シリーズ小説

□間違った形からの始まり
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ただ、ずっと菊を見つめていた。


見つめていただけ。







初めて会ったのはフェリシアーノが菊を部屋に呼んだその日。

あのバカ弟、恋人が初めて自分の家に遊びに来るのだと言って
前日は遠足前の小学生みたいにはしゃいでいた。


でもいざ、約束の時間直前になって買い忘れた物があるとか何とか言って家を飛び出して。


それからしばらくして訪ねてきたのが菊だった。








フェリシアーノがいない事を伝えると目に見えてあたふたして。
それが小動物みたいで。
見た目も小さくて可愛いと思った。
綺麗な黒髪で丸い目をしていて。
そこらへんの女よりも可愛いと言えるくらいに。

事前に相手は同性だと聞いていたから男なの
だろうが、それでも可愛いと思った。

野郎相手にそんな事を思ったのは初めてくらいで。

自分でも驚いた。

戸惑ったけど、でもどこかひどく冷静な自分がいた。

その事にも、驚いた。







フェリシアーノと菊は仲良く、楽しそうに毎日を過ごしていた。
俺にはそう見えたし、フェリシアーノがこぼす言葉からも確信していた。



菊は弟よりも、俺よりも年上だった。

全くそうはみえないが、時折見せる表情がどこか自分とは違う次元のように思える事があった。

そう言う時に、ふと菊が年上だという事を思い出したりした。









俺が菊に会う機会はほとんどなかった。


それでも、週末や仕事帰りに家へ寄る事があった。
それは、フェリシアーノに会いに、だがそれでも3人で食事をしたり
リビングで映画鑑賞をしたりする事だってあった。

それなりに上手くいっていた。

フェリシアーノと菊は幸せそうで。

最初こそ、俺は菊に対して女に懐くような感情の端を感じたりもしたが。

それは消えて・・いや隠れていて、俺には彼女も出来て、俺たち3人は平和な日々を送っていた。

このまま、幸せな時間が続くのだろうと、漠然とそう思っていた。






いつ頃だったか。
フェリシアーノの様子がおかしい事に気づいたのは。

いつ頃だったか。
菊の様子がおかしい事に気づいたのは。

いつ頃だっただろうか。
消えたはずの感情が顔をのぞかせるようになったのは。










「兄ちゃん、俺出かけてくるね!」

「おぅ。あ、そう言えば最近お前菊とはどうなんだよ?」

「菊と?ラブラブだよ!」


当然だよ、とでもいう風に笑った弟の笑顔に違和感を覚えたのは何故か。
勘、としか言えない。だが、確かに何かが違うと思ったのだ。


それからの事は偶然が重なったとしか言えなかった。
何のいたずらか、何の間違いか、あの場を見るなんて、そんな。














その日は特に予定がなくて。
買い物でもするか、と思ってふらふらしていたんだ。
珍しく立ち寄った、本屋で偶然で菊に会った。



菊と有給を貰ったのだとか。
せっかくだから一緒にランチでもって話になって二人で本屋を出た。
なぜ、折角の有給をフェリシアーノと過ごさないのかという疑問はあったが
お互い事情があるのだろう、とそう解釈して歩きだした。

その時、少し嬉しく思っていた。
菊と2人きりで過ごせる事なんてそうないことだからだ。
もう、その時には俺の中のあの感情が再び顔を覗かせていたのだ。





駅前に出来たパスタの店に向かう途中、ふとある洋服店が目に入った。
店自体は大きくはなく、だが洒落た感じの雰囲気のいい女性物を扱う洋服店だった。



だから、本当にそれは、偶然だった。

だってまさか、そんな所にいるなんて思わないじゃないか。

だって、あいつは幸せそうに笑って。

幸せそうに出来事を話して、だから、これからも、それは変わらないのだと―――




「どうかしましたか?ロヴィーノ君?・・あれは、フェリシ・・・」



菊の言葉が途切れた。
弟の名前がその口から紡がれる事はなかった。
俺は、菊の顔をみる事が出来ずにいた。



どれくらいたっただろうか。

時間にしたらきっと数十秒。

俺にはそれが何時間にも感じられた。






その呪縛を解いたのは菊本人だった。

菊は俺の腕を掴むと何事もなかったように歩きだした。
それからお腹すきましたね、なんて本当に何事もなかったように
さっきまでと同じように笑うから、俺は今あった事が夢だったのかと本気で思ってしまった。


それほど、菊はいつもどおりだった。
























フェリシアーノが出かける回数は増えたように思う。

浮気をしているのか、と一度聞いた事がある。
あいつは顔色一つ変えないでただ淡々と言葉を紡いだ。


「兄ちゃんには関係ないじゃん」

「菊を、悲しませるのか」

「―――いいのに・・。」

「え?」

「菊を愛してるよ。俺は誰よりも、ね。」


そう言うあいつは嘘を言っているようには見えなかった。

あの日、菊はフェリシアーノの浮気を若いですから、の一言で済ませた。

それはひどく物分かりの良い答えだが、でも俺は疑問を持たずにはいられなかった。


けれど、それを聞く事は出来なかった。


菊がそれを拒否したからだ。そうされてしまっては俺はそれ以上なにも聞けない。










そして、それからも変わらない日々が続いてた。

フェリシアーノと菊は何だかんだあったが、でも幸せそうで。

俺は自分の彼女とうまくいっていて。



だから、フェリシアーノが結婚すると聞いて一番驚いたのは、俺かも知れない。









知らせを聞いたのは寒さが厳しくなってきた頃だった。

――結婚するんだ、子どもができて。もう向こうの親には挨拶に行ってきたよ。

――今度、兄ちゃんにも紹介するね。良い子だよ、本当に。


弟の言葉なんか右から左だった。
ただ、結婚相手が菊じゃない事に驚きを隠せずにいた。
だって、フェリシアーノと菊はあんなにも仲が良かったではないか。
別れたなんて話は聞いていない。
じゃあなんで。どうしていきなり結婚なんか。


どういう事だ、菊はなんて。

今菊は一人。






菊の家には一度、フェリシアーノと行った事がある。
祖父の残してくれた家だと言っていた。
門が大きく庭があって家自体も大きく木造の家はどことなく寂しさを感じた。
こんな大きな家に菊は一人で住んでいるのか、と。
詳しい事情は知らない。ただ、菊にはもう家族と呼べるものがいないということしか。




フェリシアーノが自分が菊を守ると言っていた。

寂しい思いなんかさせない。

笑顔でいてほしいから。

そう言っていたはずなのに、なんで、なんで

その手を離したりするんだよ。








どうやって菊の家まで行ったのかは、分からない。
外は薄明るくなってきていた。普通ならとっくに寝ている時間。
でもどこか自信を持って菊の家の玄関に手をかけた。
それはすんなりと音を立てて開いた。


中は薄暗く、菊ん家の玄関に置いてある時計に目を向けると5時を過ぎたころだった。
明け方特有の刺すような寒さすら忘れたように俺の格好は軽装だった。



廊下は歩くとぎしぎしと音をたてた。
まっすぐ居間に入ると机に伏した菊がいた。
寝ているのかと思ったらゆっくりと菊は起き上った。





「・・・ロヴィーノ君でしたか、どうしました?こんな明け方に」


部屋は暗くて菊の表情までは見えなかったけど、でも声が枯れてかすれていた。

俺は、如何したらしいのか分からなくて。

思うように足が、腕が動かせなくて。

そしたら菊が、独り言のように呟いた。






――狂気にかられた愛っていうもの素敵ですよね。
愛しているから・・・
愛しているから・・・
愛しているから・・・
愛しているから・・・


菊の声にはまるで感情なんて籠ってなかった。
ただ分かるのは、菊は今、死を欲しているという事だけだった。

それから菊は言った、フェリシアーノが私のもとを離れたのは全て自分のせいだと。
不安にさせ、与えられる愛を当たり前のものだと勘違いし、でも自分が大切だからと愛には答えず。
挙句、自分の気持ちは伝わっていなかった。



菊の言葉が途中から震えて涙声になっていたけど、でも黙っていた。

全て、菊は吐き出そうとしていたから。

そして俺は、それを受け止めてやりたかったから。




菊は自分を責める。

そして自分に失望している。

あいつが離れたのは自分の身勝手さのせい。
だから今の状況は自業自得。
なのにこんなに弱っている自分に嫌悪感。




「菊・・・・、俺じゃ・・、俺じゃダメなのかよ・・っ」

俺の口から出た言葉はそんな陳腐な言葉だった。

だけど、俺は他に物を考える余裕は早速無くって。

ただ、弟に無性に苛立った。

そして目の前の菊に。




弱くなるのは悪い事じゃない。
助けを求めたって構わない。
弟を忘れられないなら忘れられるまで待ってやる。
だから死にたいとか思うな。
自分を責めるな。
泣きたいなら我慢なんかしないで泣けばいい。



俺の腕の中で謝り続ける菊をみて心底愛おしいと思った。




それから菊は眠ってしまった。
目元が真っ赤になって顔色は蒼白としていた。



俺が守る。

泣かせたくなんかない。

こいつは、本当はすっごい強いやつだ。

優しくて他の奴には甘いのに自分自身にはとことん厳しい。




俺が知っている菊の事なんて多寡が知れている。
だけど、そんなのは関係ない。
そんなのは、これから一緒に過ごす中で見つけていけばいい。





眠る菊の頬にひとつ、キスを落とした。


これ以上こいつを苦しめる事がないように。


悲しまなくて済むように。


柄にもなく、俺は必死に祈った。






END

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