、届く端からそれとなくの軌道修正を加えていただくことになっていて。そんなこんなを経ての、広く遍く世間へと流布された風聞は、蛍屋がいかに周到堅固な店であるかを声高に喧伝するに違いない。

 「とはいえ、
  狼を飼うておるとの
  評判を立てられては
  まずかろうからの。」

 この街ではまだ、そのお顔が指すやも知れぬからと さんざ注意されていた勘兵衛が、それでも警邏隊への無法者らの引き渡しを受け持ったのも、実際に暴れたのが誰かを明らかにするためで。

 「なに、
  まだお主がおるのだ、
  儂らが去っても不安はあるまい。」

 さらりと言ってのけた一言が、もはや忽せにする気はないらしい、その心積もりを語ってもいて。

 ― 全てを負って、
   やはり出て行って
   しまわれるおつもりだ。

 どこまでが布石で、どこからが後づけなのか。身内の自分にさえもはや判らないほどの周到さが、軍師としての冴えの健在さを感じさせつつも、別なことまでもを七郎次へと思い起こさせる。

“そういえば、
 こういうお人でもあったか。”

 どういうお人か、よくよく知っていたつもりでいたが、それでも…自分が彼から離れた経緯が少々奇矯な形であったせいだろか、ついうっかりと忘れ去っていた。

 ― こうまでの
  存在感がありながら、
  まるで
  風のようなお人でもあると。

 鋭い解析力と蓄積、緻密な思考による見事な用兵のみならず、常にその身を最前線へ置くほど行動力がある将でもある彼は、ただの軍師ではこうはいかぬというほど、それはそれは人望厚い司令官であり。才ある上つ方の人々からも、善かれ悪しかれちゃんと認められてもいての、誰からも望まれた存在であったにもかかわらず。才能以上の内面へは誰にも触れさせぬとする頑迷なところがあった勘兵衛で。人嫌いな訳じゃあない、義や情というものも疎かにはしない人だのに。慕う気持ちが度を超すと、それは自然に…あるいは巧みに。伸ばした手をするり擦り抜け、視線も想いも置き去りに、余情も残さず遠くへ去ってしまうような人。なんて憎らしいことかと、せいぜい怒って恨もうとしても無駄なほど、深い深い慕わしさはきっと拭えぬだろうから。こんなにも酷で、こんなにも罪なお人は、そうはいないというもので。数多の人々が純真に一途に彼を慕いながらも、顧みられずの置き去られた場面を数多く知っている。花街の太夫だったり困窮していた幼い少年であったり、任務の中で庇ったどこぞかの皇女様だったりもしたそのことごとくを、時には巧妙な段取りを組み、時には朴念仁を装い、背を向けて振り払って来たのを知っている七郎次だったし、自分との睦みようを仄めかして諦めさせた例だってあったほど。

  そして…こたびは
  この自分もまた、
  勘兵衛から置き去られるのだ。



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